第28期決勝時の、#24耳(曠野反次郎)への投票です(5票)。
このインパクトはやはり捨て難い。
「ユミに会いに行く」は朝の連続テレビ小説のようでいいし、「睡眠革命」は「ドラえもん」の何でも反対にしてしまう道具で授業中瞬く間に眠ってしまうのび太が大いに誉められるのを思い出すしで二つともいいのだが、読んだ後のインパクトは「耳」の方が上だった。
参照用リンク: #date20041222-171600
この作者独特の黒い雰囲気が心地よく醸し出されている。
ミステリアスな部分と辛気臭い部分の対比が面白い。
参照用リンク: #date20041221-232621
やっぱりこれかなあ。すごいものを読んだっていう感じがするし。ここまで来るといやらしくないなあ、とも。
『短編』ってジャンル不問だから、この作品のように、他と違っているところをアピールできれば強いと思う。
それから、狙って書いている(と思われる)ところもいい。「たまたま書いたらこんな風になっちゃいました」じゃなくて。一文一文をじっくり眺めると、何となく意図があるような気がする。
結論として、正直言って内容は好みじゃないんだけど、それを圧倒するものがあったと考える。
参照用リンク: #date20041220-000841
「耳」しかないと思う。今期は「耳」か「午後のかほり」かというところ。作品のなかに力ある世界観、空気を展開し、きちんと収束させたところが良い。比較する対象も見当たらず、オリジナリティに優れている。「耳」は特に強い作品だと思う。
参照用リンク: #date20041214-044225
三種三様の三作が残ったわけで、北村さんが言っておられるように、決勝の行方は興味津々である。
予選で推した三作のうち、一作だけが決勝に残り、本来なら何も悩まずにすむところだが、ここではたと立ち止まる。
曠野さんの「耳」を、という声が、それこそ耳もとでささやくからだ。
率直に言えば、「耳」にはちょっとひっかかってしまうところがないわけではない。大きく前後二つに分かれたパートの、前半部の方だけで作品は完結している。そう思って読めば、後半部で展開される壮麗な猥雑さは、実は前半部のなぞりでしかないとも感じる。しかし、その上であえて色に色を塗り重ねる作者の手つきには凄みがある。屈折したリズムがあり、豊饒なイメージがあり、なおかつ、奇跡的にも、一種の洒脱さ、洗練を失っていない。
さて――ここから先は、それこそ、もう純粋に個人的な信条の問題だと思う。
(あ)さんの小説はまぎれもない完成度を備えているし、貴重なその向日性といい、饒舌だが決して過剰ではないバランス感覚といい、誰からも愛されそうな、万人向きの小説と思う。しかし、もっと破格で過剰な何かを求めたい読者、言葉の、何というか、呪術的で荒々しい力というものを信じたい一読者にとって、「耳」のような小説は大きな励ましなのである。自分にとって小説とは何か、どうして自分は小説を書くのか、を問う時、僕にとっての答えは、「耳」の方にある。
逡巡の末、大げさに言えば信仰告白みたいな気持ちで、「耳」を推す。
参照用リンク: #date20041209-180842