投票参照

第64期決勝時の、#14木蓮を踏む(森 綾乃)への投票です(4票)。

2008年2月8日 11時21分53秒

「そして私は月光の道をたどり、この場所へ帰ってきた」

 文章の統一性という点で、「ぴっち、ぴっち、ちゃっぷ、ちゃっぷ」「馬鹿笑い母と祖母、父踊る。/どんちゃん騒ぎ」といった文章は、たとえば「死だけが恋を完成させる法だと、そんな軽口を、僕は憎悪する」といった文章と、違和感がある。予選通過するぐらいだから、多くの人は、許せているのだろうが、私には許せないタイプの違和感だった。

「マスターよしえ」

 最後まで、かなり楽しく読めた。とくに「もっと私を褒めなさい」という台詞は、よしえ師匠の師匠らしさが感じられて、とてもいい。が、最後に「なるへそなるへそ」というので、すべてが台無しだった。「なるへそ」というのはほとんど死語であるし、そうはいっても79歳のおばあさんが書く言葉ではない。ギャグだから許される範囲を超えている。

「頃合」

 構成としては、ひとつのギャグへ向かっていく、前フリがあって、破綻も奇妙な違和感もない。それなり面白い。でも、ギャグとして、この程度なら、もっと軽く扱うのが適当だと思う。物語の核が、これではね。「うむ。」/「どうでしょう。」/「そうだな。」など、無駄な部分が多い。字数を無理矢理増やした水増しのように感じる。

「沼蝦」

 思うところをつらつらと書きましたといった感じか、一昔、素人の書く小説って、みんなこんな感じだったなあ、と思う。「水槽を眺めながら慣れない一人称を使って小説など書いていると、気が滅入って、エビと一緒に気分も沈んだ」と書く人は、実は、気が滅入ってなどいなさそうに感じるのは、私がひねくれ者だからだろうか。この一文がなければ、よかったが、それでは小説とは呼べなくなってしまうかもしれない。文章は悪くないけれども、内容は面白くはなかった。

「拳銃の神様」

「危ない匂いがぷんぷんする」のに、「早くもその空間になじんでいる」のは、変では?
拳銃を普及させる、ということと、神様という言い方。営業ならば、もっと下手だったり慇懃無礼だったりするだろうし、宗教の勧誘なら、奇妙な確信を押し付けたり、人の話を聞いていなかったりするだろうけれども、拳銃で脅して、ずかずか人の家に入ってくるくせに、素直に帰るところが、不可解。このあたりの「神様」の気持ちがわかるような書き方をすれば、面白くなりそうだった。

「木蓮を踏む」

 決勝に残った作品で、相対的に見れば、これが一番だった。
微妙だが、
「その性の、鈍い刃物のようなのを」「『かくあるべき』自分を少しずつ失うのが」
というところが気になる。「ようなものを」、「失っていくのが」「失うことが」の方がいいと思う。また、「小さなリボンのついたその靴は強く、ゆっくりと、踏みつけた。あの楚々とした木から落ちた花を」もすこし変だ。「その靴が」とするか、「その靴は…踏みつけていった」の方がいい、と思う。
 冒頭の、
「地下鉄の改札を抜け、長いエスカレーターを3本乗継ぎ、地上へ昇る。すっかり工業製品の心持ちである。振り向けば、自分そっくりの人間がずらり並び、不安げな面でこちらを見返しそうだ。灰の通路の終わりには、うす曇りの春の空が、小さい四角に切り取られている」
 「工業製品」、「小さく四角に切り取られている」といったところは、とてもいい。
「別れ際の2万円」や、「花弁」など、父と娘なのにセクシャルな印象を受けるが、その感覚がうまく物語とあわさってこない。物語において父は非常に重要なのだが、性格などがよくわからない、あやふやな存在であるのが、残念だ。

参照用リンク: #date20080208-112153

2008年2月6日 13時30分30秒

17 沼蝦 川野佑己
ヌマエビかわいい。作者はヌマエビかわいさに
この文章を書いたのではないか。

15 そして私は月光の道をたどり、この場所へ帰ってきた 三浦
読点かわいい。作者は読点かわいさに
この文章を書いたのではないか。

7 拳銃の神様 笹帽子
田中麗奈という範疇においてなっちゃんかわいい。
作者は田中麗奈かわいさにこの文章を書いたのではないか。

14 木蓮を踏む 森 綾乃
ムーミン谷かわいい(特にミイ)。作者はミイかわいさに
この文章を書いたのではないか。しかもミイとジジの声は同じだ。

16 頃合 qbc
母親の思考かわいい。作者は母親かわいさに
この文章を書いたのではないか。

19 マスターよしえ ハンニャ
ボディガードかわいい。作者はボディガードされたいために
この文章を書いたのではないか。

参照用リンク: #date20080206-133030

2008年2月6日 1時41分38秒

これは歯医者に行く子供の心理にそっくりだなと思いました。よくがんばったね、とお小遣いをもらってうきうき帰る、というお話。と思ったらもっと好きになりました。
こういう雰囲気の文章にも憧れます。私には書けませんけど。理想はたけやんさんの『僕と猫』ですが、これも遠い目標です。(三浦)

参照用リンク: #date20080206-014138

2008年2月5日 16時28分34秒

“巧さ”だけで選ぶとするならば、「そして私は月光の道をたどり、この場所へ帰ってきた」を選ぶと思います。予選の投票で偉そうに注文をつけましたが、なんだかかっこいい気がします。しかし、巧いのとおもしろいのとは違っていて、この作品は普通に読んで意味がわかるように書かれていないと思いました。というのも、投票している人の感想を読んでも作品の内容をわかっている人は一人もいないように思うからです。

「沼蝦」は読みやすかったですが、日記を読まされた感じがします。犯罪一歩手前のぎりぎりの状況が浮かび上がってきて、そこに共感する人もいるのかもしれませんが、あくまでも日記の延長にしか捉えられなかった。金子光晴風ですね、どことなく。それにオーウェルの「1984」の追い込まれた3章を思い出します。

「拳銃の神様」は“なっちゃん”っていうのが意味わからなくて残念でした。そういう個所がなかったら物語として一番だったかもしれませんが、なっちゃんが台無しでした。

「頃合」は今読み返してみたら、実は一番バランスがとれている作品かもしれないな、と思いました。まずちゃんと小説というか話になっているところとか。ただ個人的に、この話を読んで何かをしたくなったり、あるいは余韻だけを楽しんだり、といった精神の高揚みたいなのは何もなくて、そこが不満です。作者は「描写レベル」「お話づくりレベル」の段階はとっくに超えていると察します。あとは計算で書くのではなく(ここで読者はこう思うだろう、とか)、ちょっと読み手が恥ずかしくなってしまうくらいの、作者だけの持つ熱を話に加えてほしい。もっというと、なぜ書いてるの? という問いの答えをたとえ1000字であっても読ませてほしいものです。

ちなみに、1000字小説が一般的でないのは枚数に序破急が入れられないからではなくて、たんに職業作家が原稿料を枚数でもらっているからサボっているのであって、1000字だからおもしろい話は無理と決め付けるのは、100万字になってもつまらないと個人的には思ってます。

「マスターよしえ」はおもしろかったです。投票云々ではなくて、おもしろかったです。

で、「木蓮を踏む」ですが、予選でも書いたように最後の部分の描写がめちゃくちゃいいと思うのですが、物語そのものも、実はけっこうおもしろいんじゃないでしょうか?

これってつまり、二十歳前後の“女の子”と彼女の“浮気性の父親”の物語ですよね? で、女の子はまだ世間知らずというか、浮気する父親が不潔に思えて、理屈っぽく演繹するとか帰納するとかブツブツいいながら、それでもなんとか不潔な父親の行為を、それはそれとして受け入れようとしている、そしてホテルで話をする、父親は2万円を渡してきた、なにかさびしい、でも世間のOLは華やいでいる。

こういう話ですよね? これってもし、普通の方が書かれたとしたら、きっと最後は暗ーく沈んでいくか、ケッとか言って2万円を捨て去るとか、エビをみつめるとか、そういう結末になっていくと思うんですが、ここでこの女の子は

『かくあるべき』自分を少しずつ失うのが、歳を取ることだ

と自分をひきしめている。私はqbcさんのよく出来た物語に足りないのってこの真摯さだと偉そうに言うと思います。あるいは三浦さんの文章力と深遠な哲学をこの「木蓮」のように形而下におろしてほしいと強く思います。長々とすいません。今期もおもしろく読ませてもらいました。

(ロチェスター)

参照用リンク: #date20080205-162834


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