第20期決勝時の、#2ぽん!ぽん!ぽん!(三浦)への投票です(4票)。
今期の予選通過作はどれも秀作で、どれが優勝してもおかしくないと思う。読者としては楽しいが、投票するとなると、困る。
こういうときは、普通は第一印象で決めてしまうが、いろいろと細かく読んでみてから、考えることにした。
「谷間にて」
冒頭の「250ccオフロード……」は洗練された都会というイメージだが、これらは後に続く話との接点はない。わざと書いて、対比させたということも感じられない。
次の行で「三人の僧形の者」と、民話的な表現が現れるが、そのセリフは
「あなたがわたしに、何か話を聞かせてくれるなら、この川の水をいくらでも飲ませてあげましょう」
と、現代的である。いや、むしろ西洋の民話の翻訳のようだ。冒頭の三行で、「現代」「日本の民話」「西洋の民話」という三つのイメージが混在していて、表現における統一感がない。
さらに、この「三人の僧形の者」が終盤では
「これで話が、できるわな」
「する話が、できたわな」
「聞かれてする話が、できたわな」
と言う。最初のセリフと内容は矛盾していないが、表現としては同じ人物とは思えないし(はっきりと「三人の僧形の者」のセリフとは書かれてないが、そう解釈した)、また、それが効果的に物語に作用しているわけでもない。さらに、「する話が、できたわな」「聞かれてする話が、できたわな」は、韻を踏んでいるようにみえて、実は同じ文章を2回繰り返しているだけである。細かいことだが、作りが安易に思えてしまう。
「応えたとたん、ばさりと幕を引いた夜になり、背後から放り投げられるように飛ばされていた。」
という文章が気になる。主語を補うと
「(私が)応えたとたん、(周囲は)ばさりと幕を引いた夜になり、(私は)背後から放り投げられるように飛ばされていた。」
間違っている文章ではないが、私なら書かない。すくなくとも後ろの(私は)は省略しない。視点がゆらぎ、意味がとりにくくなっている。
「幕を引いた夜」も、「幕を引いたような夜」だろう。いずれにしても、月並みな表現だ。
さらに、「背後から放り投げられるように飛ばされていた」、「放り投げられる」と「飛ばされる」ことの違いは非常に微妙であり、「ように」を付けて比喩にするには近すぎる。やはり安易な表現という印象がある。
細かく読んでいけば他にも気になる点はあるが、微妙なので説明しづらく、省略する。
表現や視点における統一感にかけるところ、月並みな表現、「どん、と飛ばされる衝撃」など安易な表現がいくつもあり、完成度は低い。
しかしながら、最後「喉がからからだった」で終わるのは素晴らしく、かっこいい。
「ハレとケ」
文章が読みにくいと思うのは、読み慣れていないせいだろうか。きちんと読んでみれば上手いと思うのだが、いまいち読みにくい。漢字が多いような気がするので、ひらがなに開いてみた方がいいのかもしれない。これだけ文章表現に力をいれているのだから、こういう細かい指摘もありだろう。
文章の上手い人にはありがちなのだが、読者への説明という側面への気配りがたりない。
冒頭からずっと後になるまで「佳也子」が小さな子供であることの確定的な描写がない(もっといえば何歳ぐらいかは全くわからない)。読者は「たぶん佳也子は小さな子供だろう」という不安を持ちながら読むことになる。直接「何歳の子供だ」と書くよりも、佳也子の行動から想像させたいという作者の意図なのだろうが、それには成功していない。佳也子に対するイメージがただ漠然としているだけだ。
佳也子はこの作品にとって大事な人物であり、物語から考えても漠然とさせるよりははっきりさせたほうがいい。
逆に、父親が死んだことは、どちらかというと「お父さんは帰ってけえへんよ」「仏壇」とあからさまに表現されている。滅紫色の布や仏壇がなければ、読みようによっては失踪にもとれる。婉曲的に表現するよりも、ばっさり削って、どちらにもとれるようにした方が、面白いのではないか。
奥歯にものがはさまったような言い方をすれば、文学的になると思っているところが、一番の問題だ。
しかし、
「ねこがすずめをとろうとしてさっきからしっぱいばっかりしよるんよぉ」
というセリフなど、印象的な部分も多く、読んでいて感心した。
「火星少年チャーラン・プー」
ストレートな泣きモノを、独特の突き放した文体で書いている。この現実から遊離した語り手に、オリジナリティを感じる。
後半、弟が火星人であることの理由が説明される。通常、こういった説明は物語としての魅力を失わせてしまう。実際、この作品でも、あまりにもなんでも都合よく説明されてしまうため、その説明にいまいちリアリティがない。
けれども、そもそもの語り手が、現実から一歩引き、自分の感情を露わにしないリアリティの欠ける表現をしているので、リアリティのない説明が、語り手の文体と合い、味になっている。
さらには、弟自身は自分が火星人だということを最後まで貫くので、そのリアリティのなさが、ほんとに弟は火星人ではないか、という印象も残す。
語り手が唯一話すセリフ
「君は自殺した女の子を助けてやれなかった自分自身が許せないのだろう。本当は学校でも社会でもなくて、君自身が強くならなきゃだめだろう」
姉のセリフとは思えないし、他人の喋るセリフとしてもかなり冷たいが、やはりこのリアリティのなさという点で、語り手の一貫性は保たれている。
弟が辛い境遇のため火星人というフィクションを編み出したと同様に、この姉の現実から遊離した語りもまた、辛い境遇から来ているのかもしれない。
そう考えると、この作品は実は、弟を語ることによって、姉(そして、さらに母)の境遇をも暗示しているともとれる。だからこそ、通俗的なこの作品に深みが生じ、弟が流す涙は、読者に対しても涙を誘う。
「ぽん!ぽん!ぽん!」ほどではないが、書かれた文章の外に拡がる世界があり、そこへ読者を誘う力がある。
「ぽん!ぽん!ぽん!」
文章的な問題はほとんどなく、読みやすく分かりやすい。月並みな表現だらけだが、それが欠点にならないのは、文章表現に気取りがないからだ。
国家間の紛争解決にジャンケンを用いるという設定は、よくある。しかし、時事問題としては、非常にタイムリーでもある。
ジャンケンというある意味ふざけた解決法にもかかわらず、語り手は真剣だ。冒頭の「穿った考えを頭に入れるわけにもいかなかった」という表現で、設定はナンセンスだが、小説内はナンセンスではないことをさりげなく伝えている。
大国を相手の小国の代表、しかもジャンケンの相手は「いかにもやり手」。この辺は物語を盛り上げる常套手段。けれども一点「国を左右するにはあまりに簡素な卓を挟んで対面する」がすばらしい。これは、ジャンケンというものに対するイメージと合致すると同時に、実はこの勝負はそんなに重要ではないかもしれない、という印象を与える。さりげないが、記憶に残る、伏線だ。
勝負が勝つのもよい。いかにも負けそうな雰囲気を作っているから、意外性がある。
「その時、壇上を去る男の背中が、つまみ食いをめぐる勝負に負けたくらいにしか感じていないような印象をわたしに残した」
「つまみ食い」という比喩には違和感がある。「つまみ食いをめぐる勝負」というのはどんな勝負か、よくわからない。が、しかし、これは前半の「大国主義の気紛れ」と呼応する。「くらいにしか」と比喩になっているが、要するにこの勝負は「つまみ食いをめぐる勝負」そのものなのだということを読者に暗に告げているのだ。
さらに、
「そのわけは、二勝二敗まで縺れた最終戦で明らかになる。」
と続くが、この文章は謎であり、よく分からない。
なぜなら、最終戦の途中で小説は終わっているからだ。
しかし、逆に考えれば、作者は、最終的にどうなったかを考えろ、と暗に読者に要求しているとも考えられる。
おそらく、最終戦で「わたし」が勝つだろう。
しかし、それは相手が負けてくれたから、勝ったのだ。相手はそもそも勝つつもりなどなかったのだ。
なぜなら、それは「つまみ食いをめぐる勝負」にしかすぎないからだ。
相手の大国は「わたしたちの国」に対して「気紛れ」に勝負を挑み、負けてあげたのだ。
なぜか?
それは、わからない。
わからないだけに、想像が広がる。時事問題と関係があるとすればなおさらだ。
おそらく作者はこういいたいのだろう。戦争とはジャンケンみたいなものだ。そして、国家間の駆け引きの勝負と、ジャンケン(=戦争)の勝ち負けは実は関係がないのだ。
書かれた文章の外に拡がる世界があり、それが現実と繋がり、作者の思いが伝わってくる。
難点をいえば、きちんと読み込まなければここまでの解釈がでてこないことだ。最後の一文を読み終わったあとに、ああ、そういうことかと思わせられれば完璧だった。
そういうわけで二度読んで、深読みさせてくれた「ぽん!ぽん!ぽん!」が私としては優勝です。
参照用リンク: #date20040420-011322
オチは読めるがほのぼの。という感想が下のほうにありますが、
私にはオチが予測できませんでした。
面白かったです。
参照用リンク: #date20040411-231932
気軽な雰囲気、でも、実は意味深? ラストはほのぼので良かったです。
狙っていないようで、狙っているようで、このバランスが面白かった。
参照用リンク: #date20040410-095607
えらく票が割れている。それも、6544333322222‥‥何の呪いだ。なだらかな丘のような作品群。こういう「突出した物がない」「最高作」と「最低作」(便宜上高低で表しているだけなのでツッコミ無用)の間にびっしりと「差を埋める作品」がある期というのはやりにくい。「AとBは僅差、BとCも僅差、CとDも代わり映えしない、DとEも‥‥あれ、AとEってそんなに差があるのか?」上位が上位に見えなくなる印象のマジックに騙されやすいのは私だけだろうが、こういう期には消去法で挑んでしまう。
「ぽん!ぽん!ぽん!」は「関しての資料」がだめ。「関する資料」のほうがすっきりする。
「谷間にて」は「できなければ」がひっかかる。「できない」ではなく「できぬ」ではないかと感じてしまった。
「火星少年」は「ぽろりぽろり、」が美しくない。冒頭の「ぺろりぺろり」に呼応させているのかいないのか、「ぺろりぺろり」がいいだけに惜しい。
「ハレとケ」は「卑しさ」がだめ。
しまった。全部消去してどうする。
ううむ。第一印象で決めるか。
「ぽん!ぽん!ぽん!」オチは読めるがほのぼの。
「谷間にて」怪談のつもりなのかもしれないが怖くない。幻想のつもりか? それにしては幽玄の匂いがない。
「火星少年」悲しみが伝わってこない。
「ハレとケ」視点がぐらついていて話に入れない。訴えかけるものがない。
参照用リンク: #date20040409-023500