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第178期決勝時の、#5ニンゲンという暮らし方(たなかなつみ)への投票です(1票)。

2017年8月5日 10時34分37秒

 コンテクストという言葉を最近知った。文脈という意味である。前後関係のことである。現代アートに感心を持っていて、そこからこの言葉に行き当たったのであるが、細かなニュアンスはまだ良く理解はしていない。
 決勝に残った「1992年の伊勢丹とロックウェル」の作者は珈琲や音楽を題材に取り上げることがある。要は珈琲の知識や、取り上げられた音楽のメロディが頭の中に浮かんで、はじめてその小説の理解ができる、というようなことも文脈を理解するということのひとつのようである。小説を読むのに知識を必要とするということである。先の言葉を知って、敬遠していたこのような小説への理解が少し深まった。
 また、ハイコンテクスト、ローコンテクストという言葉にも行き当たった。抽象度が高い、あうんの呼吸が通用するといった日本の感覚はハイコンテクストな文化であるとのこと。逆にローコンテクスト(欧米など)とは、言葉ですべて提示されるといったもので、論理的なコミュニケーションが必要とのことである。
 今回、コンテクストで評価を試みようと思いはしたが、そう単純に分類できそうにもなかった。
「w.w.」
 マッチ売りという記号。共通認識ができれば、読み解きの糸口となるのではないか。端的な書き方をしているが、すごく抽象性のある書き方でもある。予選で書いた「ちょっと頭をひねらないと分からない書き方」を再び考え、呪文あるいは経の繰り返される音の響きのようなものを感じて、そのような考えに至ったのだと自分に納得した。
「ニンゲンという暮らし方」
 珠には東洋の響きがある。それは日本という世界であろう。そう考えると、ごく普通の生活者の、それも誰もが経験したであろう体験を記号として読ませているから、妙に納得させられるものはある。珠をどう解釈するかは、さほど重要ではない。物質的な珠ではなく、精神面の象徴としての珠であると認識すれば、ニンゲンの暮らしの描写が際立つし、物質的な珠として認識すれば、皮の存続のための生活が際立って見える。
「1992年の伊勢丹とロックウェル」
 抽象度の高い作品である。まさか、僕のなかに棲むカエルを実際の蛙とは解釈しないであろう。カエルとは主人公の内面を反映させる記号であって、作者の言葉選びの妙である。別にトカゲでもいいわけで、ただ、作者はカエルを選んだのである。ダジャレなどの言葉遊びが作品の質感を和らげているが、そのことは本質ではない。「w.w.」にもある共通認識(ノーマンロックウェルやナイマン象など)の理解度がこの作品の評価を分けるところである。

参照用リンク: #date20170805-103437


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