第10期 #30
あなたはどこでこの春を迎えているのでしょうか。
冴え返った硝子のような空気の中、黒く骨ばっていた欅並木の枝々が、黄緑の絵の具でぼかしたように煙っているのに気づくと、ああ、と胸が迫って、何故かあなたのことを思い出しました。
私があなたを初めて意識したのは、高校二年の時でした。組は違っていたものの、何日かに一度、廊下なぞで見かければ、それだけで何か幸せな気分になるのでした。
私立の男子校の進学クラスで、あの頃の私たちは皆、長い長い冬の中に放り込まれていました。自恃と自嘲の複雑に混じった微笑の裏には、暗い不安が常に貼りついているのでした。
そんな中で、あなたの周りにだけ、不思議と暖かい日だまりが出来ているように、私には感じられました。次の年に同じ組になると、私たちは水がぬくまるように親しんで行きました。
あなたには二人のお姉さまがいらして、子鹿のようにやんちゃな所、そしてどこか可愛らしい所はそのせいかと密かに納得していました。逆に私は長兄の生れつきで、二人の交わりは自然とそういう役割を持ち寄ったもののようでした。
同じ大学に進んでからも、往来は絶えませんでした。あなたは市民オーケストラでバイオリンを弾いていて、演奏会のたび、私はあなたから券を買って聴きに通いました。幼い頃から親しんでいた芸術の香気が、あの冬の時代にも、あなたの明るさを支えていたのですね。
ある時、演奏会が終わって外に出ると、いつの間に先回りしたのか、黒い燕尾服姿のあなたが、ロビーで待っていたことがありました。お喋りしているうちに辺りは閑散として来て、あなたは、
──うちに泊まっていかない?
と勧めてくれました。もう遅いし、親もそうすればいいと言ってる、と。
何度も、いいの? と言いそうになりながら、私は結局、その無邪気な好意に応えることは出来ませんでした。
──やっぱ止めとく。ご迷惑になってもいけないから、帰る。
ホールの周りの橙色の街灯に、霧雨がぼうっと暈を広げていました。
大学院を出たあなたは、マレーに働き口を見つけて、去って行かれました。
どんな仕事なの? と尋ねても、「イリーガルな仕事」だよ、と微笑するばかりで教えてくれなかったのは、単にあなたの軽い意地わるだったのでしょうか。
私は──あなたと通ったあの学校で、やくざな講師をしています。あなたのような輝きを持った少年には、いまだにお目にかかりません。