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第62期決勝時の、#7キメラ(qbc)への投票です(3票)。

2007年12月8日 21時6分26秒

物語のための題名、題名のための物語、どちらと言うべきか、あるいはそれは渾然としているべきことなのか、わかりませんが、そのことだけでも良い作品だと思いました。
それだけでなく、物語世界が成立していることなど、賞賛すべきことはいろいろあると思います。

参照用リンク: #date20071208-210626

2007年12月8日 19時37分47秒

コーラの作り方は確かに子供の頃知りたかったような気がする。

参照用リンク: #date20071208-193747

2007年12月8日 2時11分36秒


「闇夜の果てへの旅」

 冒頭「夜の背中を裂き、私は羽化を果たした」ということは、まだ羽をつかっていないはずだが、同じ段落の最後「くたびれた羽を伸ばす場所を求めて」とある。つかってもいないのにくたびれている。そこに意味を読み取れなかった。同じく最後の文「歩いてゆくしかなかった。脚か! 厄介なものがついているものだ」羽をつかって飛んでいけばいいものを、と思ってしまう。羽が付いているのに使わないことの意味は?
 中盤「あんた、そっちにはなんにもないよ。それより墓を掘ってくれないか。眠れない奴らがいて可哀相なんだ」と墓守に呼びかけられる必然性が感じられない。 
「ありがとう。最近じゃ、墓を掘ってくれる奴もいなくなってな」
 なぜ墓を掘ったのか? なぜ、墓守のいうことをきく? 羽化したばかりなのに。
「それは半端な希望だった」
 たしかに、これは半端な小説だった。

「8本足の秘密」

「そこは頭のいいクモですからすぐ思いつきました「この地球は海が7割、陸が3割だ。大きな海に行けばもっと大きな獲物がいるぞ」クモは海に行くことに決めました。」
 理屈がよくわからない。海へ行けば大きな獲物がいるぞと、単純に確信してしまう。頭は良くないのではないか。しかも、海はにがて。面白い設定だけど、これはギャグだろうか?
 基本的にここで読む気が失せたが、最後まで読んでみれば、クモがカニになり、さらにタコになるというは面白い。でも、ああ、どれも8本足なんだね、と納得したところで、だからなに? と思ってしまう。内容のない話を読ませるには文章が弱すぎる。 
 
「キメラ」

「俺は無職だった」の直後に「碌無し返上の為に必死で新聞配達をした」は少々変ではないか。

「私達はキメラの一部にもなれなかった部品なんですよ。気違いが呟いた。」
 出会っていきなり、「私達」と相手を自分と同じ仲間にしてしまうのは強引で不自然だが、ふたりとも酔っていること、と、「俺」が個人的な経緯を告白したあとだから、変ではあるが許される。しかも、ここだけ発話を示すカギカッコがついていない。地の文で語っている。
 ここがこの小説のキモだ。
 上手いというのは、こういうことだ。
 この作品のキメラとは、社会のことを示す。モザイク状に不気味にさまざまな動物が合体した怪物=キメラ=我々の社会のなかの、部分にすらなれなかった。しかし、そいつは怪物じゃないか、そんなものの一部になんかならなくてもいい。そう思いながらも、求職して、またキメラの一部になりたいと思っている「俺」。だれもが持つ生きることの悲しみの一端が、巧妙に隠されて、表現されている。
 「俺」と「気違い」だけでなく、「子供達」も重要な登場人物だ。彼らは、「俺」に職が見つかったかきく。常識的で、おせっかいで、しかし押し付けがましい。「気違い」がなんにでも「知っている」ということに怒ることもなく、寛容だが、しかし、多少のあざけりをもって「この人なんでも知ってるぜと騒ぐ」世間そのものを子供達という無垢な無名な複数の人物に設定したのも効果的だった。この子供達もまた成長すればキメラの一部として生きていくことになる。「俺」は「子供達」と「気違い」のどちらになるのか、「キメラとなり社会にとけ込むのか」「馬鹿にされても気違いとして生きるのか」、そういう緊張感を物語に作り出すことに成功している。
 最後の段落は、物語を収束させるための、伏線を使ったお約束。ここでもうひとひねりあれば、もっといい作品になった。

参照用リンク: #date20071208-021136


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