第10期 #14
「――久しぶり、だね」
風が強く吹き付ける中、ふとそんな声を聞いた気がした。
マンションの屋上。金網の前に座り込み、街の様子をぼんやりと見つめる。高所から見下ろす景色は壮観だ。夕焼けに染まった町はひどく美しい。
「これがお前の見た、最後の景色か」
沈みゆく太陽。遠くに見える山々。動き回る小さな車。そんなものを見ていると自分がどんなに小さな存在であるかを思い知らされる。それは圧倒的な無力感。世界は残酷だ。そんな世界を眺めながら彼女のことを考えた。
(ねえ。私のこと、好き?)
「当たり前だろ。だから俺はこんなにも苦しんで、そしてこんなところにいるんじゃないか」
冷たい風が頬を撫でる。どれだけ待っても、風の音しか聞こえなかった。
(あたし、あなたの笑顔好きだな)
苦々しい感情が身体を支配する。憎しみではない。行き場のない怒りが体の中で再燃する。いっそこのまま体を内面から焼き尽くしてくれればと、何度願ったことだろう。
「お前が好きだと言ったものは、今では全く現れてはくれないよ」
空を見上げる。茜色に染まった空は地上から見るよりもずっと近くに感じられた。それでも伸ばした手はただ宙を掻き毟るだろう。
紅く染まった世界。美しい街並み。彼女の見た最後の景色。不意にそれらがひどく脆いものに思えて、俺はゆっくりと目を閉じた。その暗黒の世界のなかで、彼女の透明な瞳を思い出した。その瞳は何処までも澄んでいて、何も映してはいなかった。
ゆっくりと目をあける。そこには先ほどと何一つ変わらない景色が広がっていた。まだ太陽は世界を紅く美しく染め上げていた。だがもうじき山の向こうに消えてゆき、世界は闇に包まれるのだろう。そしてまた太陽は世界を照らし、そして沈み、そんなことを何度も繰り返すのだろう。
「お前は、死んだんだよな」
そしてそんな繰り返しの世界の中で、俺は彼女がいなくても生きていくだろう。
しばらくして、俺はゆっくり立ち上がった。
「もういいのかい?」
少し離れてずっと見守っていてくれた友人がそう言った。
「ああ、もういいよ」
振り向いて笑顔を作ろうとしてみたがうまくはいかなかった。それでも微笑くらいにはなってくれただろうか。
「じゃあ帰ろうか。じきに、日も暮れる」
「そうだな」
頷いて友人のもとへと歩を進める。その途中、心の中で彼女に最後の言葉を贈った。さようなら。
「――バイバイ」
彼女の声を聞いた気がした。