第105期 #2
高層ビルの隙間に存在するその『道』は、凄まじい引力をもって私の歩を導く。
視界が暗くなる。空気が冷える。見上げるとそこには、狭くなってしまった青空。ここは……真昼の夜。
見下ろすと、また暗い。歩みによって生じる音が二酸化炭素を滞留させた闇に飲み込まれていく。
進み続けると、窓も何も無い左右の壁が迫ってくる。心地よい圧迫感。
ここは日常の下に在る異世界。
いくつもの世界によって認識される軋み。
抱えていた紙袋に手を入れて念じる。焼き鳥よ現れろ。ここが異界であるならば、超常の力など常識だ。だから。
焼き鳥よ、現れろ――。
熱気が、異界に白い煙を吐き出す。
『ねぎま』。圧倒的存在感。
あえて鶏肉のみを食べる。肉汁が溢れ出す。これは……いい鶏肉だ。すかさずネギ。焼き加減が素晴らしい。てっぽうのように飛び出してくる香ばしさ。私の呼吸もその熱を帯びていく。
ああ、塩味。
今ここに、塩とタレの境界に、見切りがついた。線引きがされたのだ……
隙間は続いていく。空は青く、やがて、薄く紅く。
音楽など聴いてみてはいかが?
悪くない発想だ。停止していたウォークマンを再び動かす。首元にぶら下げていたイヤホンから、小奇麗な雑音が流れてくる。これは、確かチェロの音色だ。
空の串。ネギはない。鶏肉もない。
ならば…… 次は牛ハラミ串などどうだろう。念じる。出た。もしかして私は……天才ではなかろうか。
ヨーヨー・マも祝福している。
肉の柔らかさ、タレのうまみ。カラシのきき具合。噛めば噛むほど味しかない。味が口内の境界を奪う…… 味蕾、永劫。
あ、ビール。ビールいいね。ここは洒落て、麦酒なんて呼ぼうか。麦酒よ来い。
夜が、夜の色を、隙間へ溶かす。
やがて私のいるここが夜と一つになる。
浮ついた食欲だけが、異物として、光として、その存在を誇張させ、結果ここを異世界として闇から切り取る。
……歌は、野暮だろうか。耳障りだろうか。
はるか彼方、隙間の終わり。その時間の終焉に、無秩序な街燈の輝きが見える。私の歌がそれを引き寄せる。
異界は心地よい。羊水の海を泳ぐ感覚がする。境界は狭く、暖かい。
私は歌い始める。
……雑多な景色と夏の日差しが私の体温を上昇させる。
照り返す陽光が、昇り立つ陽炎が、乱暴に私を白く染めていく。
空き缶をゴミ箱に捨て、麦藁帽子は目深に被り。
買ったばかりの焼き鳥に手をつけようか。