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第39期予選時の、#11そしてとても温かかった(真央りりこ)への投票です(1票)。

2005年10月29日 15時43分37秒

朝野十字「幻のデート」はいつもながら話に無駄がなく、うまいなあと感心したけれど、はたして「うまいなあ」というのは褒めることになるのだろうか。というのは、落語のように必ずオチがあるのが小説ではないからだ(<真央りりこ>推薦のところに、「幻のデート」のことを書くのもおかしいけれど、もう少し書かせてください)

「幻のデート」のラストに
<満夫の母は、満夫を出産した後に再び妊娠して、検査してもらって、女の子であることがわかって、エリカという名前までつけたことがあったが、残念ながら、エリカは死産だったのである>

という部分があって、この部分は正直言って、なくてよかったと思う。これがなければ、この作品には読者の参加の余地を残す優れた作品だった。ところが、エリカは死産、という部分で、すべてが説明的になりすぎていて、うまいけれどつまらない。こういう作品は19世紀、20世紀にたくさん書かれていて、今でも職業作家が十分に書いている。十分力のある朝野十字には読者に妥協しない道を選んでほしい。

で、<真央りりこ>の「そしてとても温かかった」であるが、この話には明確な内容があるとは思われない。ある日占い師から「水曜日にガラス瓶がたおれます」と言われ、それで主人公は最後にガラス瓶を買うのであるが、だからこのガラス瓶がなんだったのか、というのは明確に説明されない。しかし僕は僕だけの「ガラス瓶」的なものを感じながらこの話を読むことができた。

主人公は「占い」直後、長年住んでいる町の風景が急に色褪せるのを感じる。

<路地に一歩踏み入れたとたん、がくんと膝が抜けたような気がして、なにもかもが一瞬に色褪せてしまったのだ。>

これは主人公が古い習慣から新しいところへ飛ぶための「町との離別」の心理描写に思えて、その予兆としてのガラス瓶とも読めるし、「平凡な日常」の「平凡さ」に潜む非現実を主人公が認識したある一日の話ともとれる(あ、梶井基次郎の「檸檬」に通ずるものがありますね)。

要するに、この話は読者が自分の気持ちを付託できる、開かれた作品であって、しかもこの話は作者である真央りりこでなくては書けない文章になっている。

結果ではなく過程が、小説はたのしい。その点がよかった。うまくまとまってないが、とにかくこれも推薦させてもらいます。








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