第67期予選時の、#21盗む者と盗まれる者(わらがや たかひろ)への投票です(1票)。
……この短篇の筋を簡単に説明すると、収入こそ少ないがボランティアにせいをだすまじめな青年がパソコンを盗まれることから始まる。盗んだのは、いわゆるひきこもり男なのであるが、ひきこもり男は彼なりの論理と動機があるのだった。
「(盗んだパソコンを売りさえすれば)その(堕落した)生活に一時の終止符を打てるかもしれない」
という一文は迫力がある。彼の思い込みの強さは現代のラスコーリニコフをどこかで思い起こさせる。が、売る前に「みてやれ」といって、まじめ青年のパソコンを開く。金が欲しいだけなら見る必要もない。だが、ここは犯罪者となったこの男の純粋な悪意の好奇心である。そして悪意の好奇心というのもまた、現代の特徴のような気がしないでもない。
犯罪男は「画像や動画データなど、独り言を言いながら、閲覧していく」のであるが、作者はここで、このまじめなボランティアリーダーの青年がおそらくはパソコンに(明確にエロと書いていないが)エロ画像やエロ動画を所有している、ということを匂わせていて、おまけに犯罪青年に「独り言」をぶつぶつといわせながら画像や動画を閲覧させていく。
私はこの描写はさりげないが、相当に鋭い見方であり、なおかつ恐ろしく、また、リアリティがあると思う。
だが、これだけなら小説というより犯罪者のルポルタージュを読むような、リアルさと悪意だけが目立って、やりきれなくなるだけだった。そういう情報だけが知りたければ小説を読む必要もないのだから。
でも、ここからの「つくり話」の部分が見事に小説になっているのだ。
犯罪男はそのパソコンに自分が参加したボランティアの記念写真をみつけてしまうのだった。平気でアパートに忍び込み、パソコンを盗み、データを漁る、そんな男にとって、記念写真など、どうでもいいように私は最初、思う。
が、犯罪青年が、変態でひきこもりで無職で泥棒であるからといって、彼の良心すべてが失われているわけではないことに気づかされる。彼の中に眠っている「ボランティア体験」でのリーダーたちとの記念写真、という記憶の重みは彼には、とっても大事なことだったのだ。なんと彼は夜が明けるまで冷や汗をながして自分の行為について考え込むのである。
いささか俗っぽい文体で書かれていることと、一見題材がありふれていること、色気が皆無なこと、悪意ばかり目立つこと、など、文句をつけようと思えばいくらでもつけられるのだが、私は、これは小説になっていると思った。なによりも私自身が揺さぶられた。
以前の「風呂場でうんこをもらした男をめぐる群像」小説を読んだときも思ったのだが、こういう話を書くのは勇気がいると思う。きわどいバランスを保ちきるのは難しいが、そこを達成するとひょっとすると大小説となる可能性もある。もし興味があれば、この作品はもう少し書き足していって、小説よりも映画のシナリオにしてみればどうだろう。
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