第68期予選時の、#13あー休日は寝たいけど寝たらすぐ終わるしさようなら。(Revin)への投票です(2票)。
「あー休日は寝たいけど寝たらすぐ終わるしさようなら。」
インターネットといえば「文字がメインでできた世界」だと思っていたが、時代はいつのまにか写真や動画が中心になっていて、ともすれば文章は付録のような場合もあるみたいだ。平成生まれの人のウェブページを読んでみると、その文章が私にはなにかの暗号のように見えて意味がわからなかった。こんな時代に小説を書くとは? と自問せざるをえなかったのであるが、こういう私でさえも昔の人からみれば、日本語ではない書き方をしているのかもしれない。
この作品の主人公は私からみれば、十分にインターネットに浸っている世代の男にみえる。しかし、どうやら今は社会人になっていて、以前よりも社会そのものと向き合っている時間が多いようだ。男は休日を公園ですごしている。子供がフリスビーを投げて遊んでいるのをぼんやりと眺めていたら、実はそれはフリスビーではなくて、「私立まんまん女学院」というポルノゲームだった。物語はこの男が今の世の中だいじょうぶだろうか、と心配する展開となる。
これだけでも十分に面白かったのだけど、私が「現代における小説の可能性」をあらためて実感したのは、突如、子供たちが投げていたポルノの空き箱からおっさんがでてくるラストだった。おっさんの登場は不条理であるにもかかわらず、話の流れからすれば自然だった。というのも、子供が「私立まんまん女学院」をフリスビーにしているという情景が、私には不条理で、しかし、それが現代の世の中の一面、という不可思議な光景なので、その箱からオッサンがでてくるエピソード(おっさん=ポルノが似合う)という構図を考えると、私はなにかホッとした。オッサンがでてくれなかったら、小学生の子供があたりまえにポルノをみているという現実が、なんだか重苦しくて嫌な気分のままであった。もちろん、私にも変態の側面がないわけではない。しかし、それは隠蔽されているからこそ色気をまとうものだと思うし、限られた相手と隠しながらするからこそ、猥雑と愛を隔てる境界線となりうべきものなのだ……ということも、作者は前半に主人公に語らせている。その軽い文体の裏側に相当な思索がふくまれた作品だと思った。すごい。
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