第102期 #15

『風神病者、逝く』

 ぼくが生まれた村では、風神病という病が流行している。北風に乗っかって何処からともなく現れる悪魔が、体内に入り込みすっかり棲みつくと罹るらしい。この村唯一の医者である孟六爺さんの元に来る患者は皆、狭苦しい個室に閉じ込められ、何人も近寄ってはならぬ、誘いに乗って近付いたら最後、悪魔が乗り移ってしまうと爺さんが言うので誰も近付かない。
 夜ともなると病棟から患者の呻き声が漏れてきて、風神病に対する村民の恐怖は一層強まる。村には治せる薬もないので、若い男二人が数日前に山を下り、下界にある別の村まで薬を探しに行ったところだ。村を出たのが二週間前だから、早ければそろそろ戻ってくる頃だろう。悪魔信仰を信じてやまない孟六爺さんは薬では治せないと豪語するけど、村民は頑なに薬の力を信じている。この世の病に薬で治せない病はない。しかし、村には薬を作る技術がなく、買うとしても麓まで行く方法しかない。更に単価も高いとくれば、一般村民は手が出ないのだった。
 とある夜。ひとりの患者の容態が悪くなり、松明を掲げて病棟を囲んだ村民の前で、孟六爺さんはその死を報告した。泣き崩れる父母。憤りを露にする男勢。そんな訳で、ぼくは死んだ。短い人生だったけど、それはそれで楽しかった。やり残したこともあるし、大人になってみたかったとも思うけど、孟六爺さんの言うとおり、本当に悪魔のせいであるなら仕方がないと思った。地獄の業火で焼かれるほどの熱、胸から込み上げる咳、何を食べても受け付けない吐き気。後にそれがヴィールスという菌によるものだと知るけど、もっとも苦痛に悪魔信仰も病原菌も関係ない。
 薬を探しに行った二人が戻ったのはぼくが死んでから三日後のことだった。彼らは幾許かの錠剤の薬と檸檬の苗木を持ち帰ってきた。薬を飲ませた患者はたちまち快復し、風神病は根絶した。悪魔は檸檬を嫌うらしいのだ。
 村民は苗木を敷地に植え、年中暇なくすっぱい顔をさせて貪り食っている。そのせいだろう、腹痛で孟六爺さんの元に駆け込んでくる村民の数は風神病患者より増え、ごろごろと腹が鳴るその病を爺さんは雷神病と名付けた。その頃ぼくは異国で風邪という名の病を知り、食べすぎはよくない、悪魔のせいなんかじゃない、故郷の皆にそう伝えてあげるべきだったが、術がないしそのつもりもなかった。
 たとえぼくの死が無駄なものであっても、それがこの村のあり方だと思うから。



Copyright © 2011 吉川楡井 / 編集: 短編