第10期 #12
月の夜、母は懐から祖母の形見の白い瑪瑙を取り出すと、低く口笛を鳴らせて息を吹きつけた。月光石とも呼ばれる小石は、ぼんやり発光したように見えた。
「こうすると、願いが叶うんだよ」
以前母はそう言った。
夏の終わり、姉は恋人と喧嘩別れしてしまった。恋人の名は正広と言って、不可もない温厚な青年だった。姉はよく二階の自分の部屋の窓から外を眺めた。窓柵には鉢植えの花を置いていたが、しばらく前に全て別の場所に移していた。
ある蒸し暑い夜、私は眠れずにいた。
ふと、口笛の音がした。そして、小石がコツリと鳴る音。
キッチンに行くと、車椅子の母がいた。母は月光石を両手で撫でさすっていた。私は母の動かない両足を思った。十年前、母は車にひかれそうになった姉を助けたが、自分は重傷を負い、歩けなくなった。
そんな事故の思い出が、姉を内気にさせているのかもしれない。
「おまえは出来の悪い子だ」
母は姉にそう言うのだった。優しい性根から出発した気持ちが、姉の中で罪の意識になり、頑なな態度に変化して、そのことが勝気な母をいらいらさせるのだ。姉は黙って母の叱責に耐えた。そして家事のことも家族の世話も、みな自分で引き受けた。姉は私と二人きりになると、ひどく思いつめた様子で、「母さんはとても辛いに違いないわ」と言った。
学校から帰ると、姉がアイロンを当てていた。衣類ではなく、しわくちゃの白い紙で、何か字が書いてあった。覗き込むと、姉は慌てた様子で紙を畳んだ。もうひとつの手掛かりは、姉の部屋の窓柵にあった。がらり窓を開けると、そこに幾つもの小石が並んでいた。姉は曖昧に笑って答えなかった。
「母さんは、姉さんを助けたんだよ。助けなかったら後悔しただろうけど、助けたから、願いが叶ったんだよ」
ある日、再び、口笛と石の当たる音がした。今度は夕方だった。姉は自分の部屋に行った。私は母の部屋に行った。母はテレビを見ていて、唇を尖らせて、口笛を吹く代わりに指を当てて、静かにするよう合図した。
夕食後、姉がこっそり家を出て行くのを、私もこっそり後を付けた。
私は気付いた。犯人は、手紙で小石を包んで窓に投げたのだ。そして口笛で知らせた。姉は石が当たらないよう鉢植えをどけた。そして小石の数だけ手紙を受け取って、頑なな気持ちを解いたのだ。
姉の眼差しの先に月の光が濡れ落ちた。
正広だった。見詰め合う目と目、そして強く抱きしめた。