第263期予選時の、#5夜に見る夢(たなかなつみ)への投票です(4票)。
「おまえ」「あんた」と呼び合う二人のやり取りが、段落分けされずに書かれています(以降、「おまえ」と呼ばれている者を「おまえ」、「あんた」と呼ばれている者を「あんた」と表記します)。
読者は「夜に見る夢」というタイトルから、夢の話なのだろうと考えながら読み進めることになります。話者が替わっても(視点は終始「あんた」ですが)改行されずに文章が続いていくのは、はっきりしない、もやもやとした夢の雰囲気を表現しているように感じます。
しかし、「寝ていたところを夜の夜中に起こされてはかなわない」という「あんた」の台詞が出てきたところで、どうやら夢の中の話ではなさそうだとわかります。と同時に、改行されずに文章が続いていくのは、「あんた」が感じる寝苦しさのようなものを表現しているのかなと考えます。そして、その寝苦しさの原因は、去るように言っても「あんた」から離れようとしない「おまえ」にあるのかなと考えます。
その後、「いつになったらもうこの世にないその身に気付くのか。おまえの手にあるものも装束も全部、黄泉路のためにおまえの家族が用意してくれたものだ」という「あんた」の台詞によって、「おまえ」の正体が死霊のようなものだと明らかになりますが、読者に大きな驚きはありません。それは、そこに至るまでの「あんた」の語り口が、「おまえ」の来訪は異常な出来事ではなく、日常的な出来事であることを示しているからです。
その直前、読者は、「おまえ」の次の台詞を読んでいます。
「ただちょっとあんたの顔が見たかったのだ、あんたのそばにいたかったのだ、こういう真っ暗な夜は息が止まる心地がする、自分以外の皆が死に絶えて、自分ばかりが胸苦しい思いで夜をさまよっている気がする、ただあんたが寝ているそばにいたかったのだ、あんたの安らかな寝息を聞いていたかったのだ」
「あんたがそうして元気に気を吐いてくれるから、自分も形のない煙などではなく、しっかりとここにいる気がする、それでこれから先だってずっと共にいるのだ、あんたもそう思うだろ?」
この台詞を思い返して(「おまえ」が死霊であることを知った)読者が感じることを、最後に「あんた」が代弁しています。
「今夜こそもうここへは来ず、行くべきところへ向かえよ。そう願いながら、来ないなら来ないできっとどうしようもなく虚しい心持ちになるのだろう」
そして、最後の最後に「あんた」は「おまえの夢」を見始めるのですが、タイトルにもなっている「夜に見る夢」の内容は、とうとう読者には明らかにされません。しかし、きっと、悲しくおどろおどろしい内容ではなく、幾分かは幸せな楽しい内容なのではないか、と読者が思える、そういう「おまえ」と「あんた」のやり取りになっていると思います。
(三浦)
参照用リンク: #date20240831-115211
「おまえ」はもう死んでいていわゆる幽霊なんだろう。
幽霊の片思いかと思いきや、語り手もまた、「おまえ」の夢を見、「おまえ」が来ないと虚しい心持になる。
煙のように薄い、もういなくなってしまった人間との感情のやりとりが、語られない生前の関係性を浮かび上がらせる。うまい。
参照用リンク: #date20240830-224945
「おまえ」とは幽霊のような存在なのか。
語り手と「おまえ」の関係は家族ではないようだし、語り手は「おまえ」を鬱陶しく思っているようなのに、なぜ「おまえ」は語り手のそばに居たがるのか。
いろいろと分からないことが多いが、「おまえ」のどうしようもない寂しさだけが確かに存在していて、暗闇の中でうごめいているような印象を受ける。
そして最後に語り手は夢の中でも「おまえ」を見ていて、現実なのか幻想なのか分からないような示唆をする終わり方も悪くないなと思った。
参照用リンク: #date20240820-174515
体験する人は体験するようですね。現世(うつしよ)と幽界の狭間を垣間見た人の優しさが感じられました。
『ノートさん』は、まぁ筋は分からなくはありませんが、オチも分からなくはありませんが、もう一ひねりが欲しかったです。
『もう恋なんてしない』もよくある話で、よくある以上の掘り下げを期待して読んでいただけに、それがなくて残念でした。”×”は普通に漢字で表記できるのですが、なぜ特殊表記にしたのか、悪目立ちしてしまいましたね。
『哀れなる者たち』は中後半がダイナミックに盛り上がっただけに、前半をもう少し短めにさらっと流して中後半に描写の字数をもっと多めに割いて欲しかったと思います。シュールさは良かったのですが、担架に乗せられていても足は動かせたんですね。
参照用リンク: #date20240820-131538