第22期決勝時の、#21花を抱えて(るるるぶ☆どっぐちゃん)への投票です(6票)。
予選でもこれに投票した。
が、本当は「なし」にしようかとも思った。
迷いつつ、やっぱりこれ、ということで。
参照用リンク: #date20040622-221917
やはり文章をさらりとだけ読ませずに映像をイメージできるまで表現するあたりに作者と作品の底力を感じずにはいられない。決勝の他作品は、インターネットを徘徊すれば文章のみを扱ったホームページでよく目にするようなちょっとしたエッセイを弄ったような、そんな感じにみえた。作者の脳内を意図的に彷徨うのは疲れる。彷徨わせて欲しい。これに関しては推薦作はことのほかスムーズであったと感じた。『マジカル・マナ』と2秒迷ってこれに決めた。
参照用リンク: #date20040622-155050
よくよく考えるとやっぱり変なシチュエーションですが、でも、なんか、なんとなく、わかるような気がするなあ、とか、思いました。はい。
参照用リンク: #date20040622-033128
予選に票を投じていないのに決勝だけ投じるのも気がひけるが、この推薦作以外の決勝進出作の出来は少し疑問を覚えるので、票を投じることにする。
「Antipodes」は難解というよりか言葉が抽象に流れすぎ悪い意味で輪郭がぼやけており、言葉を追うのに苦労する上、読了後に何らかの共感を覚えるようなものもない。
「ぼくのビンラディン」は悪い意味で漫画的であり、何の奥行きもなく、一人称ボクの女生徒なども、変な漫画の読みすぎではないかと思えるほどで、そういったことは漫画でやれば良いのであって、小説でやる類ではないと思う。所謂ライトノベルというものをやりたいのであれば話は別だが、それならばこの分量は不適切であろう。
「マジカル・マナ」は、この作者の過去の作品と対比するとどうしても雑に思えるし、この作者がやらずともこの手のヒーローもののパロディは世に溢れているのだから、今更このようなものを描かれてもちと困るといのが偽りのないところ。
「花を抱えて」はこの作者の作品の中では特別優れているとも思わないが、上記の理由により決勝進出作の中ではこれしかない。
参照用リンク: #date20040620-183613
投票数は増えたが質が下がった印象。なんか義務教育「国語」の「作文」レベルの争いになっちゃったなあ。
投票者名を無記名にするなら、作品の方も無記名にして、その代わり、投票に「今期のどの作品の投票者であるか」を明記して欲しい。くだらない作品の作者による低レベルの投票など読む側で勝手に読み捨て、数の外としたい。
「アンチポード」
ウソなんで読む気にすらそもそもならない。リアルでもないしリアリティーもない。作者が、この作品というよりこの文章を書く必然性を持つとも思えない。
仮に、ある人が絵を志していて何某かの「作品」を書き上げた或いは書き上げ得なかったという事実、その事実に即してこれが書かれたとするならその絵或いは未完のまま放棄されたその書きかけの絵、それに対しての史料価値としてこの文章の価値があり得るかも知れない。しかしこの人絵なんか描いてやしない。なんか気色悪い疑似体験小説(←小説もどき)である。まあ、近いのが、オタクと呼ばれる人たちがコスプレと呼ばれる擬似体験ゲームに興じているのと同じようなモノである。もしこれが、この作者が小説を書こうとするその過程そのものを小説化(というか小説になるかどうかは別にして言語化)してみた、試みた、というのであればまだ、そこには、同好の志としてのなんらかの共感を呼ぶ部分もあったかも知れない。分かりやすく言えば、遠藤周作のキリスト教物ならまあ読んでもいいかと思うが、例えばまあ小林よしのりがキリスト教の殉教者を主人公にしたマンガを書いても読む気にならないだろう、という感じ。或いは「アンダーグラウンド」やったっけ?村上龍だか春樹だかが地下鉄サリン事件の被害者にインタビューしたようなドキュメンタリー出してたが馬鹿馬鹿しくて読む気にならない感じ。もっと言えば、そもそも自分が払ってもないところの政治家から「国民年金を払え」と言われてもなんかアホらしいようなそういう感じ。
「ビンラディン」
相変わらず作者自身がアホなのか、あえて登場人物を無知に描いているのかよーわからんというこの人固有の気色悪い作品。
アメリカも汚いがビンラディンも醜い。ブッシュ家−ビンラディン家の経済的な相互依存・共存共栄関係があったことはつとに知られているし、イラクにおける女性差別や宗教差別が人道的な問題をはらんでいたことも知られている。(しかし、それと独裁制とは関係がない。独裁制がうまく行っているときは哲人政治とか言われるし、民主主義だってうまく行っていないときは衆愚政治の汚名を蒙るのである) 今回の戦争に関しては一般に報道されている以上の根深く錯綜した利害関係というか人間の醜さというかそういうものが沢山隠されて、しかし、ひとたび知ろうとすれば知れることも多くあるのである。
しかるに、全くしょうもない、偏向した某オピニオン紙の社説レベルの、報道・真実ではなくて政治的キャンペーンレベルの極めて浅薄な戦争観だけが下敷きの、尚且つ、中身がそのレベルならレトリックというか書き方もサイテーで、これ、何? ネタじゃん。ボケに対して冷静にツッこむという今ではコマーシャルにまで応用されている使い古された漫才のスタイルをそのまま盗用しただけで、「アイデア」たる部分のかけらもない。(最近、化粧品かビタミンCか何かのコマーシャルで、小雪が「何々って知ってますか?」と聞かれて「そういえばそういう恋人も昔…」とボケるのに対してそのセリフを皆までいわせず「もういいです」とぴしゃりとさえぎるやつ。このフォーマット。)
ああくだらん。書くほうも書くほうだがこれに投票するやつもするやつだ。
「マナ」
買いてもいいけど。なー。いまさらなー。わざわざ読むような作品でもないわなー。以前「しゃもじ」があったが、あれはあれでよいので、あのあと、こんなくだらない二番煎じを出す作者の気がしれない。面白くないだけでなく、なんか読んだ分、時間の無駄だったという感じ。
さっきの小雪のコマーシャルの例で言えば、「……という漫才で使い古されたパターンと美女がやってみれば」というまだしもの意外性や「コマーシャルとして商品名を印象的に表現する」というような戦略性がある。しかしこの作品、ゼンゼン存在理由がない。この手の作品であれば、まあ、一般的な大衆小説の理論で、出来事や思想性はゼロでも、ストーリーはなんかの焼き直しじみていて日常生活者の人生観や常識をそのまま作品に反映したようななんなる読み物であっても、キャラクターが立つことでまあ読み物としての存在理由が保てるって書き方をすべきだろうがそんな配慮もゼンゼンない。
というわけで「花を抱えて」について論じてもいいんだが、こんなくだらない作品群と「花を抱えて」を比べること自体が失礼というか「花を抱えて」に対する侮辱とすら思えるので「花を抱えて」については書かない。他3作が論じるにすら値しないことを宣言して、「花を抱えて」推薦の理由とする。
参照用リンク: #date20040614-150152