投票参照

第92期予選時の、#8せざく(金武宗基)への投票です(3票)。

2010年5月31日 22時20分42秒

文字そのものの語感と八重の「はい」三段活用がよかったです。

参照用リンク: #date20100531-222042

2010年5月31日 19時3分37秒

「るるるぶさんと金武さんの作品の類似性について述べていた人がいた気がします」というご指摘が今期「ビームズ」投票感想にあったのですが、述べていた人というのは私のことでしょう。作者作品について、どう思おうが私の勝手だと考えているので、とくに論じあうつもりもありませんが、金武作品に投票するついでにその類似性についても触れておきます。

・・・

るるるぶ☆どっぐちゃんと、金武さんの作品は最初のころ「同一作者か!」と(両者に対して失礼ですが)思ったものです。今ではその感想はすこし変りまして、

描かれているテーマの深さ、宗教文句をたくみにあやつり1000文字を油絵のキャンバスのごとく使う点、アートとしての奇抜さ。(金武さん)。

描き方の上手さ、カットさばきの見事さ、デザインとして使われる言葉のセンス、映画的な手法の文字化という特徴(るるるぶ☆さん)

という風に特徴分けしてます(自分内評価)。


逆に両作者の共通印象として変らないところ、つまり「類似性」は、両作者の作品を論じようとすると各論ではなく作者論になってしまうという点。この点においては、私の場合にかぎらず、「短編」の投票感想を読んでみるとわかりやすい。

るるるぶ☆どっぐちゃん、金武さんともに、作品についての内容ある感想が非常にすくない。「言葉がつきささった」とか「センスがいい」とか、断片のみをとりあげての評価が目立つ(もちろん私も作者論の感想しか書けません)。

……しかし、そういう感想は読み手のレベルの問題というより、そもそも当然の結果でもあって、お二人のつくるのは散文による「お話」というより、ある種のイメージと飛躍のつながりだけで描かれたものが多く、「小説」としてどう評価していいかわからなくない。本来ならばこういうのは定型をもたない自由詩とよばれるべきで、従来の基準では小説とよばないからだ。まあ、新しい可能性というべきなんでしょう。その新しさに触れられるのも「短編」の魅力でもある。

というわけで、私はお二人の作品に相変わらず類似性を認めているし、あるいは、前述のようにお二人の差を自分なりに見つけている。

で、「投票」するにあたり、今回は私のなかで「ビームズ」より「せざく」のほうにグッとくるものがあったのでこちらに投票する。

 具体的にいえば――といっても、金武作品を具体的に論じるなど鼻からあきらめているが――、この意味不明の作品の、これだけの意味不明さは前代未読であるところがすごいです。この「せざく」を声に出して読んでみました。おそらく作者本人も、「朗読」などしたことないでしょうし、おそらく私が世界で最初で最後かもしれない。

……朗読してみるとわかるんですが、この「まったく意味不明、しかし、なにやら混沌とした非常にエネルギーのあるなにか」を読み上げてみると、なかなかおちつくんですよ。とくに中盤以降の

かっぽれ! かっぽれー!!
ア、モレーノ!!
ミ アモレーノ!

あたりのところなど。そして、全文読み終えると、なんだか情念が浄化された気がしてくる。

では、他の作者の作品ではどうか。ほかの作品だったらこんな気持ちよく読めませんよ。なぜならば、まず文字と文字に伏線があったり意味があったりするので、読もうとすると文字を読みあげるというより、意味を追ってしまう。リズムには定評のあるるるるぶ☆さんの作品ですら、今期の「せざく」のような朗読後の爽快感はない。たぶん「ビームズ」は内容的にめちゃくちゃな「せざく」に比べるとはるかに文章に背負っているものがあるんでしょう。「ビームズ」は寓話にちかいものになっている。

そういう意味では今期一番朗読に適しているのは、究極に無内容なこの「せざく」につきるでしょう。こんなに無意味・無目的な文章をつくれることに感動する。そして、お経を読んでいる気分になる朗読後のこの浄化作用はなんだろうか、と考えてみると、実は使われている単語が、まず普通の作者は使おうとも思わないようなものなんですね。

人馬に骨身が染み至り、
されば蟹食い、
よしにてかたま、

とか。これ、なに? 

どこからこんな語彙がでてくるのだろう、というようなのがいっぱい。たとえば誰かが金武さんみたいに書いてみようとしても、おそらく使う語が文学的にダサくなるでしょう。めちゃくちゃだったらなんでもいい、ってわけじゃない。むしろ、めちゃくちゃのつもりのところに作者の無意識がたちあがる。


あと、この作品「せざく」を読みながら、村山かいた「尿する裸僧」という絵がどうしても頭に浮かんできて離れない。22歳で亡くなった、あまりに惜しい異端児・村山かいたは、どことなく金武作品の挿絵につかうならピッタリと私は思いますね。

ああ、このカンヴスの感性は
天才誕生の美しい曙だ
見よ、日本国全土の幸福を
俺はここに製作しつつある。


……これも村山かいたの詩ですが、かいたを彷彿させてくれた作品「せざく」、一般受けしないと思うけれども、この迫力は今期の誰にもだせないものでした。

参照用リンク: #date20100531-190337

2010年5月14日 13時18分58秒

 擬音語か、古語か、何なのかよく分からない言葉の連なり。言葉が壊れていく心地よさ。もともと言葉(言語)が孕んでいる、対立や緊張がつかの間ほぐされた感じ――温泉に浸かったような。でもふたたびの、対立の予感も。

参照用リンク: #date20100514-131858


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