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第194期決勝時の、#8落日(塩むすび)への投票です(1票)。

2018年12月8日 13時19分29秒

遷移(霧野楢人)
ちぐはぐかなあ。

井上(qbc)
自分で書いた。

僕の初恋の話。(涼)
幸せそうでよいこと。

知らない世界(テックスロー)
幸せそうな老後でよいこと。
「サラリーマンとして出世競争に勝ち残ることは一つの与えられた幸せ」ていうストーリーを昭和すごろくって揶揄したのは経済産業省「不安な個人、立ちすくむ国家」で、これが気になり続けている。
社会学方面だと、こういう社会の中で誰もが参照するストーリーのことをマスターナラティブというタームでカバーしてるぽい。
で、テキスト方面でいうと「物語」。
今、みんなが読んでる物語ないよねーって。
同じ物語を共有していないから、共感が生まれないって。

Haagen Dazs (宇加谷 研一郎)
英語で書くというシンプルなアイデアがまだ短編では試されてなかったんだなと思った。
語彙が分からん。insultedの意味は分かってても、これってどういう文脈で使われるワードなんだろうってことがまったく分からなくて楽しめない。文化の違い辛い。

落日(塩むすび)
人の不幸はどうしてこんなに興味深いんだろう。気になるよねー。隠されたこと、隠していること、秘密を知りたくなる。
自分の不幸ですらすごく興味を持ってしまう。
不幸には「狭間の黒い闇の中から鮮やかな舌」という肉感的で、映像的で、格式ばった文語的なワードが合う。要するにポルノか。「病めるときも。健やかなるときも。」という皮肉も不幸にぴったり。
これは個人的に好きな作品だと思う。不幸な話だから。他の人からはあんまり好かれないかも。

妹と輪ゴムとビデオテープ(euReka)
輪ゴムをきっかけに現実と虚構が入り混じっていく。
ビデオテープ、ビデオデッキというワードの時代感。
「自分(作者ではなく)の中の変な妄想」を描くという様式かなあと思った。
地下アイドルとかバーチャルユーチューバーなんか見てると、そういう妄想が形をもって表れてきて、さらに他人の妄想とコラボしたりとかして、そういう混沌とした状況と見比べてしまうと、物足りないかなあと。
これからはどういう小説が、日本語であるべきなのだろうか。

怪獣のいる街(志菩龍彦)
意識的に残った人たちどうしで揉めごともないみたいだけど、いやー揉めごと起きたりするでしょう、と思った。そりゃ揉めない平和主義の人たちもいるだろうけど、反社会的だから、好戦的だからこそ残った人たちもいるだろうなあと。
福島の原発に残された家畜の写真集のことを思いだした。

参照用リンク: #date20181208-131929


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