第10期 #29
重い扉をこじ開けると、風がぶわりと吹きつけてきて、沙穂は思わず目をつぶった。
都でもっとも高い塔の屋上である。
今夜は大陸から黄砂が押し寄せている上、光化学スモッグが発生しているから、お月さまはもちろん星の瞬きもまるでなし。隣の塔の、飛行艇のための灯火に照らされるときを除けば、そこは闇の領分だった。占星術なんかクソ喰らえだ。
(――未来なんて、そもそも不確定事項じゃない)
沙穂はぷりぷりしながら、備え付けのドーム型貯水器のはしごに足をかけた。
(それをどうして怖がる必要があるんです。ちょっと不吉な陰があったくらいで、それがなんだっていうんです。まったく神経質にも程があるわ)
お客さんが聞けば卒倒するに違いない。師匠が怒ったのも無理はないと沙穂は思う。理性的な判断だ。だけど、言い返さずにはいられなかったのだ。
沙穂は貯水器のてっぺんに腰掛ける。一番空に近い場所だ。屋上に張り巡らされた金網よりも高いから、もし風に煽られ転げ落ちたりしたら、ペちゃんこに叩き潰されて死ぬのは必至。そんなこと、馬鹿でも分かる。
(高いところには絶対登るな)
少し青ざめて師匠は言った。懇願だった。師匠の腕はピカイチで、予知能力など持っていないのに、よく当たるのだ。
下を覗き込めば、飛行艇やら飛獣やらが、塔の谷間を行き交っているのが見えた。ちっぽけな人の群れ。だけど隕石に当たって死んでも、それが運命と受け入られやしない。だから人は占いに頼るのだろう。馬鹿げたパラドックスだ。
「未来は変えられる。危険は承知。運命なんて存在しない」
沙穂は声に出して言った。すると、背中から返答があった。
「知ってるよ」
師匠だった。いつからそこに居たのか、金網の向こう側、紅狗に跨って浮かんでいた。飛獣は音もなく着地して、師匠も屋上に降り立った。
「ただ、沙穂はおっちょこちょいだからね。危険を避ける方法を知っていても、しくじる公算が大きいだろう? 危険から守ってやりたいという、親心のつもりだったんだよ」
「可愛い弟子には旅をさせろ、とも言いますが」
師匠は溜め息をついて、降りておいでと手招きをする。沙穂は素直に従うことにした。引き際だ。これ以上困らせても得をすることはない。
「まあ、臆病風に吹かれたわけではないのなら、良しとしましょう」
沙穂はにっこり笑って飛獣の手綱を握った。あたりは真っ暗だったけれど、師匠が苦笑するのが分かった。