第263期決勝時の、#5夜に見る夢(たなかなつみ)への投票です(3票)。
亡くなった友人(?)に対する思いの手触りのようなものを感じられるような掌編。
失ったことは受け入れていて、こんなところでさまよってないで早く成仏してくれと思う。勘弁してくれとも思っている。でもいなくなったら、虚しい気持ちになると思っている。
タイトルは「夢」となっている。これは、嫌々のようで、自分が望んだ夢なのかもしれない。
というような心を想像できるのが良かった。改行も鍵括弧もない、ブロック肉のような塊感も、想像の苗床のような安心感がある。
参照用リンク: #date20240908-110646
物語の舞台や世界観を示す単語は「布団」「装束」「黄泉路」しか登場しません。
反対に多く登場するのが、会話している時の描写です。以下に挙げていきます。
「がさごそがさごそと喧しい」
「叱りつけるように荒い声を出す」
「一向に気にしない様子で」
「口の中でぼそぼそとこたえる」
「声を荒らげてそう告げるが」
「意に介さぬ様子で」
「こちらの眉間には大きく皺が寄る」
「寝返りを打ちながら呪詛のように言葉を吐く」
「こちらの面倒に気付く様子はない」
「そんなことをぼそぼそとぼやき続けるので」
「ため息しか出ない」
「ふっ、ふっ、と笑いながら言う」
「こちらはただ見守るしかない」
「途端に重くなる口が」
これだけたくさん出てきますが、身体的な描写としては「寝返りを打ちながら」「眉間には大きく皺が寄る」だけで、他は様子や声の出し方についてです。
つまり、やり取りの描写が多く生き生きとしていますが、身体的な描写は乏しいために現実感が薄いのです。そこへ、「装束」「黄泉路」といった死後の世界を想像させる単語がわずかに加わることで、この作品の、夢か現かわからない、という雰囲気が生み出されているのだと思います。
(三浦)
参照用リンク: #date20240907-182620
夢なのか現実なのかよく分からない状況が上手く表現されているなと思う。
語り手の言葉と「おまえ」の言葉はちゃんと区別できるように書かれているが、文章の段落やカギカッコをなくすことで、語り手と「おまえ」の言葉が混ざり合って曖昧な感覚になってしまうし、そのことが同時に夢と現実を曖昧に表現することにもなっているような。
文章の表現方法として面白いなと。
参照用リンク: #date20240903-191527