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第67期予選時の、#18夕凪(長月夕子)への投票です(2票)。

2008年4月25日 12時39分10秒



作品を評価するときに、誰かと誰かを比べる、というのはとても野暮なことだけど、作者がこんな抽象的でリズムで押していく作品を、今まで読んだなかで、中身をもったものとして上位にあると思った。正直驚いた。

「滑らかな青いスカートで、20世紀の煙を切り開き、真昼の日差しのようにするりと現れるその瞬間を。ローランド・ハナも聞こえない。」

たとえばこういった一文から<意味を求めようとすると全く理解できない、だけど、とてもリズムが気持ちいい>と書きたくなるのだが、この作品は私が思っている以上には意味不明ではなく、心地よいリズムの裏に、しっとりとした情感が包み隠されている気がする。

私はまだこの作品の全体像が理解できていないけれど、大半の詩的作品が、理解しようとしても、実は理解するべき内容があるのかどうか疑わしい(感性、という魔法のコトバに守られている)のに対して、この「夕凪」には、作者のとても私的な、感覚より強い体験に基いた思いのようなものが刻印されているような気がして、理解してみたい、とこちらが思って読み返せば、それは作者の体験とは違っても私の体験に基く私なりの理解、という形である程度、作品に近づけるような、そんな普遍的な内容をこの作品は持っている気がする。

具体的には、

「賭けに乗るなら振り返ってはいけない。背伸びしてし続けたなら、それがあたしの身の丈だとおもわれて望まれても仕方がない。あなたはあたしの隣にいない。あなたはいつでも向こうの正面。ここまで来れるかと余裕の笑み。」

の一部分を抜き出してみると、ここには何かを捨ててその代りの何かを手に入れたいけれど、(はたしてそれは可能だろうか、今の嘘でない本当のあたしで
も可能だろうか)と迷いながらも踏み出そうとしている一人の女の姿が浮んできたりする。ここでは一人の女であるけれども、それを男に変えて、男である私のコトバとして自分を同一化して読んでしまってもかまわない。文章が単語の羅列でありながら、そこにつながりがあるからだ。

誤解されないように、これは作者その人の人格をさしているわけではないと強く明記しておくが、文体が女ざかりであると思った。それも若さ一辺倒の力まかせであるよりも、一度倦怠を通り越したうえでの盛りだ。何かをあきらめた挫折の思いと、その痛みをむやみやたらにイヤしてしまうのではなく、大事に内側で爛熟させていった感じを私はこの文体から受け取った。

桜もそうであるかもしれないが、パッと咲き誇った花の姿は美しいが、散り終えて、雨にうたれているところもまた(あるいはそっちがむしろほんとうに)美しい……と徒然草にあった(気がする)。そういうことを連想させてくれる小説だった。とてもいい。

参照用リンク: #date20080425-123910

2008年4月15日 22時12分42秒

私が夕凪の時刻を感じたのは、五段落のうちの第二段落だけ。それは置いておいて。
この五つがほぼ字数を同じとしているバランス感覚と、それでいてどの段落の登場人物も浮き彫りのように描かれていることが、良いと思った。(黒田皐月)

参照用リンク: #date20080415-221242


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