第101期 #14

魔法を使う女たち

 不可抗力により新しい朝を迎えた。こめかみに何か刺さっている感じがした。触れてみて気のせいだとわかった。
 室内では、エアコンがタイマーの指示の下、既に仕事にかかっていた。いや、室内外で仕事をしていたというべきだろう。いわば共同作業だ。

「最後の共同作業よ、ハハ」
 眞美はそう言って、携帯電話で撮った離婚届書を見せてくれた。転職や結婚のときもそうだったように、彼女はいつも結論を出してから、不安や後悔を惜しげも無く分け与えてくれる。
 無国籍か多国籍の、日本国籍でないことだけは確実なレストランの客席は薄暗く、わたしはぼうっと光る画面を、目を細めて覗き込んだ。こうした積み重ねで額のシワが深くなるのだという諦念が強まるにつれて、友人への気遣いは薄れていった。
「よく撮れてる。これって何万画素?」
「えっ、そこ?」
 実際は彼女の元夫がひどく字が上手いのに驚いたのだが、ねえあの人ってボールペン字講座でもやってたのとかって聞いていい? イエス、ユーキャン! 的なアレよりは、画素バナの方がまだマシなように思えた。
 携帯電話を握ったままいつしか押し黙ってしまった友人の肌の調子を観察しながら、名も知れぬ赤い野菜をよく噛んだ。意外と汁気があった。

 昨日は食べてばかりだったから、これは宿酔ではないのです。わたしはそう言って部屋を出た。
 居間では母が出かける支度をしていた。
 何か履けお尻を掻くな腹出すな頭を掻いて匂いを嗅ぐな、と爪先から脳天までわたしを見つめる、製造物責任に対する意識の高まりを反映した風の小言に生返事をしていると、ロボット掃除機が唸り声を上げた。
「あら、もう時間」
 母は掃除機が動き出すのを見届けてから出かけるのを日課にしていた。健気で癒されるのだという。なんかすいません。
「こいつうるさいから、わたしが休みの日はやめて欲しいんだけど」
「あんた休みの曜日が決まってないし、だいたい寝てるでしょ。いやなら自分で掃除してよ」
 そうですね。わたしは頷いて、洗面所に向かった。
 顔を洗い、台所でバタートーストを拵えていると、裸足の指先が耐え難く冷えた。居間に舞い戻って、基本的人権の一端である着席権を行使した。
 パンをかじるわたしの周りで、ロボットがやかましくぎこちなく仕事を続けた。
 人の心のはたらきも、機械を統べるロジックも、わたしの理解を超えている。不思議と頭が痛かった。
 まるで魔法のように。



Copyright © 2011 戦場ガ原蛇足ノ助 / 編集: 短編