第11期 #4

沈黙

 自動ドアから足を踏み入れた瞬間、後悔した。初めて来た大型スーパーはあまりにも明るく、あまりにも広く、人込みの嫌いな私は気絶しそうになる。
 自分が一体何を買うために来たのかということはどうでも良くなり、備え付けのかごに手当たり次第に品物を放り込む。早くここから出たい。
 一番すいているレジを見つけて最後尾に並び、自分の番になったと思った瞬間、店長らしい中年の男がやってきて、レジを交代すると私に笑顔を向けた。
「予約のお客様がいらっしゃいますので、ちょっとお待ちください」
 小学2年生ぐらいの男の子が突然姿を現し、両手いっぱいの小さなプラモデルをカウンターの上にばらまく。中年の男は慣れない手つきでレジを操作し、プラモデルの値段を一個ずつ丁寧に確かめては、そのたびに男の子に笑いかけ、それを永遠に続けるので、私はまた気絶しそうになる。
 私の買ったものはいつの間にかビニールの袋に移されている。自分でやったのだろうか。
 後ろの客が太い腕で私を押しのけると、カウンターの上に身を乗り出した。まだ若いのに女を捨て去ったような肥満した体で、順番を待っているのが苦痛になったらしい。顔を真っ赤にしながら汗臭い体を持ち上げ、ジャージーのズボンが張り裂けそうなほど大きなお尻を私の袋の上に勢いよくのせた。
 袋から飛び出すあんこ、あんこ、あんこ……。
 大嫌いなあんこばかりを、私は一体いつのまに買ったのだろう。それとも、実は私は甘いものが好きだったのか。好きなものを嫌いと言い、嫌いなものを好きと言って、今まで生きてきたのだろうか。
 私はショックのあまり呼吸困難に陥りながら、あんこでべとべとの袋を巨大なお尻の下から引きずり出すと、そのままお金を払わずに店を出た。誰も気づかなかったのは、上品な人々は肥満した女から目をそむけ、そうでない人々の目は彼女に釘付けになっていたからだろう。
 自分の車を置いた場所に戻ると、大型の観光バスが停まっている。慌ててあたりを見回すと、レッカー移動されたらしく、駐車場の隅っこにぽつんと一台、シルバーの小型車が見えた。
 どうして移動されたのか確かめたかったが、あんこのお金を払っていない私には何も言えない。急いで車に乗り込むと駐車場を出た。
 渋滞の道で片手運転をしながら、手掴みで自分の口に思いっきりあんこを詰め込んだ。何を買いに来たのか思い出せないまま、私はあんこで自分を埋め続ける。



Copyright © 2003 中里 奈央 / 編集: 短編