第62期決勝時の、#3闇夜の果てへの旅(三浦)への投票です(4票)。
キメラとどちらに投票しようかとても悩みました。両方好きです。
ぶつくさと呟きながら、それでも前に進む様が、なんだかかっこいいなあと思ってこちらに決めました。
参照用リンク: #date20071208-214516
これでたぶん間違いないだろうと思うのですけど、なにしろ暮れにかけ個人的な野暮用が降り重なってきていて、テンパッている所なので、あまり信用しないで下さい。
蟹が蛸になる話、おもしろかったです。ただ最初の出だしで引っかかります。「この」はやはり「ある」の方がしっくり来るのではないでしょうか。それから、何度読んでもお話全体が茫洋としているのは、上記の通り私の条件が悪いのですが、無用な細部をごたごた書いているからかと思ったりしました。いや、決して悪いことではなくて、いわゆる物語というものは民話でも昔話でもそういう作りになっていますね。
で、比べてみると同じ分量でもqbcさんのは明らかに物語ではなくて小説だなとわかります。独特のシーンが鮮やかに印象に残る。ただ私にはなんとなく、言葉の端々が切りっぱなしのような感じがしました。たとえば「気違い」という語を使うには、今ではある決意のようなものが必要とされると思うのですが、何度も連発される必然性が薄いような気がしました。もちろん言葉狩りとかではないつもりですが。
そんなわけで墓場うろつく話、よかったです。予選でも推したのであまり書くことがありません。私にはできない言葉の使い方だなと思いました。(海)
参照用リンク: #date20071208-115330
決勝の三作品からひとつ選べといわれれば、「闇夜の果てへの旅」に投票しますが(文章がうまいので)、これは・・・・・・さびしい話ですね。それとも今の世界はさびしいのだろうか。
<屍たちは私を取り囲んで、墓穴が深くなってゆくのを今か今かと物欲しそうに見つめるのだった>
<その屍たちが、下から私と墓守を見守っていた。厭な目つきだ。憐れまれているんだ、屍に。>
というところなどを読んでいると、この主人公が人を軽蔑する人物だということがよくわかるし、軽蔑だけして無視すればいいのに、それでも「憐れまれている私」を意識していて、こういう人、嫌いだと思った(もちろん主人公=作者ではないはず)。
しかしながら、勝ち猫だの負け犬だのと、誰かと比較してしか世界と自分との共通点を保てないのが大多数の世の中なのだとしたら、作者の物語はある意味では負の普遍性、みたいなのがあるのかもしれません。そこを評価させてもらいます。
しかし繰り返しますが、こういう作品を書く方はともかく読む側としては疲れる。それとも、その疲れさせることで「精神の運動」をさせることが純文学? とか、思ったりしましたが、こういう傾向はなんだか80年代あたりのヨーロッパ映画がすでに描きつくしている気がしないでもないです。作者の文体、文章は好きですが目指しているところは違っていると思いましたが、くどくなりましたがそれでもいろいろと考えさせて(あそばせて)もらったぶん、えーと、まるでこっちが屍みたいですが、ありがとうございました。
(ロチェスター)
参照用リンク: #date20071206-145931