第100期 #17
妻を亡くした。悲しかった。何をする気も起きなかった。数日後、上司に言った。
「会社を辞めたいんですが」
「きみの気持ちはわかるが」上司の顔が歪んだ。「それではどうにもならんよ。仕事に没頭すれば気分もまぎれる」
「そうですね」
翌日から無断欠勤した。携帯電話が何度も鳴ったが、無視した。
この状態ではよくない。自分でもわかっていた。わたしは近くを散歩することにした。それを日課にした。
ペットショップの前を通った。張り紙があった。「探しています」。犬がいなくなったらしい。コリー犬の写真があった。それを見てわたしは思った。
この犬はもう死んでいる。
張り紙に連絡先が書いてあった。わたしは探し主のもとに電話をかけた。
「もしもし」年配の女性がでた。
「張り紙を見た者なんですが」
「ああ、ありがとうございます! 何か見つかりましたか!」
「いえ、それがお宅の犬はもう死んでまして」
「……え」
「その、よくわからないんですが、もう死んでると思うんです」
「冷やかしはやめて下さい!」
切られた。わたしはもう一度電話をかけた。
「先ほどはすみません。変なことを言って」
「…………」
「あの、聞いて下さい。わたし、こないだ妻を亡くしまして。妻のいない部屋に住んでいるんですが。匂うんです。生前の妻の匂いとは全然違う匂いです。それを嗅ぐたび、胸が締めつけられるんです。ああ、妻は死んだんだなって。それと同じ匂いがお宅の犬の写真からもしたんです。それで−−」
切られた。わたしはもう電話をかけなかった。
数時間後、わたしの電話が鳴った。
「もしもし」わたしは言った。
「もしもし。ええと、おじさん?」女の子の声だった。
「誰?」
「ジョンの。あ、コリーを飼ってるとこの」
「ああ」
「ママ、すごく怒ってたけど気にしないでね、おじさん」
「ああ、ありがとう」
「それにあたしも思うの。ジョンは死んだんだって。ママが張り紙作ってるときから思ってたの」
「…………」
「だから気にしないで。あ、ママだ。内緒で電話してるから。またね、おじさん」
切れた。わたしは疲れた。
翌日、またいつものように散歩した。ペットショップの前を通った。店員が外にでて、例の張り紙を剥いでいた。
「見つかったんですか?」わたしは聞いた。
店員は言った。「いえ、さっき探し主のかたからご連絡がありまして。もう張らなくて結構ですとのことでしたので」
店員は張り紙を持って、店内に消えた。