第100期 #6
(川が流れ始め、皆が立ち上がる)
「マルクスは死んだ」
僕も知っている。
「マルクスは戻らない」
それも知っている。
「だから俺がマルクスになる」
それも。
(沈黙。一人目の生徒の名前が呼ばれる)
冷蔵庫を開けたり閉めたりしていた。鏡に向かってお前は誰だと問う。精神も肉体も腐敗しない。青空に電線が浮かぶ。時々安いウイスキィを買う。優しくそのビンを撫でる。慈しむようにも見える。棺の中の死者の頬を撫でる。
電話ボックスに風は吹かない。信号機は月のない夜にも休まない。追憶の森にもう逃げこまない。抽象化せよと教師は言う。抽象のびいどろは美しい。彼は時に反抗的だ。海辺に体を横たえて。自分の肉体をゆっくりカノンコードに乗せ。
Cのコードは水面に漂わせ。Gのコードは笑顔を装う。肉体を抽象化していく。三度目のEm。黙って円を描いた。冷蔵庫の底の手紙。あの日に忘れた超能力。抱き抱える微かな微熱。
宇宙最後の少年少女は素粒子になる。涙を浮かべながら口ずさむ。手慰みに冷蔵庫の扉を開け閉め。鏡で自己の身体を抽象化する。おはよう、あなた。おはよう、おはよう。今日もまた、始まる。この坂をのぼれば教室が見える。
落涙する銀杏。
「生徒の学ぶ権利を守れ」
赤服の少年少女たちは笹帽子をかぶって切なく歌う。
「生徒の泣く権利を守れ」
彼は百号館屋上から見つめていた。
「マルクスは死んだ、もうここには戻らない」
(回転する円環。反復される個別)
(繰り返し)
葉っぱ。
葉っぱ。
葉っぱっぱ葉っぱ。
葉っぱっぱ葉っぱっぱ葉っぱ。
私を見つけてと彼女は叫ぶ。鉄橋を見上げて涙を落とす。落ちた涙がゆっくりとゆっくりと地面を染めていく。廃墟に一滴の命。
葉っぱ。
笹の葉っぱっぱ。
世界の中心で葉っぱっぱ。
春風に舞い上がる葉っぱっぱ。
葉っぱっぱっぱっ葉っぱっぱ。
葉っぱっぱっぱっぱ……。
(甘い沈黙。女生徒の鼻をすする音。淡いハンカチ)
「マルクスを守れ!」
「ああ桜が咲いているよ」
「マルクスを断固として葉っぱっぱ!」
「マルクスは死んでしまったよ」
「もうここには戻らない」
「葉っぱっぱ!」
「葉っぱっぱっぱっぱ!」
永久の時空にこだまする。
琥珀色のビンには毒薬が入っている。紙筒を持て余す少年少女。すまし顔の入道雲の先には宇宙。ひとつになった少年少女。おはよう、あなた。おはよう、おはよう。今日もまた、始まる。この坂をのぼれば教室が見える。