第106期全作品一覧

# 題名 作者 文字数
1 I Was Young And I Needed The Money! キリハラ 999
2 偽善偽悪物語 普通電話代金 696
3 タロサ海に行く 甲斐千春 987
4 黒猫のサイン 和泉翠 1000
5 祭りの夜 カルシウム 996
6 ミルグラムの実験 Qua Adenauer 1000
7 和尚だからって一人称をわしと言わん なゆら 321
8 論語 金武宗基 571
9 銀行ごっこ 足跡 75
10 森の狼 彼岸堂 1000
11 アルプス9998 ハードロール 998
12 神様 しろくま 1000
13 うそつきは泥棒の始まり 堀口 863
14 幻影の街 出口 成明 1000
15 思い出がいっぱい エム✝ありす 1000
16 7月8日(金) ロロ=キタカ 934
17 六畳二間、十五年 柿谷 900
18 お留守番 西直 1000
19 汗と灼熱 おひるねX 439
20 崩壊 euReka 1000
21 『頭蓋蟹の恐怖』 吉川楡井 1000

#1

I Was Young And I Needed The Money!

「朝ちゃん、何で時報機技師になったの」
「音と機械が好きだから」
 素っ気なく答える朝子の前髪はカチューシャで整えられ、あらわになった額に汗や油が無軌道な模様を描く。
「ゆかりも働け。台車の調整」
「あい」
 よろよろ起き上がったゆかりの視界を全高五メートル、長径十メートルのホーンスピーカーが占領する。赤銅色の胴体は日射しを阻む代わりに初夏の熱を存分に纏って、さながらサウナストーン。
「ビール温い」
「クーラーボックスに入れておかないから」
 摂氏三十五度の引き込み線は、バラスト石や粗末な車庫、有刺鉄線によって国道の賑わいから隔てられている。空は低く、歩道を行く学生はあらゆる物を団扇に変えようと苦心し、時折二人と古いスピーカーを物珍しげに見る。
「移動式時報機だよう」大声を上げ、レンチで車輪をがんがん叩く。立ち止まっていた学生が驚いて逃げ出した。
「可哀想なことするなよ」
 ビールを飲み干し、罪のない笑みを浮かべるゆかり。クーラーボックスの三本目を開けると安堵のため息が漏れる。朝子はスピーカーの正面に上半身を突っ込んだまま細かな作業に集中する。神経質に禁煙パイポを齧る音は、錆びた金属のビブラートにかき消される。
 一日四回、線路から轟くノイズ混じりのサイレンは、太陽、月、汐と共に生活の節目を担っている。
「もっとましな音が出せないもんか」
「都会の方は新型の時報機が入るんだろうけどねー」
「お古だって部品さえあれば」
「エフェクタとか付けられるのかな」
 正確な時刻に人々が飽きたのは母が生まれた頃と、朝子は覚えている。
「どっちを向いても電波時計だったって」
「お婆さんの話? ボク達も学生時代は楽器に囲まれてたじゃん」
「今も部屋はそうさ。まあ、そう、確かに以前とは違う」
「プロ目指してたもんね」
「若かったし、金が欲しかったんだよ」
「スピーカーいじることになるとは思わなかった」
 朝子はホーンの口を思い切り叩いた。
「大して変わらない。いつだってラウドスピーカーと睨めっこしてんだ。バンジー、ア、ゴー、ゴー!」
「ドラムス、朝に生まれた朝子!」
「リードギター、紫と書いてゆかり!」
 汗を閃かせ、二人は出鱈目にスピーカーを殴る。国道から主婦が横目で睨んでいる。
「よし、試験やるぞ」
「あい。スゥウィッチオーン」
 油汚れの目立つ赤ボタンを勢い良く押し込むと、車庫より大きな移動式時報機が震え、ゆっくりノイズを吐き出し始めた。


#2

偽善偽悪物語

向かい合う少女と少年。
少女の手には重量感のある斧。
少年の手には重量感のある杭。
その少女と少年は姉と弟である。
姉が問う。
「やらない善とやる偽善、どちらが善いと思う?」
「やる偽善」
姉が問う。
「やらない悪とやる偽悪、どちらが悪いと思う?」
「やる偽悪」
弟が問う。
「善と悪はどう区別する?」
「主人公が善で敵対者が悪だよ」
弟が問う。
「性善説はどうなる?」
「そこで出てくるのが偽悪者だよ」
弟が問う。
「性悪説はどうなる?」
「そこで出てくるのが偽善者だよ」
姉と弟が同時に問うた。
「私は偽悪者だけど、あなたは主人公?」
「僕は偽善者だけど、あなたは敵対者?」
姉と弟は同時に笑った。
嘲笑と憫笑を混ぜた笑いだった。
姉が言った。
「そろそろ、始めようか。私は偽悪者で敵対者であなたの姉だ」
弟が答えた。
「そうだね、始めようか。僕は偽善者で主人公であなたの弟だ」
二人は互いに持つ武器を向ける。
もう言葉はなかった。
もう問答はなかった。
そして、同時に二人は互いを殺し始めた。



勧善懲悪の物語には主人公がいる。
勧善懲悪の物語には敵対者がいる。
主人公は偽善者であった。
敵対者は偽悪者であった。
物語には双子が登場した。
仲の良い双子が登場した。
その双子は主人公と敵対者に選ばれた。
姉は敵対者だった。
弟は主人公だった。
物語に選ばれた姉は偽悪者に成った。
物語に選ばれた弟は偽善者に成った。
これは、勧善懲悪の物語。
そして、悪人に成れず、善人に成れなかった双子の物語。



「もう戦えないから帰るね」
「そっか、じゃあまたね」
双子は互いに手を振って去った。
戦いは引き分けた。
何百回目の引き分けだった。



これは永遠に終わらせない、双子が織り成す偽善偽悪の物語。


#3

タロサ海に行く

 タロサは雑種犬ながら人の言葉を理解し、嗅覚も他の犬の十倍もありました。
先日も山で雪崩にあったおじさんを雪の中から探し出し、助けることができました。
そして今ぼくは山を下り、次の冒険先を海と決めました。
 「ザブザブ、ザブーン」
波の音が聞こえ出しました。するとどうでしょう。丘を下ったさきに見たこともない大きな海が広がっていました。
 「これが海か、なんて広くて大きいのだろう」
 ぼくは大喜びで海に飛び込み、犬かきで初めての海を思いっきり楽しみました。
 「ああ、気持ちいいなあ。体がぽかぽか浮いて、空と海の水が同じ色だ」
 ぼくは時を忘れ、大海原の流れに身をまかせていました。そんな時です。遠くかすかに
 「助けて、助けて・・・」
と、弱弱しい声が聞こえてきました。
 ぼくは目、耳、鼻の全てに神経を集中させました。
 「いた!」
 沖のブイの近くで幼い男の子がおぼれ、今にも海の底に沈んでしまいそうでした。
 「今助けに行くからね!」
 ぼくはできるかぎりの犬かきで、男の子の元に急いで泳いでゆきました。
「あ、危ない!」
男の子が海に沈みかけた時、何とかぼくはその腕をくわえ、自分の背中に引きずりあげました。
 「キャー」
と言う、お母さんの声が聞こえます。
 ぼくは力の限り泳ぎ砂浜を目指しました。
お母さんは腰まで海に駆け寄り男の子を救い上げました。
 すぐさま男の子は監視員の人に人口呼吸をされ、病院に運ばれました。
 その後が気になったぼくは救急車の後を病院までおいかけました。
 それから丸一日ぼくは駐車場の片隅で男の子が入院している病室を眺めていました。その夜男の子は元気に退院してきました。
 お母さんはいち早くぼくに気づき
 「あー息子の命を救ってくれたわんちゃんね。なんとお礼を言ったらいいのか。そうだ、これから我が家で一緒に暮らさない?ねえそうしましょうよ」
 しかし、ぼくは首を縦には振りませんでした。
まだまだやり残したことや、冒険をしたいことがたくさんあるからです。
 「ウオ、ウオーン」
と鳴くと、お母さんも理解してくれたのか、
 「そうか、まだ旅に出たいのね」
そう言うと、僕の首におむすびをさげてくれ、小さな涙を一粒流し、そっと手を振ってくれました。
 ぼくもなんだか目がかゆくなったと思ったら涙が止まりませんでした。
 またいつの日か、この海に帰って来るかも知れませんが、ぼくはまだ旅を続けます。


#4

黒猫のサイン

雨の夜、私はその男に拾われた。
「おいで」と手を差しのべられて、寒かったから付いて行った。彼は目を細めて私をぎこちなくなでた。答えるように、私は一つ鳴いた。
男の家でお風呂に入れられると私は大分綺麗に、そして元気になった。
「君、元気になったら、黒い毛並みがとても綺麗だ」
男はまた目を細めて笑った。今度は慣れたように私の頭をなでる。私も一声、それに応えた。
男は高野と言うらしい。桐生高野。変な名前。名前と違わず、彼自身も蒼い髪に灰色の目といった不思議な容姿をしていた。
何もかも真っ黒な私とは全然違うのね。そう思うと何だか悔しくて、私はぷいとそっぽを向いた。
「黒猫ちゃんはきまぐれだなぁ」
高野は呆れたように言って、ご飯にしようか、と提案した。
ぴくり。私は大げさに反応して、しっぽを振って食卓に着いた。
「現金なヤツだなぁ」
彼はそう呟いて、美味しそうにご飯を咀嚼する私をぼんやり眺めていた。
ここに住むといいよ、と誘われて、ご飯が美味しかったからしばらく居てやることにする。
銀の首輪を与えられ、私は彼の所有物になった。
けれど特にどうといったこともなく、私は相変わらず部屋を歩き回ったり、昼寝をしたり、たまに高野に甘えてみたりして過ごしていた。
高野は飽きもせずに私をなでて、笑って、ご飯を与えて、甘えられてはデレデレしていた。

そのうちにまた雨の季節がやってきて、私は雨をぼーっと眺めていた。漆黒の瞳には憂いが浮かび、心なしか毛もしっとりして見える、気がする。
そんな私を心配した高野に後ろからひょいと持ち上げられた。
「君、ご飯はちゃんと食べているはずなのにやけに軽いなぁ」
そんなことを言って、私の瞳を覗き込んできた。
 黒い瞳と灰色の視線が合う。キュっと私の目がつりあがったのを確認して、
「おーこわいこわい」
と放した。
ツンとそっぽを向いて、そのまま高野を無視するつもりだったけれど、
「おいで」
その言葉に、私は弱い。
振り返り、あくまでも不本意だぞ、という雰囲気を醸し出してしずしずと近付く。
雨の日の私は、どうしてもあの日のように彼に依存したくなるのかもしれない。
私をなでる彼の手が好きだ。
「すっかりなついたね」
安心しきって身を任せる私を、高野は眩しそうに見つめた。
「そろそろ、サインしてよ」
そう言って差し出された紙。
ちょっと照れたのを隠すように、しょうがないからいいよ、なんて言って、名前を書いた。
婚姻届に、吉川美緒、と。


#5

祭りの夜

 5月20日の夜。今日は毎年行われる伝統的な祭りの日だ。そのとき俺は近くの森の中にいた。なぜかというと弟が祭りのくじ引きで当てたボールで二人でキャッチボールをしてたとき、弟がボール取り損ねて、森の方に飛んでったからだった。そして今、俺がボールを探しているということだった。しかし、ボールはいくら探しても見つからないし、俺は中学生なのに迷子になるしで何をしているか分からなくなってきた。

探し始めてどのくらい経っただろう。祭りの明かりはもう消えている。もう諦めようかと思っていたとき、後ろから足音が聞こえた。ビクッとした。もしかしたら幽霊じゃないかと思いながら、恐る恐る後ろを振り返ってみると口の裂けた全身血だらけの女性が…と思ったがよくみると袴を履いていて、黒く長い髪をしていて、顔は少し幼く見えてかわいらしかった。まあいわゆる大和撫子のような少女が立っていた。手には俺がずっと探していたボールを持っていた。俺は話しかけるのが怖かった。
「そ、そのボール…」
少女はボールをみて
「これ…あなたのですか?」
おれはやはり怖かったから
「あ、ああ。」
と少し震えながら答えた。すると少女は、
「そうですか。良かった。」
と言って笑ってボールを渡してくれた。
「あ、ありがとう…」
「いえいえ、私も嬉しいんです。」
と少女は嬉しいように、悲しいように言った。
「皆さん、私をみるといつも゛出たー!゛とか言って逃げてしまうんです。だからこうやって話が出来るのが嬉しいんです。」
「そっか…」
俺はこの子の気持ちがよく分かった。
「俺も分かるよ。その気持ち。」
「えっ。」
俺は小学生のころ変な噂が流されて、無視されたり、距離を取られたりされたことがあった。だからこの子の気持ちがよく分かった。
「でも大丈夫。元気出して!自分から言えばみんな分かってくれるから!」
少女は涙目で頷いた。
あの後何とか森からも出られて家についた。でも厳しく怒られたけど…。


次の日。俺は中学校に登校した。
朝の会の時、先生が
「えー、さっそくだが今から転校生を紹介する。」
教室がざわざわし始めた。
「静かに、しずかに!さぁ入って。」
ドアから入って来た子は黒く長い髪で、顔は少し幼く見えた。先生は黒板に名前を書いた。
「えー、この子が転校してきた中川涼子だ。」
その子は小さくお辞儀をした。そして俺を見てニコッと笑った。俺は思わずニコッと笑い返した。笑った時間が長く感じた。


#6

ミルグラムの実験

私は「学習に於ける罰の効果」を測る実験、とかいうアルバイトに募集し、見事、選ばれた。時給が高かったから、相当な倍率だっただろう。

実験の内容はこうだ。先ず、アルバイトがくじ引きで、教師役と生徒役に分かれる。教師役は、生徒役に記憶に関する課題を出し、生徒役が間違えると、電気ショックで罰を与える。間違える度に、電圧を上げて行く。

これで何が分かるのかは知らないが、とりあえず教師役の方が嬉しい。
私は、教師役になった。

私は、何やら機械の置かれた部屋に通された。その機械には、45Vから、15V刻みで電圧の書かれたボタンがあった。
なるほど、15Vずつ強くしていくわけか。だが、所々「非常に強い」、とか「危険」とか書いてあるが、大丈夫なのか。

45Vがどんなもんか試してみましょう、などと白衣を着た博士に言われ、電流が流される。痛いが、まぁ、こんなものか。
教師役で良かった。

どうやら、生徒役は、壁を隔てた隣の部屋に居るらしい。マイクとスピーカーで繋がっているようだ。
さっきの博士は、私の後ろに座っている。


実験が始まる。
いきなり間違える。私は、45Vを押した。スピーカーから「イタッ」という声が聞こえる。

実験は進む。

75V。大分、不快になってきたようだ。

120V。大声で苦痛を訴えてきた。
私は、申し訳なく思いつつも、内心、痛い思いをしてるって事は、あっちのが給料高いんだろうな、なんて考えていた。

135V。それは、うめき声だった。
この実験、意味があるのか。博士にそう聞いたが超然と、続行して下さい、と言われた。

150V。悲鳴か絶叫か。
だが、痛いからって止めてしまっては、貰える額も減るというものだ。

180V。痛い、耐えられない、という。
何だ。さっきまで絶叫していた癖に。

270V。金切り声というのは、こういうのを言うのだろう。
流石に心配になってきた。だが博士は、あなたに続行して貰わねば、と言う。そうか、私も実験対象だったよね。

300V。壁を叩いてきた。実験を中止してくれ、と。
博士は、続行して下さい、と言う。

315V。壁を猛烈に叩き、実験を降りる、とか叫んでいる。
博士に、ああ言ってますから、と言うが、迷う事はありません、だそうだ。

330V。さっきまであんなにうるさかったのに、無反応だ。

375V。危険と書いてあるが、無反応だ。




450V。最後のボタン。無反応。
博士曰く、死にましたね。

まさか、私のせいじゃないよね?


#7

和尚だからって一人称をわしと言わん

俺和尚
夢破れ
家継いで早十年過ぎ
毎日村中法話
垂れ流して駆ける

違う俺
決して
ただの和尚
には成り下がらん

眼の
前にある遺影
本日読経
する相手
俺にはすぐにわかった
ずいぶん変わったが
かつて俺がいと愛した人
給食のおばちゃん
おばちゃんというから当時
40ぐらいの歳かと言うとそうではなく
彼女は
学校の誰よりも若い大人
しかし
かつての俺たち不器用
給食のおばちゃんとしか呼びようがなく
知らなく
だから
いつまでたっても彼女は
給食のおばちゃんだった

見ろ
白黒のおばちゃん
そのこぼれるような笑顔
あの頃と何ひとつ変わらなく
読経の途中
なくす言葉
ぼやける給食のおばちゃん
山田和尚
ひとときの沈黙
騒ぎだす
親族外野は黙っとれ

深呼吸

では君に
祈りとともにこの歌を捧げよう
聞いてください

南無妙法蓮華経


#8

論語

世の中には、真円の物質、物体はありません。
工業製品も、螺旋の旋盤で切ってあるのです。
地球も歪んでいます。光も揺らいでいます。
原子とて同じです。

したがって円周率も、紙上の産物です。

世の中は、12進数です。実は。シー、あまり
大きい声で、言わないように。捕まりますよ。

12月、12音階、12時、24節季、48手、12大関節、

13度は神の位置です。トランプ13、たした数は364。

円は、12と13の揺らぎぐらいあります。
12分割に13はあてはまらないからです。

3、6、4、8、は12、24に絡みます。
試験にはでません。捕まりますから。
小さな関節あわせると365。これはメモ。

マージャンパイも、36枚。

これも論語よみの論語知らずですね。失敬。

さて、2進数、便利。かな?じつは、、
あ、これ言うとさすがに先生が捕まります。

24音階にすると、13度数は容易いです。
48音階あります。楽器の限度です。
12音階ですと、最初の1度に戻ります。

三角をダビデにすると、6頂点。
四角をダビデにすると、8頂点。

三角は、3つの答え。右と左と真ん中。
四角は、4つの答え。四つ足、四次元。

赤ちゃん四つ足、青年二つ足、老人三つ足。

赤ちゃんは四次元にいます。時間軸ですね。

エタヒニンも、四次元です。濺は聖ですね。



というわけで、時間がきました。

真円はないので、真理とか求めないように。


#9

銀行ごっこ

母  「坊や、何で包丁を持ち出すの?」

坊や 「これから銀行ごっこをやるんだ。」

母  「じゃあどうして包丁が必要なの?」

坊や 「だって血液銀行だもん。」


#10

森の狼

 森に行ってはいけないよ、と聞いたので彷徨っていたら狼に処女を奪われた。
 初めては何だか痛くて息苦しくてくすぐったくて汗まみれで、涎に塗れた気がする。
 狼が私の黒髪を撫でる。撫でながら腰を振っている。何発撃つ気だこいつ。
 私はそろそろ涙も声も痛覚も枯れてきたので、乳を揉むのに両手を使ってる狼の隙をうかがい、砂を目にかけてやった。
 ぐぅっと、くもぐった声をもらす狼。怒声が出る前に無駄に太い男根を腰の動きで引き抜いて、麻痺した感覚のまま狼のタマを豪快に踏み潰す。
 狼が弓なりになって甲高い一声を漏らしたかと思うと、そのまま蹲ってしまった。
 股からぼとぼとと体液をこぼしながら、ふらふらと私はその場から去る。

 どれだけ走っただろうか。どこに道があるのかわからないまま、私は夜を迎えた。
 失ってしまったものを補うかのように、下腹部が痛みをぎゅうぎゅうと詰め込んでくる。
涙は出ないが、なんと言うか、悔しさはひどい。乾いた悔しさであって、湿ったそれではない。今すぐ鋭さに転化できるような……そんな、銀色めいたものだ。
 処女を捧げたかった彼女も、あの狼に処女を奪われ、喰われたのかな。
 男のもので奪われる想像なんてしていなかったから…… お月様も笑っている。
 ……私は何故ここにいるんだっけ?
 ……敵討ち? 好奇心? 愛?
 どうせ歩くのも疲れたのだから、少しばかり回想したっていいじゃないか……

 ――日の光の下で私は口付けをする。
 彼女の金髪が、ひまわり畑に溶けてしまいそうなぐらいに輝かしくて、愛おしかった。
 日の光の下で、彼女は私のおでこに口付けをする。
 それは、決別の証。
 想いを違えた場所。その証明……
 私は彼女が欲しいのに、彼女は私を必要としていない。

 私も狼と同じなのかもしれない。狼と同じで、彼女の金色の髪と金色の瞳と、白い肌と、固く閉ざされた膣を、この指で、この人差し指で、味わいたかっただけなのかもしれない。
 座り込んで、黙り込んで、彼女を想う。
 もう一度だけ彼女に会いたい……
 森よ、願いを聞き届けてくれ。


 最後に、私が見た夢は。
 彼女を、あるはずのない男根で犯すものだった。
 ごめんねと言いながら。
 ほんとうにごめんねと叫びながら。
 痛みに歪む彼女の表情に、抑えようのない愉悦を覚えて……
 







  * * * 



 ……森の中に黒い狼の亡骸が一つ。
 月を見上げるようにして、それは眠っていた。  


#11

アルプス9998

ハルミン(晴美・22歳)はある勘違いをしていた。その思い込みに気づかぬままオトナになり、いまの仕事―本人曰く「天職」に就いた。
そんなある日。
ハルミンが奏でるオルガンを囲んでいた園児たちが彼女にせがむ。
「センセー、今日もアレ、やって見せてよー!」
しょうがないなあ。ハルミンは園児たちを引き連れて園庭に出た。短大から同じなミッヒーとの、アレの呼吸はピッタリだった。
(たしかにふたりは長いつきあいだけれど、ミッヒ-はハルミンの勘違いには気づいていなかった。)
「じゃあね、いくよー!」
ハルミンは音頭をとった。園児たちは刮目した。

「はいっ!♪アルプスいちばんジャック…」

目の前で繰り広がる、カンフーの高速回転のようなハルミン(とミッヒー)の手技の応酬に、園児たちはあんぐりと開いた口がふさがらない。
余裕のハルミンはドヤ顔を決め込んで園児たちを見下ろした。
その夜。
積年の間違った言霊は、宛名の無い、歪んだ呪いのように夢と結晶化し、ハルミンの眠りに投下された。
「だれ?」
広大な山の裾野に見知らぬ少年がいた。
「オラかい?羊飼いのジャックだよ。アンタがいつも『いちばん』だって宣伝してくれてる…」
「ああ!」
決して美形の類ではないが、イメージ通り純朴そうな少年の登場に、ハルミンは感動に近い気分でジャックを受け容れた。
「オラ、前々からアンタに言いたいことがあったんだけど」
「なに?」
「オラ、一番じゃなくってもいいよ。それに羊飼い界の一番といえば、やっぱそれはペーターさんだよ」
「そうね。じゃあ、明日からは『二番ジャック』に…」
「そうでないんだよ。そもそもオラが何位かっていうハナシじゃなくって…」

夢から醒めやらぬハルミンは、押し入れから古ぼけた『みんなのうた』を引っ張り出し、「いちばんジャック」は「いちまんじゃく」のそら耳であることにいまさら気づき、肩を落とした。(題名にそうあるのにもかかわらずに…!)

つぎの日。なんだかジャックとの別れを思うと熱いものがこみあげてきたが、ハルミンは正統に「♪アルプス一万尺」と唄いはじめた。しかし…

「♪子ヤギの上でアルペン踊りを踊りましょ!」

その夜。夢。
後ろ足が極度に内側に湾曲した、見るからに痛々しげな子ヤギのユキちゃんがハルミンに毒づいてきた。
「ジャックが言ってたとおり、アンタって筋金入りの馬鹿ね。アルペン踊りを踊るのは『子ヤギの上で』じゃなくって『小鎗の上で』でしょー」


#12

神様

 上京して二年目、都内の私立大学で学ぶ青年がいた。アパートで一人暮らしの、大人しく目立たない、細い眼鏡を掛けた青年だった。休みの日にすることといえば、テレビを見ることくらいだった。
 大学に通う以外、外出することはほとんどなかった。親の仕送りだけで細々と生活していた。快楽はなかったが、これといって耐えられない不満もなかった。
 大学の帰りのいつもの駅。彼の生活とは裏腹に、ホームから改札へ向かう階段は人で混雑している。人々の着ている服は、どれも同じということはないのに、全てがちょっと狭い一定の枠の中にあるようで、背丈も、髪型も、顔の形も、誰かと誰かが絶対に同じということはないのに、ずっとずっと昔に、一つの鋳型から生まれてきたように見えた。
 見えるものから色素を抜けば、りんかく線だけが忙(せわ)しく交差しあい、人々は同じように改札をくぐり、切符も同じようにして改札機をくぐる。改札に一度吸い込まれたりんかく線は、改札機の向こう側で、また同じりんかく線になって吐き出されていた。
 駅を出て、前を行くサラリーマンが赤いセブンスターを取り出しくわえると、うつみき加減に煙を吐き出した。そのまま歩き続ける体に分散された煙は、あいまいなりんかく線を風に溶かして広がった。後ろを行く、何の罪もない青年の鼻腔にも煙の粒子は入り込み、煙より色黒いものが脳を引っ掻き、若干眉間を狭めさせた。耐えられない不満はないからと、楽しみのない生活を送る者には、増して理不尽なことに思える。
 前を歩くサラリーマンの向こうに、こちらに手を振る人影があった。サラリーマンは気付かないようだった。青年は誰だか分からなかった。白髪で白い鬚を伸ばした老人に、心当たりはなかった。
「おーい元気か」と老人はまだ近づく前の青年に声を掛けた。
『えっ』と青年は自分にしか聞こえない声を出した。
「何か不満はあるか」と老人は言った。
「世の中をよくしたいな」
 青年は足を止め、
「そうだろう」
 老人の言葉の意味を探った。
 顔のしわ一本一本を確認できる距離で、老人は口端に優しい笑みを浮かべていた。
『たばこは、煙いよ』
 青年がそう言うと、老人はそのまま風の中に消えていった。前を歩いていたサラリーマンの姿も気付いた時はなくなっていた。

 テレビから何人か有名人、政治家が姿を消した。世の中は若干のとまどいを見せたが、それでも支障なく、今まで通り流れ続けている。


#13

うそつきは泥棒の始まり

また告白できなかったの?草食系男子もそこまで行くと立派だね。
いや、馬鹿にしてるわけじゃないよ。たまにはお肉でも食べたらどう?ほら、お肉食べたら心も肉食になるかもしれないしさ。
あ、あそこにフライドチキンを売ってるお店があるよ。行こっ。

うん。ばっちりだよ。フライドチキンを2つも買うなんて男らしいと思うよ。
ところでさ。草食系男子って、ようは女子みたいな男子が増えたってことでしょ?
こうは考えられないかな。女子のような男子になってしまったのは、女性ホルモンを食べ物からたくさん摂取したからとか。
例えば、フライドチキンってあるじゃない?脂身が多くて、肉は柔らかい。時にはジューシーだと表現されることもあるわけだけど、あれがどうやって生産されているか知ってる?ブロイラーにね。女性ホルモンを注射するんだよ。そうするとブクブクに太るようになるの。そうしてジューシーなチキンが出来上がるの。そんな女性ホルモンにまみれたチキンを食べて、体に女性ホルモンが入らないわけがないよね。それを何十個も食べてさ、最近の男の子は草食系になってしまったんじゃないかな。
ちなみにアメリカでは、フライドチキンが大好きで、毎日フライドチキンを食べていた男の人の胸が大きくなって、ついにはブラジャーが必要になって、裁判で戦った結果、フライドチキンを売っていた会社は敗訴したんだって。

あれ、よく見たら君が手に持っているのはフライドチキンじゃない?今まさに君は女性ホルモンを摂取しようとしてる瞬間なんだね。
食べ物のことも考えずに、与えられたものを食べるという受け身な態度が、体内に女性ホルモンをため込み、ますます受け身になっていく。負の連鎖だね。
ん?そのフライドチキンを私にくれるの。いやーどうもどうも。ありがたくいただきます。んーおいしー。じゅーしー。


あ、ちなみに今まで私が言ったことは全部うそだから。






あれ?怒った?

あ、まってまって。うそつきは泥棒の始まりだけど、私がフライドチキン泥棒ってわけじゃないんだよ。






だってほら、フライドチキンを食べた私を、君が食べるから。


#14

幻影の街

 男が目覚めると辺りは一面の純白だった。
天井も床も壁も真っ白なのだ。何もない部屋の中で彼は目覚めたのだった。いつから眠っていたのか此所が何処なのか一切記憶にない。
 (此処は何処だ。外が見たい。)彼が念じると先程まで壁だった所に水色のカーテンをひいた窓が出来上がった。
 彼は窓に寄り解放する。
 そこには街の雑踏があった。何処かの交差点であろうか人や車が行き交っている。
 此処はビルの一室のようだ。(外に)彼が思うとドアが出来上がる。いつの間にか彼はブルーのトレーナーにジーンズ、スニーカーを身につけていた。
 彼はドアを明け外に出た。
 明るく心地好い光が彼を包み込んだ。彼は交差点の傍らにたちぼんやりと辺りを見渡す。
 「マルキュー行こ。マサミにお似合いのアクセサリー見付けたんだ!」「ウソー本当にー。」目の前を女子高生がはしゃぎながら歩いていく。 (此処は何処だ。俺は誰だ!)(交差点の地名にも記憶がない。)と、歩道の向こう側に懐かしい顔を見つけた。二十代中頃の女性である、誰だか解らないが唯一ここにきて記憶の片鱗を呼び覚ます可能性を彼は感じた。 彼はフラフラと引き寄せられるように交差点に入って行った。
 佐藤彰は焦っていた。今日は見込客との契約締結の日であったが渋滞に巻き込まれ約束の時間をもう30分過ぎていた。
 朝から仕事が混んでいて携帯もかけっぱなしの状態で充電も切れて連絡しようにもできない状況であった。
 三年間温めてきた契約である。何としてもものにしたい。
 こんな時に限って赤信号が続く。佐藤は信号が青に変わると同時にアクセルを目一杯踏み込んだ。
 その時,佐藤の目の前に男がフラフラと出てきたのだ。
 ブレーキを踏む暇もなくクルマは男を撥ね飛ばした。
 男は空高く舞い上がり地面に激突した。ブルーのトレーナーは血で赤黒く染まっていた。
 暫くして佐藤のクルマのボンネットに男の履いていた物であろうスニーカーが落ちてきた。
 誰の目にも即死は明らかだった。
 佐藤は目の前が真っ暗になった。
 目の前の物が全て崩れていく様に感じた。いや、実際に周りのビルが崩れていくのを目の当たりのしたのだ。
 悲鳴、逃げ惑う人々。(地震か?)佐藤が思った瞬間、ビルの瓦礫が佐藤の脳天を直撃した。
 その5分後、男の命が尽きるとき地球自体が消滅した。
 48億年の歴史を閉じた瞬間であった。
 全てはこの男の想像の産物だったのだ。 


#15

思い出がいっぱい

(この作品は削除されました)


#16

7月8日(金)

 2011年7月8日(金)私は9時少し前に目覚めた。下へ行ってテレビの韓国ドラマを見る。「ポンダルヒ」が終わりかけて居た。9時からは李氏朝鮮らしき時代を扱ったドラマ。見た目は「女人天下」に似ている。同じ時代を扱っているからだろうと思う。朝食はミンチコロッケもあった為か朝食にしては珍しく御飯を2杯食べる。その後サッカーのオンライン無料ゲームに着手するが、昨日ディヴィジョンが変ったにも関わらず、チーム編成を編成し直して置くのを忘れて仕舞って居た。おかげで大幅に戦力ダウンした戦力で最初の2試合を戦って仕舞って居た。慌てて編成し直す。そして選手マーケットで選手を引きコスト9の「前田遼一」を引き当て早速センターフォアードとしてチームに組み込む。彼の為に若干他のポジションの選手のコストを抑えざるを得ないがそれでも「前田遼一」を入れただけの活躍をしてくれるだろうと期待する。10時半前後に何時も通り父が仕事から帰って来る。今日は午前中は何処へも行かない様だ。と言うか昨日の木曜日の午前中も何処にも行かなかったが。今日は午前9時ちょっと前に起きたのでゴミ捨てを母にやらせて仕舞った。今週火曜日は生ごみを久しぶりに捨てに行ったのだがそう言えば、ここ3カ月ほど毎週必ずやって居たゴミ捨てをやらない様になって居たのを母の指摘で気付かされた。2009年の10月辺りから食後の茶碗洗いもやって居たが今までは何とか両立出来て居たのだ。それがアルバイトを止めた途端ゴミ捨てをとんと忘れて居たのだ。そこで久々にゴミ捨てが復活した火曜日の朝はゴミを捨てに行く3時間ほど前に早朝散歩に出かけて居た。新しく出来た道路を目指してサンダル履きで軽く走り気味の散歩だった。その日は深夜2時47分ぐらいに目覚めてテレビを見たり本を読んだりして居たのだがいまいち退屈だったのだろう。刺激を求めて私は外へ飛び出した。
 2011年7月8日(金),母がスイミングから15時40分頃帰って来て父とセルフサービスのガソリンスタンドへガソリンを入れに行った。私はビーヴァーエアコンを付けて父と母の帰りを待つのだった。私は母がスイミングから帰って来た時、パソコンで無料動画の「ぴたテン」を見終わろうとしている所だった。


#17

六畳二間、十五年

「パンツ脱ぎなよ」
 二年ぶりに兄はそう言った。戸棚の上、父の遺影の脇にある置時計は四時過ぎを指し、低く差し込む西日の奥、埃の張り付いたブラウン管の中から兄は輪郭だけで私を見つめていた。
「今日五時からバイトだから」
 パート掛け持ちしている母。そんな母に倣うように兄は高校に入ってすぐに厨房で働き始めた。
 兄は居間の中央を陣取る膳と出しっ放しの母の寝巻きを足で追いやり、目を伏せたまま私を待つ。兄と交わった過去の記憶が蓋を開けて蘇り、視界から色が失われていく。皮膚の内側が震え、嫌だ、と喉から吐き出すことができず、私が悪いんだ、私はお荷物なんだとぐるぐるとこじ付けながら自分の手でパンツを下げた。
 兄は私の顔を見ることもなく手を伸ばした。太く筋張った、暴力的な腕だった。私は目を閉じて不謹慎な考えに抗ったが、兄の指先が触れ、皮をめくられただけであっけなく濡れてしまった。恥と嫌悪。私は父と母と神様に対して申し訳なく感じた。
「ん」
 兄は座ったままジッパーを下ろした。兄に跨って奥まで入れると、兄の視線は段々と覚束ないものになっていき、閉じた口の隙間からふっふっと荒い呼吸が漏れ始めた。腰を揺すり始めた兄に角度を付けて合わせると、兄は眩しさを堪えるように皺を寄せ、なま温かい息を漏らした。片手は私の手を慈しむようにしきりに撫でさすり、やがて身を大きく震わせ、名残りを惜しむように一度深く押し込んでから抜いた。股をティッシュで拭いながら、屈辱や嫌悪の気持ちが薄れていることに気付き、行為の終わった直後だけはいつもそうだったことを思い出した。

「今日は給料日なんだ」何か欲しいものある?
「残り物貰ってきなよ」家計に回しなよ。
 そうだね。
「うん」
「俺、割とモテるんだよ」
「彼女作らないの?」
 うん。
 そうだよね。

 窓を大きく開けると、夕暮れの冷たい風が澱んだ空気を浚っていった。夕日が遺影に反射して兄と交わった畳に落ちる。劣化した畳は丸く沈み、影を澱のように忍ばせている。
 兄は遂に「言ったら殺すからな」とは言わなかった。労働欲とは裏腹にひょろ長いだけのこの身が恨めしく、兄の靴下の裏表を直して籠に放った。


 入った。


#18

お留守番

 ドアを開けるとむわっと熱気があふれ出て、ほのかな汗のにおいもした。自分のにおいは気にならなくても人のにおいは気になるものだと言われるけれど、彼女のはそう不快ではなかった。
「おかえり」
 掠れた声がした。喉が渇いていそうだ。前髪が汗で濡れて額に貼りついている。つうっと頬からあごの先まで流れたそれを、彼女は人差し指の根元で拭った。
 窓の横の壁に背中を預け、足を崩れた「4」の形にしている。スカートは短く、ゆるく曲げた右足の膝横に蚊に刺された跡がある。
「クーラーつければいいのに」
 わたしは部屋に上がって台所に向かう。シンクの籠からグラスを取りつつ冷蔵庫を開け、ペットボトルのお茶を取り出す。
「人の部屋だし」
「気にしなくていいのに」
 グラスに注いだお茶を差し出すと、彼女は少し気だるそうにしながら受け取った。制服のブラウスも汗で濡れて肌に貼りついている。ボタンを三つ開けた胸元からは水色のブラが覗いていた。
 喉を鳴らす音が響く。両手でグラスを傾ける仕草は上品に見えた。わたしは彼女の両手首を縛っている縄をぼんやりと見つめた。
「何?」
 頬でグラスの冷たさを味わいながら彼女は小首を傾げる。
「手錠のほうがよかったかなって。革のやつとか」
「うーん、革だとベトつくし。それにこの感触、私好きだよ」
「飲んだらシャワー浴びる?」
「あ、うん」
 彼女はまたグラスに口をつける。わたしは彼女の額に貼りついた前髪を指先で横に流した。彼女は少し照れくさそうな、親が子供の悪戯に対して見せるような笑みを零した。

 二つのグラスをシンクに置き、わたしも彼女を追ってバスルームに入った。
「スカート脱ぐ?」
「ん?」
「スカートだけ脱ぐ?」
「どっちでも」
 彼女は迷った末にスカートのまま湯船の縁に腰かけた。わたしはシャワーのノズルを持ち、水のほうの蛇口を捻る。無数の線がタイルの上で弾け、細かな粒が足を掠めていく。彼女が心待ちにしているようなので、わたしはノズルを上に向けて少し傾ける。
「つめたっ」
「水だからね」
「水責めだ」
「そ、水責め」
 滑らかに濡れたブラウスが白い半透明の越しの水色と肌色を作る。彼女の体の線を描き出していく。手首の縄も水を吸って色が濃くなり、解きにくそうになっていた。乾くのにどのくらいかかるだろうか。でも夏だから、わりとすぐかもしれない。
 彼女は特に気にする様子もなく、ただ気持ちよさそうに水の感触に目を閉じている。


#19

汗と灼熱

   汗と灼熱  作詞 おひるねX


 冷えた缶ビール の水滴 のど越しのうまさ やっぱり乾いている

 その道は 心地よい 圧迫感 異界への旅 壊してしまってもいい

 時間を捨てることはないと 陽炎がさとす

 人の気持が蜃気楼のようにゆらぐ 光の竜巻のようにねじれ

 あの時いえなかった 失われた 理由(わけ)は

 いまも生きているのだろうか

 ああ、飲み干せる愛は バラ色

 時間を捨てることはないと 陽炎がさとす

 夜はまだ まだ、 遠い


     *** *** 



 天使の冷たい 横顔に シカトするような ぽっちゃりほほ桜

 無理なこと 追いかけて 切迫焦 孤独から飛ぶ きらめく夢先のひかり 

 時間は拾えるものじゃないと 陽炎がわらう

 苦しいだろう わらう天使が見えるのは 愛だとひびく声が聞こえれば

 知らない愛の世界 すでにもはや 落ちた 

 ここ、めまいの午後は 灼熱

 時間は拾えるものじゃないと 陽炎がわらう

 夜はまだ まだ、 遠い


=====
 歌詞です、作曲してください。

 どうぞよろしく!


#20

崩壊

 ねえダーリン。私がもし宇宙人だったらどうする?
「え、君は宇宙人なのか?」
 私の血が緑色で、くちびるがもしヴァギナだったらどうする?……ねえ真面目にきいてる? ヴァギナとはつまり、女性器のことなんだけどね、
「知ってるよ。中学で習ったし、この世で一番難解な形をしているね」
 うん、たしかに理解不能かも。耳の形は迷路みたいだけど、ヴァギナの形って、ある物語の本質を一瞬で表現しようと思ったらついこんな形になったんじゃないかって、
「あるいは腐った内臓みたいなものを集めて作った詩だね……冬の怨念とか夏のそよ風なんかが出鱈目に集まって、でもぎりぎり崩壊せずに、それぞれの言葉がバランスしているような」
 いいえ、きっとバランスは壊れ続けているのよ。ヴァギナって一瞬の風景でしかないの。そして一瞬はね、いつも永遠を内に秘めているのだけれど、永遠はまるでアリンコを一匹づつ踏み潰すみたいにその一瞬を殺し続けているの。
「君のヴァギナは蟻地獄か? 気持ちいいのか?」
 もう、エッチなダーリン。もっと真面目な考えなきゃ駄目でしょ。想像力はときに人を傷付けることがあるのよ。
「君を傷付けるなんてそんな……でも傷付いた君はきっと素敵さ」
 私だけじゃなく、傷付けられるものはみな美しく壊れていくの。
「ああ、君を傷付けたいよ……でもこの僕に、君を傷付ける資格なんてあるのだろうか?」
 ないわ。でもある、あなたに傷付けて欲しいと思う瞬間がある。一瞬だけその傷の中で、あなたと一つになれる瞬間があるの。とても耐え難い、苦しみなのに、
「だったら君の代わりに僕を傷付けてくれよ。そして二人で崩壊していくんだ」
 それは出来ないの、ダーリン。傷は孤独を生きているから、一緒に傷付くことは出来ないのよ。私たちはお互いに、お互いの傷の深さや痛みを想像することしか出来ないの。
「それでもなお僕は、君の痛みを、孤独を知りたい。そうでなければ生まれてきた意味なんてない」
 それでもなお私たちは、孤独の意味を探さなければならないの。人間であるということは、孤独であることを選ぶということなの。だけど人間は孤独の深さを愛や美という言葉に置き換え自分を慰めるの。
「違うよ。だっていま目の前に君がいて、そして君の目の前には僕がいる。それがすべてさ。僕は君に触れることが出来るし、僕たちはそこからすべてを始めることが出来る。孤独も愛も、まだ知らない場所からね」


#21

『頭蓋蟹の恐怖』

 同級生のみつこが死んだ明くる晩のことである。
「ねェねェ聞いた。みつこ、頭蓋蟹に頭食われてしもうたんやって」
 通夜に出席した女子を始発として、そんな噂が僕らの周囲に流れ出した。よく塀のおもてを小さなやもりの類がへばりついて駆け抜けるのを見るけれど、噂はそれ以上に足早で、塾のある森角の駅から発つ電車の中で、隣町の中学生がくだんの話しを囁きあっていたりする。
 普段だったら西日の差す路地も、今日ばかりはとうに陽の落ちた暗闇で、通る人影さえ疎らだ。ここいらの平屋は使われなくなって久しく通りに面した硝子窓は灯る気配さえない。いつかの夜に通った際は塀に指の腹をつけ、行き場のない怖さを紛らわしたりもしたけれど、運悪く一休みしていたやもりの足に触れ、感触に肝を冷やして以来、塀を気にしながら歩く癖がついてしまった。
 みつことは塾が一緒で一度唇を交わした間だけれど、友だち以上の悲しみは起きなかった。あの時もこの夜道、おまけに雨上がりで湿っていたから、彼女もまた何かを紛らわしたかったに違いない。
「松くんは、蟹の夢、見ィひん? うち、時々見る」
 繋いだ方とは逆の手でうなじを掻きながら、みつこはそんな話をしてみせた。相談事にしては軽い口調だったから気にしなかったけれど、彼女が顔を近づけてきたときに異変を悟るべきだった。頭部をなくした彼女は、この先の十字路で寝そべっていた。
 警察の黄色いテープが貼られている。その足許になにやら群れてごわごわと蠢くものがある。あれが噂に聞く頭蓋蟹。盛り上がった甲羅の部分は髑髏のそれらしく、生まれたては僅かな皮膚と髪の毛を持つものもいるようだ。もしや頭蓋蟹なんてものははじめから存在しているものではなくて、人間の首が変じたものではないかと僕は思う。みつこの首は蟹に食べられたわけでなく、あの群衆のなかのひとつに変じてしまった……とすると。
 怖気が走りうなじが痒かった。ぽりぽり掻きながら黄色いテープを避けて歩き、指の腹はやもりのいる塀のおもてでなく、みつこに一度きり触れた唇に添える。
 ―――蟹の夢、見ィひん?
 昨夜見た蟹の夢は、みつこを思って見たものではないのかもしれない。
 みんな頭蓋蟹に食べられただなんて突飛な想像を湧かすばかりで、それが元は人間だったなんて思いもしない。路上に屯する頭蓋蟹の談笑を聞きながら、思いたくないんだなあと分かった気になると、夜は益々深くなる。


編集: 短編