第10期 #31

閑計

 窓から入る光の方向を確かめ麻布を取り払い、布の下から現われた石の裸婦の頬から冷たい首までを掌でなぞる。それの質を確かめていると奥から声が聞こえた。
「これが例の像ですか」
 声の主はゆっくりと近づき、像を指差した。
「『下界から優れた作家を探しだし、楽園にふさわしい純真さを持つ女性像を作らせよ』との命だ。もう一つの人型のために御手を煩わせる必要はないのだろう」
 裸婦像に触れ、一周した後、怪訝な顔で訊く。
「見目はなかなかですが、ヒトをただ丁寧に象っただけで、躍動感があるわけでもなく艶も欠片もない。このような物でよいのでしょうか」
「女の形をしていればよい」
「それに」
「どうしたのだね」
「純真というよりも、私には、白痴に見えるのですが」
「それが狙いなのだよ。蛇を放っても実を食べねば意味が無い。作家探しには苦労した」
 二人の笑い声が聖堂に響く。
「そのご苦労は必ず報われることでしょう」
 懐から白く細い枝のような物を取り出し、裸婦像の胸に当てた。
「アダムの骨さえ埋め込めばよい、と、仰ったのも主でございますから」
 骨は像にゆっくりと吸い込まれ、完全に内に入り変化が始まった。骨格、心臓ができると同時に血管が像の隅々まで走り渡り、心臓の拍動で血が流れ肌に赤みがさす。うつろだった目の焦点が合うと、初めて生を与えられた像は長い髪を揺らし、小さくあえぎ、ぐらりとその場に倒れこんだ。
「なんと回りくどいことをしなさる」
「蛇に直接たぶらかされたのがアダムでは御尊厳に関わるからな」
 床に横たわる女の手を取り立ちあがらせ、白い額に口付けをした。
「マドンナ、楽園へご案内しましょう」
 女は無邪気に微笑み、一歩踏み出した。

「私が駆けだしのころ、裸婦像の依頼を受けました。依頼者は無名の私の作品をたいへんな高額で買ってくれました。しかし金額よりも、私の作品を見て『理想どおり』と言ってもらった、その言葉で自信がつきました。
 それからです。運命が変わったみたいに私の女性像があちこちで高く評価されるようになりました。今の私がいるのはあの時の裸婦像を依頼され方のおかげだと思います」

 取材地の安ホテルで、田舎に引きこもり創作をする彫刻家の記事を書き終わると、喉の渇きに気がついた。冷蔵庫に入れ忘れて温くなった安い茶を飲み干し、ゴミ箱へ放る。ホテルに備え付けられている聖書が目に入り、手を伸ばしてはみたものの、私にそんな閑はない。


Copyright © 2003 西藤琴 / 編集: 短編