第103期全作品一覧

# 題名 作者 文字数
1 幽幻の 桐月 593
2 彼女ははさみ みりん 528
3 推理を求む 足跡 421
4 はーいそれじゃ タツヒコ 475
5 おとぎばなし 木春菊 710
6 イマジネイション 壱倉柊 1000
7 新幹線 かおり 337
8 鼻曲がり地獄の一丁目 三上 圭介 1000
9 プロペラ機 しろくま 1000
10 卓上の高級猫缶 十六夜 1000
11 Y.田中 崖 1000
12 でも、奥さんには内緒です。 Qua Adenauer 1000
13 盗作 ロロ=キタカ 901
14 畜笑 志保龍彦 1000
15 チューリップ エム✝ありす 1000
16 ピープル、それは人々 るるるぶ☆どっぐちゃん 1000
17 女の子 euReka 992
18 『空と風と水と』 吉川楡井 1000

#1

幽幻の

 激しく聞こえていた雨音が遠くなり、空にはいつしか紫紺の空が見えていた。
 空に散らばる微かな星々と、確かに見える大きな月がそこに浮かんでいた。
 だったら今日はあの場所へ。

 雨上がりの冷たい風が頬をなで、少し厚着で外へ出る。
 辿りついた場所には誰も無く、どうやら自分が一番乗り。
 雨でおちた花弁は多いが、それでも木には色鮮やかな桜色。
 持ち込んだ酒瓶は数多く、ぬかるむ地面にシートを敷いて。二つの杯に酒を注いで一つを手に取る。
 さて、これで何時でも宴が始められる。
 一人待ちぼうけの時を過ごし、杯片手にただ空を見る。淡い花弁の隙間から降り注ぐ星の光に目を細め遠くのどこかを眺めていた。
 いつの間にか遠くからは誰かの宴会の音頭が聞こえてくる。
 ふと緩んだ気分が、まどろみが瞼を重くした。閉じた瞳の中にはただ暗闇が。
 何時しか夜も深まり酒も深まり、儚い思いを抱いて次の酒を注いだ時、そっと伸ばされた手の中には空の杯が。
 待ち人はただ酒を求む。
 その杯に酒を注いで二人で花も月も忘れてただ飲み明かす。
 遠くに聞こえる宴を祭囃子に、言葉も無く笑い合う。
 夢現の時間は過ぎて、遠く散りゆく記憶の中で、ただ失ったものを追い続け。
 ただ何時までも果たされない約束に身を預け、巡り周りあの失ったある日の時間を求めてまどろむ夢の中で酒を飲む。
 いつか終わると知りながら、杯を傾けただ今は飲みあうだけである。


#2

彼女ははさみ

はさみは双子だった
もう1人の名前は知らない
本当はどっちがはさみなのか知らないけど
僕は好きなほうをはさみ、と呼んでいつも話をした

ある日、僕が彼女を見つけて後ろから名前を呼んだ
驚いたように振りかえるとへらっと微笑んだ
はさみは可愛い
はさみは大人しい
はさみは聞き上手
僕は朝顔を摘んできて、袋の底に水をためた中に沈めると、花弁を1枚1枚指の先で解すとうっすらした青が幾重にも重なって色濃くしていく
「綺麗」
「どうして?」
「私、青が好き」
無邪気に笑っている君の顔が大好きなはずなのに、僕はその表情を塗りつぶすように色水をかけた
頭と襟と左手に潰れた花弁がへたり込んでいた
彼女は小さい罵声と共に左手を振り払う

ほら、君はいつも嘘をつく
何が綺麗だ
何が青が好きだ
お前が見ていたのは色水だけだ。結果しか見てない
その色を出したのは朝顔だ
お前はその朝顔を汚いと言ったな
お前の感動を生み出したのは朝顔なのに、どうして否定した
お前に感動する資格なんてない
経緯を見てたのに、結果しか認めないのは自己中心的過ぎるよ、はさみ

「もう僕はさみのとこ行くから、次はさみじゃなかったら許さない」

彼女は小さく頷くと、僕ははさみの元へ行く
「はさみ」
はさみは小さな染み1つない真っ白なワンピースでにこりと笑った


#3

推理を求む

 「では、中山さんはやっていないんですね。」
 「当たり前ですっ!そんなことやりませんっ!」
 こっちにキレられたって困るのである。

 
 うちのホテル、ナイト・ホテルに、事件がおきたのは、一週間前のことだった。ツエッターというミニブログサイトに、T・Yという名前で、
 
 『タレントの竹内安孝さんが女優の山中今日子さんとナイト・ホテルに泊まっています!!』

 と書き込みされたのだ。ブログの紹介文から、ホテルの売店の女子店員だということがわかったが・・・・・・。

 女子店員は二人いたのだ。


 これまでの女子店員の中山、岡井の話によると、
 「中山・キレ易い性格。オセロ好き。休みの時間にはいつもどこかへってしまう」
 「岡井・穏やかな性格。騒動の原因、竹内安孝好きで、何でも竹内安孝の名前をつけている。最近白髪が増えた。」

 これしかわかっていない。ホテルの休憩場所にあるPCから投稿されたほかには何の手がかりもない。何だ。何なんだ。わからない。


 わからない。


#4

はーいそれじゃ

あたしの名前は、桑原 佑実(くわはら ゆうみ)
脳内27時間ハッピーなオンナノコ。



今日あたしは、近所の大きな公園に足を伸ばしているわけさ。

木々のせせらぎがこんな鬱陶しいものだなんて
今日に至るまで知らなかった自分を
こんなに悔やんだ日はなかったよ。

あたしは春の甘ったるい吐息を一身に受けながら
その嫌悪感を洗い流そうと、売店に隣接した自販機で
つめたいお茶を買った。

今にも朽ち果てそうなベンチに腰掛け
簡単に喉を潤した。




(今なら繋がるかな・・?)

携帯の発信履歴が全て
【白川 翔士】で埋まっていることを確認して
発信のボタンを指で覆ったが

木漏れ日が画面を照らしたので
なんとなくやめた。
なんとなくだけど。

緑っぽくなる視界を
あたしはそっと瞼でふさいだ。



「あたしがロサンゼルスに住んでたらなぁ。」
とかほんとあたし超coolな独り言ゆーてる。


「かなえてあげよーか?」

え・・?ちょ違う違う!
意地悪な神様だなぁもうっ!

「じゃあおねぇちゃんのねがいってなぁに?」

んー、翔士に会いたい・・かなぁ?どう?コレいい線いってない?

神様は口角を綺麗に弧の字に変え
生暖かい大気に融けて消えた。


#5

おとぎばなし

 穏やかな冬の日、大きな窓から入る陽の中で、無意識のまま雑誌を捲っている。つまらない奥様雑誌。これを、夫は本当に私に読んで欲しいのだろうか。だとしたら夫は随分愚鈍で、そして無害な男だという事になる。

 結婚を機に引っ越した先の一軒家に、私はなかなか慣れることが出来ないでいる。子どもたちの山吹色のように元気な声も、放下になっていない今は聞こえてこない。それなりに豊かで、それなりに静かな住宅街で一人、身勝手に閉じこもっている。ここから見える景色は淡く、眩しく、遠い。私は孤独だ。

 ここに住む前、私たちは小さな、薄暗いアパートに暮していた。凪の海の底に居るような日々。息継ぎをしに水面に上がる様に出掛け、夜は丸い灯りを灯し、そして手をつないで魚のように、眠った。二人とも働いていたし、それでもお互いの自由が許す限りは、一緒に街に繰り出した。昼の街、夜の街、夜明けの街。どの街もきらびやかで、毎日が舞踏会のように過ぎて行く。二人きりの魚群の様に、時には一人自由に、私は随分勇敢に都会の海を悠々と泳ぎ回っていた。

 陸にあがった人魚は、海が恋しくなるものだ。折角庭のある家なのにと夫は言うが、私には光を湛える昼の庭よりも、陽の入りにくいアパートのベランダが懐かしい。この庭に花を植え、丁寧に手を入れる事を考えるだけで悍ましくなる。私が人魚だったとしても、夫はそうではなかった事に、今まで気がつかなかったけれど。こうやって寂しがり続けても海にはもう戻れない。けれどここでハッピーエンドを、私は迎えるつもりだったとは思えない。

 ぷくん、ぷくんと腹の内側で赤ん坊が私を蹴る。陸で産まれた人魚の子どもは、海に帰らずに生きていくのだろうか。


#6

イマジネイション

 北欧産金髪碧眼美女を求めてリュックひとつフィヨルドへ乗り込んだら、荒波産ヴァイキング的大男と親しくなった。彼は名をエドヴァルドといった。ムンクと同じなんだぜ、と彼は顎ひげを動かしながら得意気に言って、それが妙に印象的だった。彼もまた何かを求めているようだったが、それが何かは知れなかった。自ら建てたロッジに仮住まいをし、近くの大木に手を触れ瞑想しては、「いま行動を起こせば不吉なことになる」と言って酒を飲む。エドはそんな男だった。彼はヴァイキングに相違なかった。荒々しい神々に仕える北海の猛者そのものであった。
「だがな、コウイチ。おれにも致命的な欠点があるんだ」
 散歩の途中、目を閉じながら彼はそう告げた。
「何だい、それは」
「おれはキリスト教信者なのさ」
 自嘲と誇りを含んだ笑みを漏らしてエドは言った。改宗する気はないのか、と僕は尋ねた。改宗しようと思ってもできないのさ、と彼は答えた。どうしてさ、とさらに尋ねると、彼は人差し指を唇に当てて低く囁いた。
「おれの純粋さが、それを許さないのさ」

 彼はどうやら自らの信仰を疑う術を失っているらしかった。そのことに関して、僕は三つの事象を発見した。一つ目は、やはり彼は愛すべき純粋なヴァイキングであるということ。二つ目は、僕も僕の見る世界を疑ってはいないが、その確証性をもたらす純粋さは、僕の中のどこにも見出せないということだった。「我思う故に我あり」とは有名な言葉だが、そのときの僕こそは、あらゆる中で最も危うい存在だった。三つ目は、僕はやはり北欧美女が好きだということだった。語るエドの背後を「そのもの」が通りゆくのを、僕は決して見逃しえなかった。それが僕の唯一の純粋さと言えば、あるいはそうかもしれないし、単なる詭弁かもしれなかった。
 ともかく僕はそれらのことを、そのとき初めて意識したのだった。

「そら、旅立ちのときだ」
 ある朝起床するなりエドは車に乗り込んだ。僕もそれに従った。
「ヘイ、きみは何しに行くんだい」
「ヤー、北欧産金髪美女を探しに」
「そんな目的でいいのかい」
「それで十分だ」
「いや、おれならそこにもひとつ付け足すね。『ピュア』って言葉をさ。女はそうに限るぜ」
「そりゃいいね」
 確かに僕はそれを求めているのかもしれなかった。
「僕には手垢がつきすぎた」
 ぼやくように出たその言葉は日本の言語だったが、エドは何も聞かず、ただ小さく肩をすくめた。


#7

新幹線

あの頃、私はあなたへ逢いに行くため、毎月ひかりへ飛ぶように乗車しました。
仕事が多忙を極め、格安チケットを買いたかったのですが、時間も無く、窓口で時計と睨めっこしながら券を買っていました。
運動をしない私に、あなたに逢いに行くという気持ちが、階段を駆け上がらせていました。
息つく間もなく、ホームに入ってくる白い車体に、あなたを抱きしめるかのような気持ちになったのを今も忘れてません。
今、ベビーカーに乗ったあなたによく似た赤ちゃんがスヤスヤ寝息を立て始めました。
私の横でその子をあなたは優しい眼差で見つめています。外を猛スピードで走る白い車体の中、微かな揺れに導かれるように瞼を落とし始めたあなた。
車窓越しにあなたを眺める日が来るとは、あの頃の一人で眺めてた景色とは変わりました。


#8

鼻曲がり地獄の一丁目

男は、鼻が曲がってること以外は完璧な容姿に見えた。それだけに実に惜しい。終始そんなことを考えながら男と対峙していたので、説明はなにも頭に入ってこなかった。「雇用関係についてなにか質問はありますか?」上の空の僕に男は言った。「いいえ…よろしくお願いします」月並みの台詞に苦笑いを添えて僕が言うと、男は渋面を作って、「できれば今日から働いてもらいたいんですよね」「今日からですか?」「ええ、できれば今から。ご存知のように、工場は慢性的に人手不足でしてね」男はそれが最終関門であるかのように言うけど、こっちはまるで心の準備がなかったから、思わず相手の鼻を凝視してしまった。「どうでしょう?今から」不遜にも唸り始めていた僕に、男は繰り返した。「分かりました。その前に…」僕は覚悟を決めた。「ええ、もちろん。事前に済ましておくべきです」…誰もいないトイレに駆け込むと、僕は存分に毒づいた。「けっ、今日からなんて聞いてねえし、最悪、明日からにしろよ。それにこれから一杯やるんだから!」そうと決まれば長居は無用だ。逃亡のスリルを体いっぱいに感じてトイレを出ると、「では、ご案内します」男は外で待ち構えており、動揺を隠せないでいた僕に、おそろいのヘルメットと作業服を手渡してきた。それからドアを何枚もくぐって、この位置につかされて10時間経つが、細かいことは覚えていないし、細かいことなどなにもないのだ。最初の6時間はベルトコンベヤーに煽られ、後方の壁にかけられている時計を見やる余裕もなかった。なんのための、誰のためかも判然としない部品が絶えることなく流れてくる。それを僕は掬い上げて…時おり、上からなにかが降ってくる。それはかなりの確率で僕を掠める。少し離れた僕の横には、はるか頭上にいるであろう人間が、そのなにかを捨てるためと思しきクズ入れのような巨大なボックスがあるのだ。ふと、視線をベルコンからずらすと、機器側面に掲示された『安全責任者』の表記に、例の曲鼻の写真がある。いや、別人か?思わず二度見してしまう。写真の男は確かに彼だが、鼻梁はまっすぐに整っており、思考が麻痺している僕は、しばし見惚れてしまう。「バカヤロー!」突如、怒声を浴びせられる。おろおろと辺りを見渡すと、編み目の足場越しに、曲鼻の男が僕を見上げて睨んでいる。「テメ−が手ぇ止めると俺に当たるだろうが!」実物の鼻は、やはり曲がってるのだ。


#9

プロペラ機

 頭を上に向けた大型の旅客機が音を立てて昇っていった。屋上の塀に両肘を立てて、一枚、二枚と写真を撮った。滑るように左へ旋回すると、向こうの空へと姿を小さくしていった。高い空は、薄く引き延ばされた雲がゆっくりと流れていた。
 屋上には授業の合間を潰しに来た一年生の女の子たちが集まっていた。僕と一緒に屋上へ上がってきた三年生の男の子が、塀の影の中で日本の話をしたり質問に答えたりしていた。
 僕のつたない外国語でも何を話したり訊いたりしているのかは理解できた。三年生が時折僕に訊いてくるので、「そうだね」と答えると、一年生の女の子たちもふーんと納得して、そして日本へ行きたいと互いに目を細めて言い合った。
 文部科学省の留学試験に合格するには日本語能力試験の二級以上の実力が必要で、中国や韓国など日本語教育の強い国でないとなかなか合格する学生を育てるのは難しい。また同じ国の中でも地域によって環境面の差が開いていて、日本語を勉強しても、日本へ行く機会を得られない学生が世界中に居る。
 一年生の女の子たちに日本のどこへ行きたいか訊いてみた。

 しんじゅく、はらじゅく、いけぶくろ。
 みんな東京の街だね、若い人たちの街だね。
 ちがいますか。
 どう違うのだろう、僕も東京に住んでいないから分からないや。
 あきはばら行きたい。
 秋葉原は機械の街だね、パソコンやゲームの街だね。
 ほっかいど、きょと、おさか、おきなわ……あとゆきを見たい――。

 後輩たちに日本の話をする三年生の彼も、まだ日本へ行ったことがない。学年一日本語の上手な彼は、おそらく日本へ行く機会を得られるだろう。しかし、逆に言えばこの大学、この地域に居る彼と同学年の学生たちが、日本へ行く機会を手に入れるのは難しい。日本へ憧れの目を向けてくれる学生は多いが、日本へのハードルは高い。
 この一年生たちの中で将来何人が日本の地を踏めるだろう。今の僕の預金残高を思い出し、何人分の往復チケットが買えるか考えた。
 また一機飛行機が飛び立った。毎日何本と飛び立つ飛行機だ。学生たちは気にも留めずに話を続けている。僕はまだ若僧だ。日本語を学び、憧れを抱いた彼らを、日本へ連れて行く力が無い。彼らのためにしたいことがたくさんある。今の僕に必要なのは資金力だ。
 彼らと共に日本へ飛ぶ時を高い空のキャンバスに思い描いた。飛び立った飛行機に向けて、僕はまたシャッターを切った。


#10

卓上の高級猫缶

 バイト終わりの帰り道、ひどく足取りの重い野良猫と遭遇した。
 街灯の下、よくよく見れば怪我をしている様子はない。その痩せこけた風貌から察するに、空腹なのだろう。生気乏しい後ろ姿は、金欠病の己を彷彿とさせる。しかし猫は俺と違い、食塩で飢えを凌げない。きりきり痛む腹を抱えて、夜道をさまようしかないのだ。可哀想ではないか。
 俺は猫を抱えて下宿を目指した。もちろん下宿は犬猫出入り禁止であるが、この際気にしてはならない。命の重みと比べること自体が愚かしい。俺は大家の恐怖から逃れるため、強がりを並べた。
 幸運なことに誰にも鉢合わず、住まう一室に到着。適当に四肢を拭いた猫を、六畳一間に放つ。拘りが無い故に小綺麗な部屋を、猫は緩慢な動きで見渡していた。しかし目の前に牛乳の注がれた皿を置いてやると、興味は簡単に移る。猫は顔面から皿に飛び込み、牛乳をうまうまと舐める。瞬く間にそれは飲み干された。
 次に猫をバスルームに運ぶのは必然だった。牛乳化粧のまま、ごろごろされたのではたまらない。しかしシャワーの素晴らしさを理解出来ない猫は、狭い浴槽の中をピンボールの如く跳ね回った。おそらく隣人は首をかしげたことだろう。
 自身の空腹に気付いたのは最後だった。あれほど落ち着きのなかった猫は今、何故かテレビ番組に夢中である。ともかく俺は好機に乗じて、近所のコンビニへ出かけた。
 コンビニでは速やかに目的の弁当を購入すると決めていた。猫缶を発見するまでは。
 貧乏人と言えど、新しい家族を安い牛乳で迎えるなど言語道断。ご馳走を用意してこそ、良識ある日本人だ。となると、同じ猫缶でも良い物を選ばなくてはならない。とりあえず高価な物を買うとした。
 程なくして、安い弁当と高い猫缶を持って帰宅。扉を開くと六畳一間から、猫がこちらに駆けてくる。そう言えば、まだ名前を決めていない。いつまでも、猫猫と他人行儀ではよろしくないだろう。
 そうして差し出した右手は空を切り、猫はするりと股下を抜けた。扉の揺れる音がして、慌てて振り返る。しかし俺が目に出来たのは、猫のしっぽが茂みに消える一瞬だけだった。
 一連の潔さから何もしてくれるなと受け取った俺は、卓上でコンビニ弁当を開いた。濃厚な惣菜を咀嚼して思う。
 俺は本当に猫を救う気で連れてきたのか。自分が侘しい生活から救われたいだけではなかったか。
 もちろん、卓上の高級猫缶は答えてくれない。


#11

 蝙蝠は今日も、ゆるい笑みを浮かべた紙袋を被っていた。一人きりで教室を出る。下駄箱にあるはずの靴はゴミ箱から見つかった。
 下校途中、猿と猪に捕まって人気のない公園に連れ込まれた。砂場に突き飛ばされ腹を殴られ尻を蹴られ頭を踏まれる。猪の膝に顔面を打たれて鼻血が噴き出し、紙袋に描かれた口が赤く染まった。猿が財布を奪って中の札を抜く。二人は笑いながら公園を後にした。
 声が遠ざかるのを待って蝙蝠は弱弱しく立ち上がった。制服についた砂を払い、水飲み場で手と口元を洗う。血の染みを隠しながら二人とは逆方向へ歩く。

 廃工場の裏手の扉を静かに開ける。足を踏み入れると、埃っぽい空気と淡い闇が蝙蝠を包んだ。
「お月さん?」
 奥から様子を窺うように小さな声が響く。ベルトコンベアや錆びた箱の向こうでひよどりが床に腰を下ろしていた。蝙蝠の姿を見て息をのむ。
「血が」
 蝙蝠は壁に身を預け座り込んだ。
「ただの鼻血です」
「袋とるよ」
 紙袋を持ち上げると、左目のまわりを丸く型抜きされたような三日月形の頭が現れた。
 ひよどりはバッグからタオルを取り出し、蝙蝠の鼻や頬にこびりついた血と砂を拭った。汚れを落とし終えると、えぐれた部分の縁を指で優しく撫で、断面を覆うつるりとした肌に触れる。それから横に置いた紙袋を見やり「ホラーね」と苦笑した。
「そのまま帰る?」
「無理ですよ」蝙蝠の右目が睨みつける。「ひよどりさんだって見られたくないでしょ?」
 するとひよどりは寂しげに蝙蝠を見つめ、シャツの左胸に手を当てて微笑んだ。
「私のはここに空いてるの。見る?」
 蝙蝠はぽかんと口を開けたあと、真っ赤になって顔を背けた。ひよどりがくすくす笑う。
「冗談よ」

 蝙蝠は家に帰ると真っ先に自分の部屋へ向かい、汚れた紙袋を外して捨てた。
 椅子に腰掛けて勉強机の抽斗を開ける。中ではタオルにくるまれた女性の乳房が一つ、ゆっくり上下していた。そっと持ち上げて机の上に置く。白い皮膚の下に桃色の肉が覗き、奥で心臓が脈打っている。
 ひよどりさんの左胸だろうか。
 蝙蝠は胸に右耳を当てて目を閉じた。瞼の裏で心臓の鼓動が雫になって落ち、水面に波紋を描き出す。波に身を委ねながら自分の穴のことを思う。僕の左目も誰かに拾われているかもしれない。それがひよどりさんだったらいいのに。
「飯だぞ」と父親の声がした。蝙蝠は返事をすると胸を大切に仕舞い、電気を消して部屋を出た。


#12

でも、奥さんには内緒です。

あるところに、オヤジが居ました。

極々フツーのサラリーマンを、極々フツーに30年勤め上げ、未だに平社員でした。


何故でしょうか。今でも分かりませんが、オヤジは突然叫びました。
「こんな仕事辞めてやる!」

月末になり、オヤジは本当に会社を辞めました。
万年ヒラだったわけで、オヤジとしては、一切、未練はありませんでした。

しかし、問題があります。
いくら万年ヒラとは言え、妻帯者なのですから。
特に何のアテもなく仕事を辞めてしまったら、生活に困ります。

オヤジは、辞めてからその事実に気付きました。
子供は既に独り立ちしているから、迷惑が掛かるのは奥さんだけですが、それでも一体どうしたものか、と途方に暮れました。
とりあえず、公園出勤なぞしながら、どうしようか考えました。


そんなある日の夜、オヤジは、屋台でラーメンを食べました。

美味しいは美味しいですが、別に有名店というわけでもなく、素材に拘っているわけでもなく、そんなに飛び上がって喜ぶほど美味しい店というわけでもありませんでした。
しかし、オヤジは突然叫びました。
「これだ!」

それから毎日、オヤジは、あらゆるラーメン店を巡りました。


三ヵ月後、オヤジはラーメン屋を始めました。

オヤジの隠された才能か、オヤジのラーメンは美味しかった。
一ヶ月もしないうちに、大手ではありませんが、雑誌にも紹介され、そこそこの客が入り、黒字でした。


退職して、半年もしないうちに、オヤジの収入は、昔の給与を上回ってしまいました。

その後も右肩上がりで収入は増えていきます。


でも、奥さんには内緒でした。

元々、財布の紐はオヤジが握っていて、毎月、生活費を渡していたので、退職後も同じだけの金額を渡して出勤していれば、ばれなかったのです。奥さんは専業主婦であり、パートで稼いだお金で、お友達とお茶などするという、普通の人だったのも、ばれない要因だったでしょう。


そんなこんなで、数年後のある日、事件が起きました。

夜中に、オヤジの携帯に入った知らせ。それは、お店が燃えている、という事でした。
不審火でした。

次の日、焼け落ちた店を見て、オヤジは叫びました。
「こんな仕事辞めてやる!」

再建すれば、また流行るでしょうに。


また公園出勤に戻った親父は、雑誌のラーメン特集を読んでいて、これまた突然叫びました。
「これだ!」


今のオヤジは、匿名のラーメン評論家として、がっぽり稼いでいるとか。

でも、奥さんには内緒だそうです。


#13

盗作

君にはちんぼがあると言われた               Yes!! たしかに。 私には3本のペニスがある。
今日からはと、私は付け加えた。きのうまでは4本あったんだけど。 
誰だ?俺のナニを1本切ったのは?              

ラシーヌがらしい詩を書いて居る。              君にはらしい詩が書けるだろう。               但しダウナーな詩も書けて仕舞うだろう。            

毛島線一は上記の詩を盗作した容疑で取り調べを受けて居た。
「君ね、先ず本題に入る前に、君の名前なんだけど、モウシマセンイチなのかケシマセンイチなのか読み方が分からんのだけど、それをはっきりさせてくれんと本題に入れんわな」
「私は作家をやって居りまして、戸籍上はモウシマセンイチなのですが、ペンネームはケシマセンイチなのです」
「ふーむ。戸籍上とペンネームが違うと。それはいいとして、どうして盗作などやったのかね」
「実はですね、私が盗作したと言われるこの詩、これは私が昔したためた手帖にあったのをきゃつに盗用されたのです。むしろ私の方が盗作されたのですが、玉井君の方が先に発表して仕舞って、くだんの騒動になった次第なのです」
「ふーむ。玉井君の方に先に発表されて仕舞ったと。証拠はあるのかね。君が偽造文書を提出する可能性もある訳だから時系列的にも正しいかどうかの証拠を君が提出する必要がある」
「時系列的なのを証明するのは難しいですね。私はただ真摯にオリジナルの手帖を提出する事が出来るだけです」
「そりゃ厳しいかもな。まあでも何もせんよりはましだろ、どれその手帖を見せてくれんかね。証拠として採用できるかどうか鑑定してしんぜよう」
「そう言った事は弁護士を通してして貰いたいです。刑事さんに出したらどんな使われ方をするか」
「なに?わしを信用出来んの?ちなみに君の詩のタイトルは?」
「「静かだけど直ぐうるさくなっちゃって結局うるさい時間の方が長いんだからなあトータルで。だけどこの部屋で」と言うタイトルです」
「ふーん、そんなタイトルで売れるのかなあ」
 毛島線一の取り調べは終わった。


#14

畜笑

 その日、私は自分の部屋で寝転がつて、敷島吹かして、講談本を読みふけりながら、起きるも寝るも自由な身分を謳歌してゐたのだが、ふと、《人畜》でも買つてみやうか、なぞと思い立ち、ぶらぶらと浅草六区に出かけてみたのだが、噂に聞く人畜といふものはどこにも見えず、はてあれは友人一流の法螺であつたかと、肩を落として帰らふとしたところ、天突く浅草十二階の入り口付近に、なにやら女衒屋の主人の如き面構えをしたる男がゐるので、もしやあれがそうか知らんと声をかけて見ると、まさに人畜飼いを生業としたる人畜屋の香具師にて、恐る恐る「一匹、や、や、一人といふのか、数え方が分からぬが、欲しいのだよ」と云ふと、男は完爾と笑つて、「これは旦那も運がよろしい、私がお連れしませう」と私の袖を引いて、ぐんぐん六区の貧民窟じみた界隈に入りこんで行くので、おおいに慌てたのだが、あつという間に目的の場所に着いたらしく、見事な店構への赤格子の女郎屋の前で立ち止まり、中に入れと薦めるので、おずおずと玄関口から入つて見ると、豈図らんや、まるで竜宮城の御殿みたくにて、金銀紅の綺羅綺羅尽くしに、三人官女に五人囃子、右大臣に左大臣、左近の桜右近の橘咲き乱れたるに、これはだうしたことだと怪しんでいると、奥より牛頭馬頭を率ゐたる若い娘が現れて深ヽと頭を下げるものだから、呆気に取られてゐたのだが、よくよく娘を見てみると、髪は白く眼は赤く、毛党の云ふところのあるびので、成程、猫と兎と禽の混じつたるが如くにて、これが人畜かやと感心してゐると、娘はすヽと膝を進め、私の右手を取り、「御馳走を用意致しましたので、だうぞごゆるりと」と奥の間に連れてゐかうとするので、ついてゐくと御膳の上に赤身の刺身の如きものがあり、どれどれ食してみると、初めて食う肉で、臭みがはあるが中ヽに美味にて、食ゑば食ふほど身体が軽くなる心地がして、ぱくぱくと口に運び運び舌鼓を打つていると、なにやらごりごりと音が聞こゑるので、何事かと見てみれば、先ほどの牛頭馬頭が私の足を鋸で挽いてゐる音で、畳が血で濡れてらてらと光つており、切り口の白は骨かしら脂かしらと思ひつつ、はたと手を打ち、ああ、何だ俺が食ふたのは自分の手足であつたかと、堪えきれず笑いだし、アハアハアハアハと笑ふと、娘も牛頭馬頭も大いに笑ゐ、人畜屋までも笑つているが、よく見れば、それは友人の顔で、アハアハアハアハ。


#15

チューリップ

(この作品は削除されました)


#16

ピープル、それは人々

 モーツァルトのボツ曲。
 ブラック・アイド・ピーズがいつのまにかヒップホップをやらなくなっていた。
 真冬の太陽がくろぐろと燃える雪を降らせていたのに気がつかなかった。


 ボクサーと猫が雑踏の中にたたずんでいる。
「なるほど、対比、というやつですな」
 目の前に現れたステッキを持った老紳士が言う。

 雑踏、の中の津波のまぼろし。

 電信柱は地面から突き出しているように見えるか? それとも電信柱は地面に突き刺さっているように見えるか?


 ビル影、シルエットの中にゴング響き渡り、セコンドの手により解き放たれたグローブの中にはばらばらになった人形。握りしめて、強く強く握りしめて抱きしめてばらばらになった人形。人形は小さい。

 人間は小さい。かみさまのそのちいさなかなしみを、小さいころ飼っていたペットが逃げたとか、好きな子が引っ越していったとか、そのような小さな悲しみを形にしたものだから。人形は小さい。ひとの、そのちいさなよろこびをかたちにしたものだから。
 ばらばらになった人形はなおるのだろうか。接着剤で固めて、抱きしめて、夜の間ずっと歩きまわって、またもどるかもしれない。違う形になら、かえれるのかもしれない。四分三十三秒、モーツァルトの曲が鳴り響いていて。アスファルトとアスファルトとコンクリートの間の虹の形。ビルの形。ゴング。テンカウント。
「わたしの十秒とあなたの十秒の、違いは、零コンマ八三秒です」
 十字架、鍵盤突き刺さってばらばらになって、それで歌があって。静脈、アフリカ、全て忘れられて。ブラウン管の中、かわいい人形が歌っている。赤いリボンの少女が、それを眺めている。
 リングの中央、アスファルト、アスファルトアスファルトアスファルトの間のビルのシルエット。
「たいていの奴らはなまるいビールの味を知らない。わたしは好んで飲むのだがね」
 体中鍵盤。メロディ。
 街頭、メロディ、マイクを持って百人から「愛してる」を録音させてもらった。
 四分三十三秒。これをどうしよう。なんでこんなことをしたんだろう。世界中から突き出した電信柱。世界中に突き刺された電信柱。砂漠の中でたくさんたくさん重なり合っていて、捨てられてしまった十字架のように重なり合っていて。涙の味は、生ぬるいビールの味に程遠い。わたしたちはあいに程遠い。
 猫が逃げていく。針金で出来た鳥籠の中に、リボンで縛られたリングの中に、猫が逃げていく。


#17

女の子

 僕の恋人は詩人である。それから忘れないうちに言っておくと、僕の恋人はアンドロイドであって、彼女はアンドロイドであるがゆえに詩人なのであって、つまりアンドロイド風情が詩人のまねをしていると考えるのは多分間違っていると僕は思う。
「ねえたくちゃん」
 と彼女が僕を呼ぶとき、じつは僕の本名は全く違うということに僕は少々苛立っていて、
「ねえねえたくちゃんたら、いまエッチなこと考えてるフリして何も考えてなかったでしょ」
 と言われても、本当は少しエッチなことを考えていたのだが、
「まあそうともいえるね」
 と僕は極力、アンドロイドであり詩人でもある彼女の会話に自分を合わせるようにしているのだけど、彼女にとってはそういう気遣いこそが二人の距離を遠ざけているのだという。
「ねえたくちゃんていうかタクアン和尚、もしくは君が東京タワーのてっぺんからエッチな言葉囁いてくれたら、私いける鴨」
 これは詩なのか?
「僕はたくちゃんでも、ましてやタクアン和尚でもない」
「知ってるわ」
 僕はいよいよ馬鹿にされているような気がしたので、彼女の無防備な春色の頬をパチンと平手打ちした。
「もう君を気遣うことはやめた。あまり調子に乗るなよ!」
 僕は春が嫌いだ。でも彼女の頬は柔らかい。
「最低。女の子に暴力ふるうなんて」
 と言って僕を睨みつける彼女を、優しく抱きしめようとすると彼女はボクサーのように身をかわしながら僕の股関に一発、強烈なひざ蹴りを入れ部屋を出ていった。
 そして床にうずくまる僕は世界を呪う塊に成り下がっていた。何か優しい言葉が必要だった。
「ごめんね、たくちゃん」と彼女が電話をよこした。「私のこと嫌いになっていいよ」
「今どこにいる?」
「知らない」
「僕を嫌いになったのか?」
「わからない」
 僕は鉛のように痛む股関を引きずりながら彼女を捜しに出掛けた。女の子って本当に面倒くさい。

 それから僕は何日も街をさまよった。ある晴れた日、後ろ姿が彼女に似ていたので僕はその女に声をかけた。
「すみません。あなたは詩人ですか?」
「そうだけど」
「あなたは彼女そっくりですが、あなたは僕の捜している人ですか?」
「私、人じゃなくてアンドロイドよ」
「僕の名前知ってますか?」
「私、好きな人の名前は全て記憶から消去するの」
「なぜ?」
「だって好きな人が、死んだあともずっと同じ名前なんて耐えられない。だから先にね、名前のほうを殺すの」


#18

『空と風と水と』

 朝、隆起した荒原に、痩せた鹿の幻影が浮かぶ。白い和毛の生えた膚が青空を背にし聳える赤い山稜の前を横切ると、疲弊と空腹で霞がかった視界に爽やかな風が宿り、遠のいた意識も辛うじて蘇った。右肩にのし掛かる妹の首の重みをはじめて感じた。ずれ落ちた綿毛布が焚き火の燃えかすに触れそうだったので、少しだけ引っぱってやると、眠気は浅かったのか、妹はすぐに目を覚ました。
 荒涼とした大地を眺める瞼は重たそうで、気難しく結んだ唇はかさかさに乾いていた。どれ、薬を塗ってやるよ。指を伸ばすと妹は顔を背けて、それ嫌い、臭いんだもん、と断る。乾燥を防ぐ薬は紫鈴樹の葉をすり潰し薄荷を混ぜ合わせたもので、臭いは相当きつい。触れた指にもしばらく残る。
 さっき鹿を見たよ。
 白いの、青いの?
 白……かな。
 じゃあ風の鹿だよ。
 またその話か、白い鹿しか現れないのに。
 青いの見たもん。
 青い鹿は空の鹿だっけ?
 そう、翡翠色のは水の鹿よ。
 妹が得意げに語るのは伝説の類だ。ここいら一帯は隆起した土地のせいで蜃気楼が見える。遠く離れた場所にいる鹿の姿が幻影となってそこいらを駆け回るのだ。日照りが先の方まで続いていると空の色が強調されて青い鹿となり、草の生い茂る水辺が近ければ、その傍にいる鹿は翡翠色の幻影となって映し出される。
 喉かわいた。
 呟いたきり、妹は大人しくなった。また眠ったのだろう。太陽の高いうちは移動しない、日暮れて涼しくなるまで体力は温存しておかなければならないのだ。湯気さえ立たぬ地面の果てを見つめながら、その先へと連れて行かれた両親について思う。かつては草木で潤っていたこの土地を太陽が浚っていったあの日から、二人の行方を追いはじめて幾晩が過ぎた。少しでも諦めた素振りを見せれば、必ず会えるそう信じてと、妹によく叱られる。信じればきっと叶うから、と。怖い夢を見て泣き出す妹はもうどこにもいなかった。
 水気の失せつつある眦がしびれて、瞬きを繰り返す最中、開けては途切れる視界の片隅に目映い何かを見つけた。赤土に殊更映える翡翠色の、幻影だった。
 鹿だ、水の鹿が見えたぞ。
 肩を揺さぶっては見たものの、妹はごろんと寝返りを打っただけだった。肌が砂にまみれようとも、寝顔は安らかでひたすら可愛らしい。鹿が逃げてしまうよ。諭す声もか細くなっていく。
 人知れず足許に芽吹いた新芽の、青々とした葉に蓄えられた雫が、土を濡らす。


編集: 短編