第107期全作品一覧

# 題名 作者 文字数
1 拾ったメイドを育てた 普通電話代金 551
2 愛は真心、恋は下心 Qua Adenauer 398
3 正義の味方 ナカザキノブユキ 702
4 叔父の形見のエウリピデス ティーティ 972
5 貝殻 fengshuang 858
6 月冴 白雪 385
7 弱い男 しろくま 1000
8 ブリザード ホプキンス 金武宗基 344
9 SOS 追伸、九時までに 香塔 ひより 519
10 風の惑星[改]~柏木ルイ 朝野十字 1000
11 メルヘンの果て なゆら 920
12 キツネのペンが恋をした 佐野和水 875
13 東京アウトサイド 青井鳥人(あおい とりひと) 966
14 前夜 エム✝ありす 994
15 レディア ロロ=キタカ 987
16 リプレイ 柿谷 1000
17 右脳は微笑する 志保龍彦 997
18 首を抱く 西直 967
19 『ミサイルはいつも大漁』 吉川楡井 1000
20 波間に金の夕日が沈む おひるねX 999
21 取材 euReka 1000

#1

拾ったメイドを育てた

昨日、メイドを拾った。
いや、拾ってしまったというべきか……
とにかくメイドを拾ったんだ。
そしたらどうだ、翌朝には……
俺は味噌汁を頭からかぶっていた。
「キャーーー!ごめんなさい!」
慌てて台拭きを取りに行くメイドを見て嫌な予感がした。
「…………動くな」
「ごめんなさい、ごめんなさい!今拭きます!」
台拭きを流しで絞って、こっちに寄って来る。
そして……
「あっ、ひべぶっ!」
何もない所で足を絡ませて転び、床に顔面を打ち付けて変な声を出す。
その時、台拭きはメイドの手を離れ、俺の顔面にベシャッと直撃した。
俺は台拭きが顔から自然に落下するのを待ち、落ちるとポケットからハンカチを出して頭の味噌汁を拭き取る。
一通り具と汁が取れると、俯せ状態で顔だけ上げて目を潤ませるメイドの前に屈んだ。
「す、捨てないでっ……!」
今にも泣き出しそうな声を出すメイドの頭に手を乗せる。
「捨てたりしないさ、お前みたいな人災が世を歩いているなんて想像しただけで、俺は心配で心配で眠れなくなっちまう」
「人災……」
「そうだ……だから、お前を何処に出しても恥ずかしくないメイドに育て上げる」
「ふぇ?」
変な声を出すメイドの手を引き、立ち上がらせる。
「今日から特訓だ、いいな?」
「は、はい!」



一年後、俺は熟練のメイド教官として世に名を馳せる事になった……


#2

愛は真心、恋は下心

ある日、ある大学の食堂、ある冴えない青年が、ある美しい女性に声を掛けようとしていた。
頬を赤らめながら。

その青年は、友人達とある賭けをしていた。
その女性が青年の告白に、はい、と答えるかどうか、諭吉を賭けていた。


「こんにちは・・・僕のこと知ってますか。」
その女性は、微笑みを返した。
「ぼ、僕と・・・付き合ってください。」
その女性は、少し驚きの表情を見せ、首を傾げた。

陰で窺っていた友人達は、狂喜した。

暫しの沈黙。

「はい。」
女性は、優しい微笑みと共に、言葉を返した。

暫しの沈黙。

友人達の狂喜は、驚愕へと変わった。
落胆は、する暇がなかった。


青年は、友人達に勝った。
数枚の諭吉を財布にしまう青年に対して、友人の一人が言った。
「驚いた。彼女は君のような人が好みなのか。」
その、侮辱とも言える発言に、青年は答えた。
「僕は、彼女が好みではないね。」

青年曰く。
「だって、諭吉1枚で、あんな芝居に付き合ったんだぜ。」


#3

正義の味方

 正義の味方はいつでもどこでも現れて、困った人を助けてくれるんだよね? 「助けて!」の一声ですぐに駆けつけて、ぼくたちも助けてくれるはずだよね?
 それなのに、なぜマーくんばかりを助けるのだろう……。
 林間学校の海水浴で、マーくんが溺れたときは「助けて!」の一声で、すぐに正義の味方が駆けつけてマーくんは無事に岸まで辿り着くことができた。
 運動会のクラス対抗リレーで、マーくんが転んだときは「助けて!」の一声で、すぐに正義の味方が現れてマーくんは無事にゴールすることができた。
 遠足で同級生のアヤちゃんが、お気に入りの麦藁帽子を風にさらわれたときも、マーくんの「助けて!」の一声で正義の味方がやって来て、アヤちゃんの帽子は無事に戻ってきた。
 でも、ぜったいにおかしいよ!
 だって、マーくんは昨日まで夏休みの宿題がぜんぜん終わってないって言っていたのに、今日になったら何食わぬ顔で「正義の味方に助けてもらったんだ」って言って、すべての宿題が終わっていたんだもの。
 そんなのぜったいに正義の味方がすることじゃない! ぼくたちクラスのみんなは、マーくんを取り囲んで問い詰めてやったんだ。
 すると、マーくんの「助けて!」の一声で正義の味方が現れた。今度はみんなで正義の味方を取り囲んで、さらに問い詰めてやった。
「これはいったいどういうことなの?!」
「こんなことゆるされると思っているの!?」
「あなたをみそこなったわ!!」
 みんなに責めたてられた正義の味方は、最初は戸惑った表情を見せていたけれども、すぐにいつもの冷静さを取り戻して、平然とこう言った。
「キミタチハ、カンチガイシテイル。ワタシハ、マサヨシノミカタダ」


#4

叔父の形見のエウリピデス

ぼくがまだ小学生の頃に叔父は重い病を患った。子供がなかったせいか、叔父はぼくの事をとても可愛がってくれた。だから親に連れられ、病床につく彼を見舞った時、叔父はみずからに迫る死よりもむしろ、引っ込み思案でいじめられっ子だったぼくのこれからを気遣った。

「エウリピデスという大昔の詩人の作品に出てくる台詞にこうある」と叔父は言った。「『ここで弱気を起こして、あとでさんざ嘆くよりは、今そなたから憎まれる方がずっとよい』ーーお前は弱気な質だから、この言葉をよく覚えておくんだよ」

それから数日後叔父はこの世を去った。ぼくは生来内気で、何かあればすぐ赤面するような子供だったが、以来この言葉を子供なりに重く受け止めて行動するようになった。
か細い声は発声練習でむしろ太くなり、大きな声は級友達にある種の圧迫を与えたのか、以前ほどからかわれることもなくなった。その事が自信の端緒となり、次第に態度や動作も、鷹揚なものへと変化していった。赤面の癖もいつしか消えていた。その内誰からも一目置かれるようになり、中学や高校では生徒会の役員まで務めるようになった。もうすっかり忘れていたけれど、心の底では叔父が死の間際に残した言葉が鳴り続けていたのかもしれない。

大学は文学部を選んで入った。そしてある日、文学部図書館の三階でエウリピデスの本を偶然目にした時、電流が流れたような衝撃に打たれ、ぼくは久しぶりに昔の事を思い出した。それは『メデイア』という作品で、椅子に腰掛け読み進む内に、ぼくはそこに叔父の形見である言葉を見出だした。

しばらくしてぼくは古典ギリシア語のクラスで一緒になった女の子を好きになり、勇気を出して遊びに誘った。脳裏にはエウリピデスの「ここで弱気を起こして、あとでさんざ嘆くよりは、今そなたから憎まれる方がずっとよい」という言葉が響いていた。何度かデートをする内に、自然とぼくらは付き合うようになった。彼女は優しい女の子で、人の顔をじっと見る癖があった。

ある日カフェで彼女と差し向かいに座り話すでもなく話していると、彼女はぼくの顔をじっと観察しているようだった。
「どうしたの?」とぼくが尋ねると、彼女は「あなたって、よく見ると可愛らしい目をしているのね」と言った。

その時ぼくは、ものすごく久しぶりに赤面し、「そうかな」と笑ったのだった。


#5

貝殻

 便利になった。

 祖母が言う。


 俺からしてみると、携帯電話だって、まったく使いこなせていなく、

手元に近づけたり遠ざけたりしながら、番号を探す。

 メールの送り方、そんなに難しいものではないはずだけど、

教えることはとっくの昔に放棄した。

 便利だねぇ。

 電話ができること。それさえできれば満足そうで、

その満足さに、ま・いっか。と思うことができた。

 携帯電話がない世界。あるいはネットのない世界。

その時代に生きていた祖母を、超リスペクトしてる。いや、マジで。


 自分のことだって、身体痛いとか言っていたりするクセに。

 携帯だって満足に使いこなせていないのに、

 心配しすぎで、ありがたいんだけど、

 もっと自分の心配しろよとイラっときたり。そんなこともあったけど。

 
 でも、小さい頃の思い出にはいつも祖母がいて。

 昔懐かしの遊びで、遊んでくれたりしたんだよね。



 携帯メールに、携帯サイト。

 当たり前のように利用して、メールの返事はすぐに来て、

 24時間、365日。つながろうと思えばつながれる。

 話したい、話ができる。

 アドレス探して、発信。ただそれだけ。

 つながらなくても、履歴があればかかってくる。


 場所の遠いを気にすることなく、皆でアホ話。

 だからあまり考えたことがなかった。
 

 繋がらなくなった電話。

 戻ってくる宛先不明のメール。

 多分登録アドレスで、それらは何件もあるはずだけど。

 それでもそれは今の生活に困らない範疇で。


 

 便利さが不便になった? そんなこと考える俺。

 そしてそうじゃないことも知っている。

 昔紙コップで作った糸電話。

 それでなら通じる?

 あれなら仕組みが簡単で、多分誰でもできるよね。

 
 何でも聞くよ? 望みは何?


 無欲だったから、ないんだよね。

 くよくよするなと言うだけだよね。

 
 どうしようもなくなったら、覚えてる。

 無機質な音より、自然な音。

 貝殻を耳にあて聞いてみるね。

 
 海沿いに面した街の、あの思い出を。

 音に乗せて伝えるから。

 そして皆で話をするよ。

 あの頃の話。かっこ悪い話は割愛で。


#6

月冴

青い傘をさし、彼は駅から歩き出した。
降り積もる雪で、辺りには静かなひんやりとした空気が満ちている。
傘に重みを感じ始めた頃、誰もいない小道で子どもがこちらへ背を向けてしゃがみ込んでいた。
彼は近寄り、小さな背中に声をかけた。

何をしているんだい。

振り向いた子どもの瞳は紅い色をしていた。

雪を集めているんだよ。
雪の水で作る団子は格別だからね。

子どもは手袋もせず、青いバケツに雪をつめている。
彼は黒革の手袋を外して子どもに渡した。
すると子どもは紅い瞳を輝かせた。

どうもありがとう。
団子ができたらきっと届けるよ。

青いバケツを抱えて子どもはぴょん、と跳ねた。
瞬きをすると、子どもの姿が消えていた。


月にいるうさぎは団子を作っているよ

でもね、三日月の時はおやすみ

月が笑っているうちに
うさぎはいろいろと団子の材料を集めるんだって

雪の降る三日月の晩はとくにね


冴え渡る夜空に三日月が笑っている。


#7

弱い男

 春先の君の誕生日を祝うことはできなかった。時々思い出したように謝りたくなる。

 ホラー映画観よ
 またホラーを観たいの?
 ダメ?
 別にいいよ
 イヤ?
 一人で寝られなくなる
 弱いね

 弱いねと言う口元が曲がっていた。格好の悪い癖だけど、無理やり直させようとも思わなかった。
 この日はもっと普通の映画を観たかった。君は君の車のハンドルを握る。薄い青の軽自動車。化粧っけも、おしゃれもしない。ジーンズとカーディガンの何度も見ている組み合わせ。仕事もその格好で行っているのだろう。隣で僕は姿勢を崩して外を見る。僕もいつものスウェット、穿き潰したジーンズ。

 きのうあまり寝られなかった
 そうなの?
 寝不足
 なんで?
 仕事、夜遅くまでやってたから
 大変だね

 弱い事に異論無いけれど、君は弱くないのだろうか。僕も弱いねと言ってやりたかった。言えなかったのは負い目のせいだ。毎日働いている君に、弱いねと言える程、僕は一生懸命に生きていない。難なく弱いと言える男こそ、君と吊り合う男だろう。
 煤がかった小さな劇場。回りに回ってきた映画のフィルムが、最後に行き着くような場所。車を降りて手を繋ごうとすると、君は嫌がってカーディガンのポケットに両手を入れて、小走りに映画館へ入っていった。前を行くのが憎らしいけど、僕達にはそれが合っているように感じる。
 映画を観ている間は手を繋いだ。時折君は繋いだ手で顔を触るから、僕の腕が君の胸に沈む形になった。君の顔をつい覗いてみるけれど、気にも留めず観続けている。違う男と付き合ってからも、またああしているのだろうか。

 どうだった?
 うん?
 この前のほうがおもしろかったね
 そうかもね
 きょう一人で寝れる?
 寝られるよ

 寝られないと言っても何をしてくれる訳でも無い。君といると、つい気を揉む自分が酷く惨めに思えてくる。

 きょうも元気無いね
 君が元気無いからだろ
 そうなの?
 ここまででいいよ
 家まで送るよ
 ここでいい
 そう?

 それならと、君は月極め駐車場に車を停めた。期待と裏腹に、簡単に聞き入れられることも分かっていた。
 青信号が明滅している。足早に横断歩道を渡って後ろを振り返る。風が耳の体温を奪っていく。あの時君は、横断歩道の向こう側、左手をカーディガンのポケットに入れて、僕に右手を振っていた。
 久しぶりにこうやって思い出すと悲しくなる。

 気を付けて 帰ってね
 うん ありがとう


#8

ブリザード ホプキンス

歩く、歩く歩く。

「食べたね。食べた、」


行っては帰り、帰っては行った。


拾っては、捨てた。

ダイヤが石ころに、石ころがダイヤに。


アリゲーターのアリちゃんは、何も語らなかった。
生き方も違ったが、何かを教えてくれたよ。
あと、水場もね。


あと、何かを言おうとしたでしょ!?いつもそんなそぶりで、、


ガガ―ズッ、、緊急、くほ、、ザッザザー



飛んでいた蝶についていき、蝶の大群に出会ったこともある。


見た。知った。矛盾になった。

不思議だった。

不思議を受け入れた。

いや、受け入れようとした。



苦しみは追いかけてくる。


宇宙に溶け込まないとする膜だ。

羊膜は、いつも付いていた。

膜の内で、安心しながら、外に怯える。



ほんの薄い、弱い膜が、破ることができない。


膨張する。息が苦しい。



もがいた。生まれる。


#9

SOS 追伸、九時までに

彼女は俺と夕焼けを見ていた。
瞳の中で、オレンジの点が光っている。

「無人島で遭難したら、何を持って行きたい?」

そんな仮定のはなしになんの意味があるというのだろう。
実際問題、今、我々は遭難の真っ最中であるというのに。

「やっぱり食料じゃないか?」
俺は妥当な答えを返した。
「チョコレートなんか丁度いいな。カロリーがあって、かさ張らないし」


「夢がないなあ」

ひどく残念な物言いをされた。

「じゃあ、自分は何を持ってくんだ」
「生クリームをたくさん使ったショートケーキ」

俺は呆れる。

「なんだよ、自分だって食べ物じゃないか」
「私の場合は、好きなものを言ったの」

なんだよ、その理屈。

「じゃあさ、今度は無人島に持って行きたくないもの」

彼女は俺に訊ねる。
俺はとりあえず回答を拒否する。

「今度はそっちから言えよ」
「え? そうだね。うーん、なにかな。うん、決まった」
「なににしたんだ」
「次郎くん」

虚を突かれた。

「なんで俺なんだよ」
「だって好きだから」
「?」
「好きだから次郎くんまで遭難させたくないもん」

俺は顔を背けた。

「あれ、照れてる?」

後ろから彼女の声がする。俺は耳を塞ぐ。

「はやく救助来ないかな」

耳を塞いでも彼女の声はよく聞こえた。

「九時から見たいドラマがあるの」


#10

風の惑星[改]~柏木ルイ

 ファーストストラクチャーは足の長さが一千メートルにもなる巨大なテーブルだ。風の惑星の人々はみなこのテーブルの上に住んでいる。テーブルの端に突き出た中学の校庭で、ルイは立ち上がり自分の尻を叩いた。彼女は今日ジーンズをはいていた。
「私も飛んでみたい」
「簡単だよ」
 とヒロが応じた。同じクラスのヒロは歴代最年少でこの星で最も栄誉あるグライダーマンに選ばれた。ヒロは小型ハンググライダーを広げルイにベースバーをつかませた。スイングラインをルイの体に巻きつけ、ルイの背後からコントロールバーをつかんだ。高度千メートルの風を受けて翼が起き上がり、ルイの体が少し持ち上がったやいなや、ヒロはひょいと走りふっと離陸した。
 ルイは目を閉じベースバーにしがみついた。背後から耳元にヒロがささやいた。
「力を抜いて」
「だめ、だめ。降ろして」
 ふと背後に人がいる感じがなくなってルイはびっくりして目をあけた。真正面にヒロの顔があった。ヒロはベースバーの下にぶらさがりルイと対面して笑っていた。
「ほら、見て。この風がぼくたちを乗せてくれているよ」
 ルイは顔を上げた。視界全体が青い空だった。
「学校はどこ?」
 ルイは悲鳴を上げた。ヒロが急にルイの右手側に体を寄せ、ハンググライダーが右に急旋回したからだ。青い視界の中に遠くファーストストラクチャー全体が遠望された――突然こんな空のかなたに――ルイがそう考える間もなく、ヒロが再びルイの背後に回って、コントロールバーを両手でつかんだ。一転してぐんぐんファーストストラクチャーが拡大してきた。眼下についさきほどまでいた中学校をやり過ごし、正面に電波塔が迫ってきた。電波塔の頂上にはぐるりリング状に椅子が取り付けられていて人々が羽を休めることができるようになっていた。そこは恋人たちの人気スポットで、いつも一定間隔でカップルたちが座り、ファーストストラクチャーの眺望を楽しんでいた。ヒロはひらり着地し、ハンググライダーを足元に引っ掛けて、ルイと並んで電波塔のてっぺんに腰掛けた。
 地球からの転校生、ルイは、強引にクラスの女子たちを牛耳ろうとしたことが仇になって、今ではクラスのまとめ役のエミリと対立し、孤立していた。――エミリを封じ込めなければならない。そのためにヒロを利用できないものか……。
「寒い?」
「いいえ」
 でもきっと寒いのだろうとヒロは思った。ヒロはルイを優しく抱き寄せた。


#11

メルヘンの果て

勇ましく、先頭に飛ぶのが王だ。続いて、側近、下っ端、料理係、野次馬、銀蝿など群れを成してある民家に向う。王の指揮のもと、統率の整った軍隊さながら、一糸乱れぬ隊形で。すべては本能に組み込まれている王の命に従い、彼らは唸りをたてて飛んでいた。民家、石原家の面々はそんなことはつゆ知らず、一家団欒でTVなどをぼおっと眺めていたり、CDを大音量で聞いていたり、それぞれ、平日の夜のくつろいだ一時を楽しんでいた。石原家台所にある、虫かご内、きいきいと音を立てて虫かごのプラスチック壁をひっかいているのが、王の息子。王はその息子を取り戻す為にわざわざ、山から飛んできたのだ。この軍隊を率いて。たかが息子のために、軍隊で飛んで来るなんて聞いた事もない、とあなたは思うかもしれない。しかし、この王、人一倍人情に厚い王だった。さらに、息子、これが天才で、間違いなく成長すれば、天下を取れるほどの寵児であったのだ。その天才ぶりは、生まれて2日で3ヶ国語を操り、4日目に飛び級で大学に入学したし、5日目に核兵器の概念を思いつき、6日目にクローン技術に成功、10日目に不老不死の薬を作り出したあと、無残にも阿呆丸出しの石原とおるの毒牙に啄ばまれたのだ。いくら不老不死の薬を飲んでいようが、人間の前で幼虫は無力であった。というよりも空気を読んだのだけれど。嘆き哀しんだ王、これまでも息子を拉致される事は何度もあった、その度に深く嘆き哀しんだ。しかし、相手は巨大な人間である。地球を支配する人間である。我々が太刀打ちできる相手ではないのである。そう考えて涙をのんだ。しかし、しかし今回は違う。成長すれば人間など容易く凌駕できるほどの天才、今こそ、立ち上がらなければ種族の、甲殻類の血が絶えてしまう。そうだ、さあ、みなのものいくぞよ、と王は呼びかけた。いやいや無理っしょ、相手人間っしょ?と最初は渋っていたみなのものも、王の説得、そして、未来をかけてみたいという希望、そういう甘っちょろい感情に突き動かされて立ち上がったのだ。この支配からの卒業をするのだ。そうこうしているうちに王の鋭い角が窓ガラスに突き刺さり、少々割れたそのすきまに挟まってしまい王、動けんようになって


#12

キツネのペンが恋をした

 彼女は小さな小さな銀色のスプーン。触れると冷たく、叩くとチンと硬い音を奏でる。その体いっぱいで光を反射させてキラキラと輝いて、見つめている者をニッコリとさせる不思議な力があるような美しさがある。

 ペンは彼女に一目惚れをした。しかしペンは北ギツネだから、この恋心が報われないと分かっていた。
 それでもペンは彼女の事が好きだった。しかし彼女は小さな小さなスプーンだから、この想いが届かない事をペンは感じていた。
 それでもペンは深い愛情を持って、小さな小さなスプーンを見つめてしまうのだ。

 ペンは考えた、どうすれば彼女と仲良くなれるのかを。そして、彼女と釣り合える存在になろうと思いついた。

 始めに『マスクメロン』になろうと試みた。しかしあの網加減が難しいので、ペンはマスクメロンをあきらめた。
 次に『レアチーズケーキ』になろうと試みた。しかしチーズ嫌いなペンにはレアチーズケーキに変化(へんげ)する事が出来なかった。
 その後いくつかの物に変化を試みた。彼女が心を開いてくれる物、そう思える物すべてに変化してみたが、彼女は心を開いてはくれなかった。


 最後にペンは、自分の持っている変化の能力をすべて使って『バニラアイス』に変化した。とっても甘く、口に入れるとクリーミーな味を残してス〜っと溶けてしまうバニラアイスに。
 そして彼女のそばに近づいた。

「そんな……。あなたを信じていたのに、どうしてそんな事を……」
 彼女はようやく心を開いてくれた。しかし悲しそうに、辛そうに泣いていた。
「ワタシはスプーン。ですからバニラアイスのあなたを傷つけてしまう。かといって、何もしないとあなたの体は溶けてしまう……。ワタシはどうすればよいのでしょうか……」
 彼女は泣きながらそう言い残して、ペンの前から消えてしまった。

 ペンは彼女に恋をしていた。しかしペンは北ギツネだから、そして彼女は小さな小さなスプーンだから、二人の恋は儚く終わりを告げられた。
 それでもペンは彼女が好きだから、今日も彼女を待って、変化の葉を集めて考えている。そして彼女が戻って来る事を信じている。


#13

東京アウトサイド

「あれ見えます?モノレールの線路が、あそこから急に円形のカーブになってるでしょう?」
「え?ああ、見えるよ。」
「あれ、ワザとあそこで電車を周回させるために作ったんですって。本当なら、ほら、もっと手前のあそこから一直線に繋げば早いじゃないですか?時間だって節約できる。観光客に東京を全部見せるために、わざとああいう風に作ったんですって。友達がその工事のアルバイトをしてて、教えてくれたんです。」  
お台場の側から、川を挟んで向こう岸に見えるビルの群れは、まるで東京の外側を守る、黒い壁のように見える。その屋上には、様々な会社の巨大な広告が夜中にも関わらず、赤々とライトアップされている。「ポンジュース」「DHC」「三菱地所」「週刊ポスト」
まるで、東京には何の危険もありませんよと言うように、人々に笑顔で訴えている。
「へえ、そうなんだ。知らなかった。」
「でも、俺は逆だと思ってるんです。」
「逆?」
「本当は、観光客が東京を見るためじゃなくて、そこを通る人間を、東京が品定めしていると思うんですよ。こいつは危険だ、こいつは金を落としていく、こいつらは何の害もない。ってね。そうやってこの街は、誰にも気付かれないように、いつの間にか、人を外に外に締め出していくんです。締め出された方は、東京に追い出されたなんて思っちゃいない。自分のせいだと思いながら、この街を出ていくんです。それってなんか、怖いっていうか、卑怯だと思いませんか?」
休憩はあと5分で終わってしまう。他のアルバイトたちの中には、疲れきって横になり、顔を手で覆っている者もいる。こんな夜中に作業をするようには、人間の体は作られていないのだ。それでなくても、ビルのフロアの移転という仕事は、いくら体力に自信があってもキツいというのに。2人もクタクタになって、荷物のなくなった35階の窓から外を眺めている。
「なかなか面白い考えだね。それ。東京が人を選ぶ。」
「おれはもう、締め出されたのかもしれません。ここにいるとそう思えてきますよ。」
「じゃあ僕も締め出されたってことか。でも、もしかしたら、最初からこの街は、誰のことも受け入れる気なんてないのかもしれないね。」
2人はもう一度、モノレールの線路を見る。なだらかな曲線は、目を凝らして見ないとその姿が見えないほど、東京の夜の闇に溶けている。


#14

前夜

(この作品は削除されました)


#15

レディア

 レディアは起こされたが起きたくなかった。じいが執拗に起こして来るのだが。レディアは漁師の納屋で寝て居る。漁網を敷布団にして掛け布団にもする。太い釣竿を枕にして眠る。レディアは眠って居る時は二本の足が人魚の様に魚の尾っぽになって居る。立ちあがると二本の足に戻るのだが、寝て居る時と怒った時には魚の尾っぽになる。じいの今日の起こし方は何時もよりより一層執拗な気がする。確かに何時もしつこく起こされるのだが、レディアも頑張って寝た振りをし続けると、じき諦めてくれるのが習慣みたいなものだったのに。
 「レディア様、今日は魔獣族の特別研修の日ですぞ」
 あ、そうだった。魔獣小学校が夏休みに入って、油断して居たけど、私らエリート血統の魔獣族らには夏休み関係無しで特別研修の予定がびっしりだったわとレディアは思いだした。
 と、ここまで沈思黙考で、ぴくりとも動かずに事の次第を思いだして居ると、じいはしびれを切らしたのか、納屋に入って来たかと思うと右手をレディアの方に向けて右手のひらから光線を発射した。
 「いてっ」
 レディアは頭を掻きながら起き上った。
 「いつつ」
 「レディア様、如何に魔獣族と言えども、一般人と共存して行かねばならぬ現代においては、油断大敵ですぞ。特に我々はエリートの血縁、魔獣大将軍の裔(すえ)なのですから、修練を怠ってはなりませぬ」
 じいは堅いなとレディアは思った。普段なら、レディアが納屋で昼寝をしていると、
 「納谷悟朗が好きなのですか。仮面ライダーのヴィデオを見ましょう。彼が首領の声をやっとりますわい」
とか、一緒に納屋でヴィデオを見て居ると急に納屋の壁を手の平で叩き出して
 「納屋は英語でバーンと言いますのじゃ。バーンバーンとじいが壁を叩いとりますわ」
 とか言い出したりするしゃれの分かる人だったのだが。
「レディア様。ちまたで今流行りの超能力少女などと呼ばれていい気になってはいけませぬぞ。修練を怠るとご先祖様の栄光に泥を塗る事になりますぞ」
 レディアは既に起き上がって二本の足に戻って居たのだが、再び人魚の様に二本の足を魚の尾っぽに戻してぴちぴち、じいの右頬と左頬を張った。
 「これ、今流行りのなどと言うでない。わらわの心が傷付くではないか。メンタルダメージはそく、魔獣族の能力に響くと言うのに」
 レディアは怒って二本の足を魚の尾っぽと化したのだった。


#16

リプレイ

 私は会社を辞めて実家に戻った。どす黒く不定形の靄を抱え、さめぬほとぼりを待つ。
 散歩がてら空を見上げるも焦点は蚊柱に奪われる。煙草屋の母は自販機に変わった。気付けば私は懐かしい通学路を歩いていた。
 閑散とした住宅街の、そこだけ落ち窪んでいるような翳りの中に平屋はあった。鬱蒼と茂る生垣に隔てられ、薄暗い中に縁側が張り出している。仏間の位牌の隣に柔和な表情を浮かべた老爺の遺影が立っていた。犬を飼っていた老爺だ。

 昔、川原に棲み付く犬に火をかけ、追い立てて狩り回す遊びが流行っていた。啼き声が面白いのだ。適度に暴れるのもなおいい。あるとき、この老爺は私たちの見る前で犬を持ち帰った。ところどころ禿げ上がり皮膚病を患っていた犬は、庭に繋がれ、日増しに健康になっていった。
 門前で、犬はとりわけ私に対してよく吠えた。門越しであっても吠え立てられるのは空恐ろしく、黙らせようと決意する度、窓の向こう側に見えない視線を感じて止めた。
 学生の時分、帰省した私は、故郷の気安さにかまけて犬の様子を見に行った。犬は年老いた雰囲気を滲ませ、それでも私を嗅ぎ付けるとけたたましく吠え立てた。どうやら記憶は時間では消えないらしい。私は柵を乗り越えて庭に忍び込み、唸りを上げる犬を蹴り上げた。固い筋肉の鎧は濡れたサッカーボールのようで、夢中になって追いかけた、ただ追うだけで笑えていたあの頃を思い出した。牙を剥いて猛り狂った犬は鎖を引き千切らん勢いで飛び上がり、けれども空中で静止、慣性で身体だけが投げ出され、首輪に締められもんどりうった。曲がった笛から捻り出した様な間抜けな悲鳴が楽しく、離れてからも大声で笑った。笑うというのは気持ちの良いことなのだと思い出せた。
 いつか老爺が死に、犬は鎖を外された。犬は自由な時間を横になって過ごし続けた。時折両足を震わせながら立ち上がり、緩やかに体勢を変えて気だるそうに丸まる。私が近づくと億劫そうに片眉を上げた。もう吠えなかった。守るべき主、恩を返す相手なき今、私など物の数ではないのだ。

 私はかつて犬のいた庭を眺めながら、咥えた煙草に火をつけるのを躊躇っていた。煙草を箱に戻そうと詰め込んでみても、中ほどまで押し込んで二つに折れた。どこぞの電信柱に子犬進呈のビラが貼ってないものか。もし見つけることができたらちょっと電話してみようか。折れた煙草を銜えなおしてそんなことを思った。


#17

右脳は微笑する

 小さく可愛らしい女性。それが双子のマニー姉妹の第一印象だった。予定では姉妹二人とも来るはずだったが、眼前には一人しかいなかった。だが、確かに二人いたのである。
「どうも、弁護士のゴドワードです。ええと、失礼ですが、もう一人はどうされました? つまり、お姉さんか、妹さんは」
 私がそう訊ねると、女性は微笑を浮かべて、右手を差し出してきた。私がそれを握ると彼女は目尻を緩めて、
「アデーレ・マニーよ。よろしく弁護士先生」
「よろしくアデーレ。それでミデーナは?」
 私がそう言うと、アデーレは右手を引っ込め、今度は左手をスッと前に出して、
「ミ、ミデーナ・マニーです。よろしくお願いします、先生」
 全く同じ声音で、且つ全く違う口調で彼女は言った。私はぽかんとして空中に制止している左手を凝視していた。間抜けに口を開けたまま、私の脳味噌は様様な可能性を考えていた。悪戯か、解離性同一性障害か、それともホンモノさんか? 
 困惑する私に、アデーレは非常に慣れた調子で説明をしてくれた。
「私たちの人格は左脳と右脳に独立して存在するの。だから右半身は私アデーレの領分。左半身は奥手のミデーナの領分なの。顔はどちらの物でもあるけれどね。喋りは私の担当よ。ところで、先生。早速お話をしましょう。犬の糞より下らない男の話を」
 いまだに納得出来ない私を余所に、彼女達は訴える予定の恋人の不誠実さを懇切丁寧に教えてくれた。聞けばあまりにも馬鹿げた話で、彼女達の恋人は、二人の人格のことを理解した上で(恐らく不真面目に)、左半身だけを、つまりはミデーナだけを愛撫するというのだ。不平等なので平等に二人とも愛せという主張らしい。私はこの冗談事としか思えない相談に辟易しながらも、きちんと報酬分の仕事は果たした。彼女達とは何度も話をした。
 彼女達の右半身が、アデーレが恋人を斧で惨殺するまでは。
 彼女達は裁判で死刑判決を受けた。しかし、お優しき陪審員とキチガイじみた人権団体と神の手を持つお医者様がそれぞれに見事な仕事をした結果、死刑を執行されながらも、彼女は生き残った。電気椅子で黒こげになったのは、アデーレだけ、彼女達の左脳だけだったからである。
 刑の執行後に一度だけ、私は彼女に会った。
 麻痺した右半身を引き摺り、歪な微笑を浮かべながら、ミデーナは言った。姉の残滓の言語能力で。
「こここれ、で、やと、わたあたし……ヒと……リ」


#18

首を抱く

 膝を突いて座った先に、目を閉じた彼女の頭がある。彼女のほうに伸ばした自分の手を、わたしは他人のもののように感じながら眺めている。彼女の肩にかかる長さの髪は、わずかに乱れていて、幾筋かがほんの少し左を向いた右頬に貼りついて、毛先が首筋をくすぐりたそうに流れている。寝巻きにしているらしいTシャツの首回りはよれていて、その向こうにある白と小麦色の肌が、呼吸のたび微かに上下している。
 わたしは彼女の肩の上に指を近づけていく。細い肩のくぼみに指を触れさせて、数センチ向こう、皮膚の下の骨を感じられるところに、つっと滑らせていく。そこから横に指の動きを変えて、かたくなめらかな骨の、やわらかな曲線をなぞる。Tシャツの布に行き当たったところで、指は彼女から離れる。んっ、と小さく鼻を鳴らす音で、彼女の寝息は一旦途切れ、しかしまた安らかで規則正しい寝息が聞こえ始める。わたしは気を落ち着かせるために、ふうっと細く息をついた。
 彼女の体は夏の薄い掛け布団に覆われて、けれど生身の右足がはみ出て太ももの半ばまであらわになっている。ゆるくまるく曲げられた右膝が、布団の中にある左足のほうに傾いて、かわいらしい感じになっていた。
 彼女の安らかな寝息と、傾いた膝のかわいらしさに、ただこのまま眺めていたい気持ちも抱いたけれど、わたしはまた彼女のほうに手を伸ばした。左右の耳を覆うように、そろりと挟むように持ち、左に傾いていた彼女の首を、同じほどの角度だけゆっくりと右に傾ける。続けて左に傾きを戻し、また右に傾ける。繰り返しているうちに、きこきこと継ぎ目の軋む音が聞こえ始める。引く力を加えながら、壊さないように、おそるおそる傾けることを続けて、そうしてふいに、軋みが軽くなる感触を覚えて、わたしは傾けるのを止めた。
 彼女の首を引いて持ち上げると、両手にずしりと頭の重さを感じた。息が詰まり、胸の芯がじわりと熱くなる。わたしは左手の上に彼女の頭をのせ、右頬にかかっていた髪を右手の指先で撫でて整えた。逆向きに持っていた彼女の頭を、耳の後ろの髪に指を差し入れるようにしながら持ち直す。彼女の寝顔を申し訳ないような気持ちで正面に見つめて、しばらくその安らかな寝息を聞いてから、わたしはそろそろと彼女を引き寄せて、とても大切なもののようにして、そっと胸に抱いた。


#19

『ミサイルはいつも大漁』

 今でこそミサイルは獲るものではなく育てるものになったから、海に出ることはまずない。幼いときには海から帰る親父を防火堰で出迎えたものだ。今日も大漁だったと拳を掲げ、豪快に笑う親父の姿が目に焼きついている。
 そんな親父の体に腫瘍が見つかった。

 養殖技術の発達は我が家に十haの養殖場を持たせ、より裕福にさせた。
 場内が静かなのは昼休みだからだろう、生簀のなかの水音がやかましく感じるほどだ。親父はただじっと生簀を覗きこんでいた。俺が隣に立っても見向くことすらなかった。
「立入禁止だぞ」
「もう子どもじゃない」
 忍び込もうものなら雷を落とす勢いで怒鳴り散らしてくる親父ではもうなかった。侵入を心待ちにしていたような気配もある。
「週末にゃこの半分が出荷するんだ」
「全部でどんくらい」
 四百ばかし、と親父は自慢げに言う。十数個の生簀に張られた海水のなかを貪るように泳ぐ、独自進化で水没も錆付きもしなくなった、鉄の塊。艶やかな灰色の体色こそ金属のそれでありながら、うねうねと蠢く様は大きなナマコのようなミサイル。傍から見れば気味の悪い半機半魚の化け物だが、親父にとっては手塩をかけて育てた宝だ。その鍾愛は時に俺への愛より強いのではないかと思うこともある。
「やっぱ大変か、育てんの」
「そりゃな。特に稚魚は表皮が薄いから、ぶつかり合った衝撃で爆発しちまうこともある。臨界点を見極めんのもでけぇ仕事だ」
 ごきゅごきゅとこすれて鳴る金属音は威勢のいい証だという。耳障りだが、親父には愛くるしく聞こえるのだろう。
「俺にも出来っかな」
 あしらわれるのも承知で鎌をかけてみた。親父は、んん、と声でない声で返事を探っていたが、じきに予想したとおりの答えを返してきた。
「無理だな」
「どうしてだよ」
「漁業は専門知識の連なりだ。今や経営術にも秀でてなきゃならん。技術経験も要る。そのうえ特別コイツは、覚悟がいんだ」
 ミサイルの出荷先は好戦国だ。嫌戦国を名乗って久しいこの国では想像もし難い戦地、地獄のような土地で多数が一生を終える。
「大事なのはな、戦争がなきゃ俺らも生きちゃこれなかったてことだ。子が食らう飯一口のために、他人の命とてめえが育てた命を犠牲にしてな。その覚悟、あんのかよ」
 返答に窮していると、意地悪く親父は笑った。
「死んでも死にきれねぇぞ、この職は」
 そう言って昔と同じ笑顔をうかべ、癌に巣食われた胸をさするのだった。


#20

波間に金の夕日が沈む

大きい重たいないんてまったく問題にならない。技師長が力んで説明して、そうなのか、と、一同納得し

てしまった。

 事の始まりは、石油がなくなったことだった。大昔は石油のために戦争をした。だが、ないものは争い

ようがない。幸いにニッポンはたくさんの火山があった。イキのいいのはボンボン煙を上げて燃えている

。しかし、そんなものがない国もある。そこで、わずかに残った石油資源を使って貴重なプラスチックを

バッテリーにしたつまり電池をタンカーの腹いっぱいに詰め込んで運ぼうというのだ。

 船はゆっくり海上の発電素子を廻って電力を取り入れ、バッテリーコンテナを一杯にする。

「やっぱり、あんなでかい船は役に立ちませんね」 浜辺に寝そべって矢島が、批判した。
「そういうなよ。タンカーを何かに使うのがね。やらなきゃいけないことだったのさ」木野俣が言った。


「ある程度大きくないと、このあたりには台風が来る。木っ端微塵に吹き飛ばされてしまうぞ」

「まあ、このあたりじゃ、電気だってそんなに使うわけもなし。小さい船をつかって、バッテリーを積み替えたらどうです」矢島はなにか、言いたいことが腹の中に詰まっているらしい。


「そんな、……、いったい、誰が小さい船を作るんだ?」
 木野俣は矢島の気持を察していながら、いい加減にしてくれ。そんな思いだった。

巨大な船腹はがんがんクーラーをかけて冷やして朝夕の湿気の多いときぼや〜と、霧の衣をまとうほどだ。

「ああ、おれも地熱発電のほうに廻りたかったなあ」矢島はぼやいた。「いま富士山を斜め掘りしてるらしい」

 矢島のいかにも、うらやましそうな口ぶりは。木野俣の無念ごころにもひびく。タンカーの底がさびで穴があくまで、波の荒い日本海暮らしだ。

 発電素子は小さいから、ぐらぐらゆれて、波の力を吸収する。そんなものがいっぱいつながっている。故障したら取替えに行く。馬鹿らしい仕事だが間違えたら死ぬくらい危ない。ロボットのやるような仕事だ。


地下のマグマを呼び出す。掘削のほうがよほどやりがいがある仕事だろう。間違えたら富士山を爆発させるかも知れない。そんな緊張感がある。

まあ、休火山を掘ったところで、地殻に穴があく失敗など起こるはずはないが、そういう可能性もあるというだけで、仕事にハクがつき、緊張感が生まれ、やりがいを感じことができるのだ。

 そろそろ、夕日が波間を照らす。ああ、つまらない一日が終わっていく。


#21

取材

 原発さえなければ、と老いた酪農家夫婦は吐き捨てながら、糸が切れたように肩を落とすと夏草の繁る地面に頭をうずめそのまま動かなくなってしまいました。
「大丈夫ですか」と私は言って取材のマイクを夫婦に向けたのですが、牛舎の牛はモーと鳴いているばかりだし、ときおり小高い山から鳥の鳴き声が聞こえてくるのでした。
「事故を起こした電力会社に対して何か言いたいことはありますか? もしもし? いま国に要求したいことは? もしもし?」
 私は仕方なく、ぴくりとも動かなくなった酪農家夫婦を敷地の奥にある母屋まで運んでいきました。次の取材地までは結構距離があるし、車へ乗り込んだ私は逃げるようにその場を後にしました。

 のどかな田舎道。赤いトラクターが時間を忘れたようにゆっくりと緑の田園の中を動いていました。私は途中で、大袈裟な防護マスクを装着した白装束の集団を通り過ぎたのですが、半キロほど車を走らせたあとやはり気になって車をそのままバックさせました。
「あのすみません。取材してもよろしいでしょうか?」
「取材はちょっとね……。あたしたちは米国政府から派遣された調査団なの。それ以上のことは話せないわ」
「では伺いますが、いまだに多くの人が生活しているこの地域の放射能汚染について、専門家の立場から意見を」
 ふいに車のボンネットの上に蛙が飛び乗ってきました。
「まずは専門家の言うことを、疑うことから始めるべきね。蛙さん」

 私は次の取材地に向かって車を飛ばしました。都市へ近づくにつれ、私は気分が悪くなってきました。夏バテのせいかもしれませんが、取材を申し込んでいた少年野球チームと合流したときはもう息が絶え絶えで、チームの監督は顔が真っ青だと言って私を気遣ってくれました。子供たちは炎天下のグラウンドで大きな声を出しながら守備練習をしていました。
「さっそく、野球チームの放射線対策について伺いたいのですが」
「それよりあなた、少し横になったほうが」
 私は我慢しきれなくなってグラウンドの隅で嘔吐しました。すると突然低いエンジン音が聞こえてきて、岩のような装甲車がグラウンドに侵入してきました。車のハッチが開くと白い防護服を着た連中がぞろぞろと這い出てきたのですが、よく見ると彼らの手にはバットやグローブが握られていました。
「いったい何が始まるのですか?」
 子供たちは黄色いユニフォームを着て整列していました。
「交流試合です」


編集: 短編