第106期 #4
雨の夜、私はその男に拾われた。
「おいで」と手を差しのべられて、寒かったから付いて行った。彼は目を細めて私をぎこちなくなでた。答えるように、私は一つ鳴いた。
男の家でお風呂に入れられると私は大分綺麗に、そして元気になった。
「君、元気になったら、黒い毛並みがとても綺麗だ」
男はまた目を細めて笑った。今度は慣れたように私の頭をなでる。私も一声、それに応えた。
男は高野と言うらしい。桐生高野。変な名前。名前と違わず、彼自身も蒼い髪に灰色の目といった不思議な容姿をしていた。
何もかも真っ黒な私とは全然違うのね。そう思うと何だか悔しくて、私はぷいとそっぽを向いた。
「黒猫ちゃんはきまぐれだなぁ」
高野は呆れたように言って、ご飯にしようか、と提案した。
ぴくり。私は大げさに反応して、しっぽを振って食卓に着いた。
「現金なヤツだなぁ」
彼はそう呟いて、美味しそうにご飯を咀嚼する私をぼんやり眺めていた。
ここに住むといいよ、と誘われて、ご飯が美味しかったからしばらく居てやることにする。
銀の首輪を与えられ、私は彼の所有物になった。
けれど特にどうといったこともなく、私は相変わらず部屋を歩き回ったり、昼寝をしたり、たまに高野に甘えてみたりして過ごしていた。
高野は飽きもせずに私をなでて、笑って、ご飯を与えて、甘えられてはデレデレしていた。
そのうちにまた雨の季節がやってきて、私は雨をぼーっと眺めていた。漆黒の瞳には憂いが浮かび、心なしか毛もしっとりして見える、気がする。
そんな私を心配した高野に後ろからひょいと持ち上げられた。
「君、ご飯はちゃんと食べているはずなのにやけに軽いなぁ」
そんなことを言って、私の瞳を覗き込んできた。
黒い瞳と灰色の視線が合う。キュっと私の目がつりあがったのを確認して、
「おーこわいこわい」
と放した。
ツンとそっぽを向いて、そのまま高野を無視するつもりだったけれど、
「おいで」
その言葉に、私は弱い。
振り返り、あくまでも不本意だぞ、という雰囲気を醸し出してしずしずと近付く。
雨の日の私は、どうしてもあの日のように彼に依存したくなるのかもしれない。
私をなでる彼の手が好きだ。
「すっかりなついたね」
安心しきって身を任せる私を、高野は眩しそうに見つめた。
「そろそろ、サインしてよ」
そう言って差し出された紙。
ちょっと照れたのを隠すように、しょうがないからいいよ、なんて言って、名前を書いた。
婚姻届に、吉川美緒、と。