第11期 #21

地震

 五月の末の、日曜日の昼下りであった。
 自宅の茶の間で、青空を背にして静かにソファに座っていて、来たな、とおもった。
 しかし世界には何も変わった様子はない。家の中は森としている。
──人間の意識の明晰な部分なぞ、饅頭のうす皮みたいなもの。
 この頃つくづくそう実感するというのは、別に心理学で深層意識とか無意識とか言うらしい、そんな高尚な話ではないのである。ときどき得体の知れない眩暈におそわれるたびに、自然とそういう感慨が来る。
 たとえば、風が吹いて樹の枝がざわざわと揺れているのを眺めるだけで、視界がぐらりと揺れ、自分の生命の根も吹き抜かれそうな心細さが生まれ、すぐに抑えがたい不安感・恐怖感に成長していく。静かだった水面に、ひとりでに波が立ってきて、それがどんどん激しくなっていくような気分である。冷静にものを考える余裕など無くなってしまう。無論、こうして文章を綴ることなど全く出来ない。
 医者に言わせればパニック障害とか何とか診断はつくのだろうが、そうと認めたが最後だと思って放ってある。先の展望のない無為徒食の暮しがいけないのであり、十年近く以前、毎日のように招いていた死神の残した変調でもあろうか。
 寝不足もよくないので、この頃では根を詰めて読書したり原稿を書いたり等も出来ず、とにかく無理をしないように、怖々暮すよりない。
 微かな泡立ちのように、不安の芽が、顔を出す。そのまま目を閉じて、意識を強制終了する。
 この時はそれで済み、何もなければそのまま忘れていたに違いないが、次の日の夕方、大きな地震があった。
 家のあたりは震度四ほどで大した事はなかったが、それでも天地が轟と鳴り満ちると共に、本立の本がみだれ、人形は倒れ、食卓の味噌汁はお椀から溢れ出した。
 揺れがしずまってからふと、昨日の「発作」が思い出された。地震の前に動物が異常な行動を示すことがある。犬が悲しげに鳴く、蛇が木に登る等という時、彼らにもまた、説明のつかない不安・恐怖が感じられているのではないか。
 そしてもし地球に意識というものがあるならば、地震とはその一寸した錯乱であり、動物たちはそれに共鳴する。人間でも日々何もせず空に過している者には、伝わりやすいのかも知れない。
 妄想の類いではある。地震がおさまって以来、眩暈の発作もしばらく影を潜めているのは、作品らしい作品も書こうとせず、相変わらず怠けているお陰であろう。



Copyright © 2003 海坂他人 / 編集: 短編