第102期 #7

「君を待つ」

床、壁、天井、服、全てが真っ白だ。
何も無いこの空間で自分を保つのは酷く難しい。人間は記憶がないと形状を保存出来ないのだ。
その証拠に指先が白く染まっている。想像の記憶を作らないと全て白くなってしまう。
例えば、花畑に行くなんてどうだろう。地面を敷き詰める色とりどりの花々が咲き乱れる中を走り回るんだ。視界の中を満たしては掻き回す花々は万華鏡のように違いない。それに飽きたら好きな花を根元から手折って冠を作ろう。緑色の輪から咲く花にはどんな金細工も勝てやしない。世界に二つしかない冠は色とりどりの生で満たされているから。
何時の間にか指先には小さな花びらが散っている。花でも摘んだ後のようだ。床が色彩豊かに染まっている。
例えば、海に行くなんてどうだろう。空と区別がつかない位の蒼い海。サンダルを木陰に脱ぎ捨てて、太陽に熱く焼かれた黄土色の砂を火傷しそうになりながら走るんだ。海まで着いたら冷たい海水に足を浸して熱を冷ましてから遊ぶ。海水を掛けあって、口に入ったら塩の味を楽しんで。時間を忘れるほどに遊んだら夕日を見る。割るのを忘れていたスイカを切って食べながら。
何時の間にか指先に皺が寄っていた。海水に漬けた後みたいだ。座っている場所から床が青く染まっている。
例えば、紅葉を見に行くなんてのもいいかもしれない。山道に沿って生えている紅葉の樹に囲まれて山を登るんだ。山頂まで行ったら、夕焼けみたいに紅く染まった紅葉が降り注ぐ中で持ってきた手作りお弁当を広げて食べる。注いだお茶に入った紅葉をそのままに優しく揺らして笑うんだろう。
何時の間にか手に紅葉を握っている。小さなもみじは赤子の手のようだ。座っている場所から床が夕焼け色に染まっている。
例えば、雪が揺る寒い中、駅で待つのはどうだろう。恋人同士でくっつき合いながら歩く人達を眺めながら待つ。毛糸の帽子を被って、手袋を嵌めて、マフラーを巻いて。肩には僅かに雪が積もって長く待っていたことを教えてくれる。でも、驚いた顔が見たいから。走って駆けてくる姿が見たいから。遅れたことを謝る姿も。
だから、待つんだ。真っ白い中で。
何時の間にか床は真っ白に戻っている。指先だけが僅かに冷たい。軽く握って温める。顔を横に向けると白い壁に埋もれるように扉があった。彼が来るまで、ここから出るわけにはいかない。
温まった指先は肌色をしていた。



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