投票参照

第34期決勝時の、#1野次馬(桑袋弾次)への投票です(5票)。

2005年6月22日 23時30分16秒

 『野次馬』か『ラスト』でしょう、好みの問題で。どちらも読んでいる最中勢いがあるなあと感じ、続きが無性に気になりました。
 率直に言えば『野次馬』は、意図的に反復の構造を多用した実験作に過ぎないような気もしますが、いいんじゃないですか、意味なんかなくても、エロいだけですし、と寛容に笑い飛ばせる爽快感があります。
 一方、『ラスト』はねえ、やっぱり、お薬が許せないんです。それ使っちゃったらどんな話でもありでしょう。
 といった辺りが決め手で、『野次馬』ということで。

 すいません、あと勝手なことかもしれませんが、もうちょっと毛色の違った作品が決勝に残るといいですね、読むほうとしては。

参照用リンク: #date20050622-233016

2005年6月22日 18時21分59秒

 いつも投票する時は、作品本位のほかに一つの基準として、新しい作家のものを出来るだけ推したいと考えてきた。誰でも何度でも優勝に選ばれうる『短編』のシステムからすれば、これはいわば新人賞のようなものであって、継続してこの場所に掲載されるべき資格という意味があるのではないかと思うからである。
 こんな言い方をすると、元来『短編』は誰でも参加できるもので云々という異論が当然あるに違いなく、むろん私個人の勝手な思い入れではある。
 さてそう考えて、今期は誰がいちばん「新人」に近いのかと見れば、四冠のるる氏、三冠の(あ)氏は言うに及ばず、桑袋氏とむ氏もすでに優勝経験があるのであった。
 そうしてみれば今期は既成作家という印象は確かに強かったかも知れない。しかし私の見る所ではそれぞれにこれまでの作品を超えていこうとする力が感じられた。それが最も強かったのが桑袋氏であった。不条理な性的世界という題材は変わらぬながら、言葉の躍動感がすごかった。
 1000字の中で何を語り何を隠すかというのは色々にやり方があるだろうが、(あ)氏の作品は、あえて現在の状況を不明瞭にすることで、昔の先生のキャラクターを鮮やかに立たせるという、一種の賭が行われている。この「カードバトル」とは如何なるものか、「北」という先生は現在死んでしまっているのか等々、首を傾げる所は少なくなかったが、それを補って余りある効果は得られているだろう。
 あと二つの作品にも言及したかったが、体力が尽きた。

参照用リンク: #date20050622-182159

2005年6月22日 13時16分41秒

 予選の段階からすでに傑作との呼び声が高いし、各評者の指摘するポイントも当を得ており、もはや多言を要さないかもしれない。ひとつだけつけ加えるなら、本作が駆使している言葉の幅広さと視点の自在さには着目しておくべきだと思う。
 序盤の、ひらがなを多用した不思議な言葉のリズムは、ほとんど神話的な世界をまず切り開いていく。静けさ、つめたさ、炎、かわき、といった、なにやら原初なるものをイメージさせずにおかないこの世界が、「火打ち石」の登場でピークに達したところで、中盤、視点は街の喧騒にいきなり切り換わる。緊急車両、再開発、違法駐車、といった漢字の羅列は、いったん客観性と日常的なリアリティを取り戻すかに見える。しかし、それも「野次馬」と呼ばれる男が炎の中に飛び込むまでの話だ。終盤、物語はさらに変容して、一挙に、桑袋節とでもいうべき下世話な猥雑さへ――「ギンギンにたった」おぢさんと、色も形も異なる「肉マン」の中へ――降下していく。ところが、先行する二つのレベル、序盤の神話的世界と中盤の日常性とを通過した目には、この末尾はさらなる降下ではなく、かえってまばゆい飛翔に映る。えげつないようで実は純粋無垢な、序盤の神話性に踵を接する境地のように見えてくるのである。
 異なった層の言葉を一つの流れに沿って束ね、たった1千字しかない掌編に、イメージの大きなうねりをもたらすこと――先へ先へと言葉を駆り立てる語りのエネルギーがあって、はじめてこうしたことが可能になるのは事実だとしても、それが単なる「手癖」で書けると思ったなら大間違いだ、とだけは言っておきたい。(でんでん)

参照用リンク: #date20050622-131641

2005年6月22日 2時43分12秒


投票するつもりはなかったのが、たまたま、はてなアンテナをみたら、本日決勝とあったので、気まぐれに投票してみる。ちなみに、決勝進出作以外はほとんど読んでいない。


「野次馬」と「ラスト」、「水無月怪獣顛末記」と「私のカードバトル」は組になる。

前者の組は、狂気やエロを意識的に出して、不条理な世界を描こうとしている。
後者の組は、いってみればオーソドックスで、学校を背景にしたノスタルジックな物語だ。

「ラスト」は最後の場面で、小さくまとめてしまった。しかし、「偽の宝石のようなその輝きを、あたしはつるりと飲み込む」というキメは、この作者ならではと思わせる。

「水無月怪獣顛末記」は、たとえば「僕らの足元で、宮原がひらひらの長いスカートを汚しながら、細い指で熱心に黒い砂を集めている」というような、細部の描写が魅力的だが、ありがちな話であることにはちがいない。宮原という人物を明確に殺さなかったことがよかったのかどうかはわからないが、結局、最後で脇役に落ちてしまって物語としての力がなくなった。

「私のカードバトル」は遊びのカードと魔術のカードを合わせた趣向だけれども、それ以上のものを感じない。数学教師を呼び出さなければならない理由がない(あるいは私には読めなかった)。

で、「野次馬」は言葉に勢いがあった。「どんなに水を飲んでもかわくから、少女たちは火打ち石をつかった」「少女向けの洋服は、ぺらんぺらんとよく燃えた。炎にせがまれ、少女たちのからだは奥のほうから潤った。ずいぶん気持ちがさっぱりして、風呂あがりみたいに寝そべった」というように、だじゃれのような奇妙な因果関係の連続と、言葉のリズムあって、エロがきらいな私でも楽しめた。

とはいえ、この4作品に共通するのは、いったいどこで誰がどんなことをしているのか、理解するのに、労力を必要とするということだ。「野次馬」を推すのは、この欠点を不条理な世界という設定がごまかし、言葉の勢いが前面に出てくるからだ。

参照用リンク: #date20050622-024312

2005年6月17日 3時29分40秒

現実とのリンクを示すような箇所は興醒めの感もあったが、他のジャンル(映像やコミック)や違うサイズには変換不可能な、「これぞ!」という作品だと確信できた。

参照用リンク: #date20050617-032940


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