第104期 #6

 応永十五年。足利義満の邸宅に大勢の武士が集まっていた。武士たちに囲まれて、一人の小僧が前将軍を見上げている。
「これ一休。この屏風の虎が毎晩抜け出して暴れるので困っておる。捕らえよ」
 義満は虎が描かれた屏風に手をかけ、小僧に縄を投げ渡した。武士たちが「義満さま何言ってんの」と動揺する中、一休だけが不敵な笑みを浮かべていた。
「おう、目に物見せてやろうじゃねぇか。なあ新右衛門さんよぉ!」
 一休は義満を睨みつけたまま背後に声をかけた。「新右衛門って誰だ」「そんな奴いたっけ」と武士たちは困惑した。構わず一休は縁側に上がり屏風を外に引きずり出すと、その周囲に円を描き怪しい記号を加え、一歩下がって叫んだ。
「エロイムエッサイム我は求め訴えたり!」
 すると円の内部で土が盛り上がり、煙と臭気を発しながらゆっくりと渦を巻き始めた。武士たちが腰を抜かす。地面がドロドロに溶け、屏風も飲み込まれていく。
「ごほごほ、何じゃ、何が起きた!」
 義満が叫ぶ。煙が晴れ、屏風の代わりに男が立っていた。黒ずくめの奇妙な格好である。
「こ奴は何者じゃ!」
 義満の問いに一休は平然と答えた。
「虎です」
「嘘をつけ。どう見ても人、いや、なんだ、物の怪か!」
 見れば煙から出てきた男は山羊の脚を持っていた。
「いえ、虎です」
 一休は言い切った。さすがの前将軍も言葉を失い、気まずい沈黙が流れる。沈黙を破ったのはその人だか虎だか山羊だかだった。
「我は悪魔。貴様の魂と引き替えにどんな願いも叶えよう」
「い、一休、虎が喋ったぞ!」
「空耳です」
「こ奴は今自分を悪魔とはっきり言ったぞ!」
 『悪魔』はそもそも仏教用語である。
「いえ、空耳です」
 一休は引き下がらない。
「さあ何を望む。若さも繁栄も思いのままだぞ」
 自称悪魔は一休と義満を睥睨して言った。
「ならば幕府の安泰を……」
「コイツの魂をくれてやるからちょっとお前縛られろ」
 一休は義満の願いを遮り、それどころか義満を指さして言った。
「よかろう」
 虎はうなずいて一休に縛られた。
「どうでぇ、見たか義満さんよぉ!」
 一休は縄の端を義満につき出した。義満は呆気にとられたまま縄を受け取った。
「ハハハハハ!」
 高らかに笑いながら一休は去っていった。見送った後、武士たちは縁側を見上げた。そこにもう虎はおらず、前将軍が立ち尽くしていた。
 ほどなく足利義満は急病で亡くなる。五十に満たない波乱の生涯であった。



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