第100期 #16
山口さんと帰る方向が同じということを僕は今まで知らなかった。冷蔵庫の組立作業のバイトは、就職浪人中の繋ぎとしての仕事だったが、慣れてくると案外居心地の良い職場で、もう二年以上勤めていた。余程の不器用でもない限り一ヶ月もすればコツをつかめるような仕事だというのに、僕よりも前から働いている山口さんの手際の悪さと言ったらなかった。どうしてここまで動作がのろいのか、山口さんが一台組み立てる間に、僕なら五台は組み立てられる。
童顔のわりに頭髪が薄い山口さんは、年齢不詳だ。僕と山口さんが仕事帰りに会うことは今まで一度もない(帰り支度も山口さんはゆっくりなため)。今日は、いつもより遅くなった僕が出ようとすると、後ろから「児玉くーん」と声をかけられ(声までのんびり)、振り向くと笑顔の山口さんが立っていた。
ホームで電車を待っている間、山口さんはどうでもよい話をのんびりした口調でずっと話していたが、電車が来ると急に口をつぐんだ。そして電車が止まるか止まらないかの時、早口で「児玉君、あっちです」と腕を取ると、機敏な動作で僕を引っ張っていった。ドアが開く前に「児玉君、右側の中央あたりを目指して下さい」そう言ったと同時くらいに、ちょうどそのあたりに座っていた乗客の二人がスッと立ち上がった。僕たちは、その用意されたみたいな空席へ座ることができた。
「ラッキーですよ、二人分、しかも隣合わせで空くなんて」
山口さんは、またのんびりした口調に戻りながらも息は弾んでいた。
「分かるんです、どの人が降りるかどうか。余程混んでいない限り、座れないことはまずないんです」
誰が降りるか分かる能力、中々便利な能力だと思った。こんな便利な能力が山口さんにあったなんて……、僕にはいったい何があるのだろう? 僕にも、特別な能力はないものだろうか? そんなことを考えていて、ふと思いつくことがあった。電車で、隣で寝ている人が必ず僕の肩へもたれかかってくる、老若男女問わず。反対側のきれいなお姉さんの肩のほうが心地よいだろうに、むさくるしいおじさんが選ぶ肩は、いつも僕だ。ひどいときは、左右両隣からもたれかかられることもある。僕の肩は、人を惹きつける特別な能力があるのか? アホらしい、こんなもの特技とは呼べない、そう思った時、気付けば、いつの間にか静かになっていた山口さんが、僕の肩にもたれかかりながら気持ち良さそうに寝ていた。