第100期 #14

那由他と阿頼耶の狭間にて

 ――夏の日。

 汚れた空気と騒音に塗れた午後。
 からからと生ぬるい風を送る扇風機を眺めながら、私は宇宙の始まりについて考えていた。

「いち、じゅう、ひゃく」

 ただひたすら数を発する。没頭する。そうして自分の生や死を想い、宇宙の廻天について考える。輪廻の証明と、やがて訪れる結末の理由についてを考察する。

「さい、ごく、ごうがしゃ」

 やっと寝付いた弟の頭を撫でながら、扇風機と一緒に思考する幸せは誰にもわからない。からからと回転する世界と私だけの奇跡のひと時。

「いち」

 そういえば、蚊取り線香を焚き忘れていた。
 ――思考が分離する感覚。

「また来たよ」

 はっ、と。
 その言葉を私に発したの母親でも弟でもまして私でもなく、目の前の扇風機だった。

「廻天を想う解辿の少女。一時の快、はたまた怪を与えよう。全て忘れてはみませぬか」

 それはまるで暗号。だが私は解典を無意識に持っていた。

「宇宙の始まりを見せてくれるの」
「転じて君の終わりをお見せしましょう」

 急転直下、刹那六徳虚空清浄――。
 私はその『隙間』を真っ逆さまに墜ちていく。暗黒色の流れに身を任せ、時折走る煌く虹に抱かれていく。ここは天の川とは逆なのだ。物質と精神の差異が極点に達し、偶然によって生まれる歪み。私はネガティヴとポジティヴの紙一重にいる。ありとあらゆる正負が、回転し、私を流れの一つとしていく。脳の中に宇宙はあり、宇宙の外は細胞なのだ。その力強い言葉が、この隙間における私の骨組みとなる。
 
「見たまえ。あれが細胞の死の瞬間だ」
「あれは星の誕生なのね」
「そしてこれが君の愛する弟だ」
「これが私の嫌いな母の末路」

 踊っているようだった。
 目に見えない誰かと、覚えたばかりの知識で、まぐわっているかのような気分だった。
 疲れと幸福感に満たされていく。









 ――耳障りな、がらがらとした音がどこかから聞こえてくる。

「もう少しだけこうしていたいのに」

 記憶が掻き戻されてくる。
 がらがらと廻る音。泣き声。騒音。
 その暑い時間。

「少女よ。貴方は戻らなければならない」
「どうして」
「時間だからだよ」


 はっ、と。
 弟が泣いている。お腹がすいたときの泣き声をしている。扇風機は軸が異常になった時の異音を鳴らしている。回しすぎだ。

「ごめんね」

 体が寝汗塗れだった。
 立ち上がり、扇風機を止め、台所へ向かう。
 その半ば、窓の外に飛行機雲が見えた。
 



 外は今日も快晴だ。 



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