第10期 #11

地獄のパン食い競走

 グラウンドに描かれたスタートラインの前で、啓は軽く肩を揺すった。
 「パパ!3位入賞でいいんだからね」
 「うるさいよ」横からの娘の余計な応援に、啓は手を振って応え、他の5人の参加者達の様子を観察した。

 運動会での娘の活躍を見たくて、朝から張り切って場所取りをしていたのだが、さすがに父兄参加のパン食い競争に駆り出されることまでは、啓は予想していなかった。しかしスタートラインに立った以上、妻と娘の前で無様なところを見せる訳にはいかなかった。
 「トレイにあるパンを完全に食べきるまで、ゴールには行けないので注意して下さい」女子生徒が参加者達にルール説明を始めた。後ろでは、男子生徒達が参加者達の手足を縛っている。
 「何だか変わったルールだな」「紐でつり下げるんじゃないのか」「意外と縛りがきつい」他の参加者達の反応を横目で見ながら、啓は深く息を吸い込み、トレイを置かれた台を見つめた。

 ピストルの音と同時に、参加者達はスタートラインを飛び出した。啓はやや出遅れたが、他の参加者達が悉く転倒する中、順調にトレイの前に辿り着いた。
 「おっ、チョコレートパンは好物だぞ」トレイを覗き込んだ啓は、中に置かれた黒い物体に期待を寄せた。しかし、その期待は長くは続かなかった。「くっ臭い!何だこれは」
 『パン』らしいその物体は、くさやの様な臭いを発し、啓の接近を拒んだ。それをこらえて口でつまもうとした啓だが、『パン』はぼそぼそと崩れて抵抗した。
 「麦粒を固めて『パン』って言っているだけじゃないのか?」しかしその食感は啓の想像を超えていた。口の中にいつまでも残る麦粒一つ一つが悪臭を放ち、啓の鼻と口を襲った。更に悪いことに、まだ2〜3口ほどの『パン』が、トレイの上に残っていた。「これを全部食べなきゃならないのか…」
 それでも先に食べ始めたのは有利に働いた。『パン』が後続を苦しめている間に、啓は何とか食べきり、1着でゴールラインを切ることが出来たのだった。

 「どうだ、パパは1等賞を取ったぞ」観客席で昼食をとる妻と娘の前に、啓は景品の段ボール箱を抱えて戻ってきた。
 「お疲れさま啓、お茶でもどうぞ」
 「おめでとうパパ、中身は何かしら?」
 「そうだな、ちょっと開けてみるか」箱を開けた啓は、その直後、空を見上げた。「こっ、これかあ、トレイの中身は」箱の中身は、ぎっしりと詰め込まれたライ麦パンの真空パックだった。


Copyright © 2003 Nishino Tatami / 編集: 短編