第55期決勝時の、#15おしりこ(冬口漱流)への投票です(3票)。
いやもうほんとにただただ呆れるばかりの巧さだと思います。その上面白いし。少なくとも僕の中では、これまでの短編史上でも上位にランクされる作品でした。
参照用リンク: #date20070508-231041
通夜だの葬式だのは「出物腫れ物ところ嫌わず」だ、と、小癪なことを言ってのけるヒロインの存在感が、そのぼってりとした尻の質量ともども、的確に表現されていることに、まず、唸った。寿司の好き嫌いが「頭の傾きに現れる」あたり、鋭い感覚に裏付けられた、かつユーモラスな描写だが、ヒロインはそのことすら「知らぬ気」である。男の視線にさらされながら頓着もしない女の、したたかさと倦怠とが、冒頭から確実に読み手に刻まれる。
しかし・・・ これだけの生々しい質感をたたえながら、女は中盤以降、少しずつ、この世のものではなくなっていくように思われる。いきなり仕掛ける言葉遊びも突飛なら、その遊びに男が四苦八苦するのを見ても、ちらと微笑をうかべるだけだ。遊びが進むにつれて、ぼってりとした「重力の女」が次第に、謎めいた、とらえどころのない女に変貌していく。
後段は、こうした女の変容をとらえて見事だ。別れ話を切り出し、不意に男の手の届かない場所に行ってしまおうとする女が、末尾、「冷たい肌」を押しつけてくる。「灯るような温かさが、腿から脹ら脛にかけて、ぼうと流れた。」切って捨てるようなこの結尾で、女は不思議な魔のような存在となっている。同時に、「冷たい肌」と「温かい」「流れ」との感覚的な対比からは、何か人間存在の哀れさ、とでも呼びたいような、はかない、寂しい印象が鋭く立ち上ってくる。この「短編」の作品群の中でも、屈指の美しさをたたえた結末だと思う(猥褻、という感想があるのには驚いた。)
そこで冒頭の「ものを食う女が恐ろしい」というフレーズに、もう一度立ち返ってみる。「ものを食」いながら、自分の重ったるい存在を周囲に放散していた女が、その重力を保ったまま、徐々に男の手を離れ、この世ならぬものに変貌していく様子。確かにそれは「恐ろしさ」と言ってもよいだろう。同時に、人がこの世に生きてあることの、もの寂しさ、凄愴の一歩手前にあるような、寂寞とした感覚が、読後、しん、と残る。
最後に・・・ この作者が言葉を酷使していることに、深く共感した。単語のひとつひとつに抵抗感があり、しかも、それぞれの独特な言い回しは決してひとりよがりに終わっていない。こうした言葉の使い方といい、また寂寞とした読後感といい、古井由吉のすぐれた短編に匹敵する好編だと思う。(でんでん)
参照用リンク: #date20070508-125628