投票参照

第153期決勝時の、#16リヴァーオブサンド(キリハラ)への投票です(2票)。

2015年7月8日 20時41分47秒

あらためて読み返し、立ちのぼってくる匂いと音の風景に魅せられました。
荒涼としていそうで、生活臭がある、慕わしそうで、けれどもはねつけるような情景がよかったです。

参照用リンク: #date20150708-204147

2015年7月4日 20時27分40秒

14 カフカフ euReka
タイトル見てカフカかと思って一文字目の「羊」で完全にカフカじゃんって思って短編集を読み返したら、これは評価できるかどうかって悩みました。全部カフカではなく、雑種とオドラデク、プラスeuRekaさんの独創でできた作品だけど、これはアイデアの盗難に値するのかどうなのかと。
で、毛のふさふさした得体のしれない生き物という初動は本歌取り的なものとして許容しても、最後の生き物が殺されたがっているところはカフカ短編からも拾えるイメージで、読み手に内省を促すサスペンスがあり、このカフカに発見された大切な締めくくりの被り方に私はオリジナリティを付与できない。
面白いかどうかとは別の話。話自体は面白かった。私はカフカが好きだし。
小説が、私とあなたの違いということを明確にし得る、個人という幻想の花の結晶であると考える私としては、これは評価埒外だななと思いました。
ということを考える機会になった作品としては、ずっと覚えてるだろうな、とも思いました。

11 ハウ・トウー・ボーーン 宇加谷 研一郎
「村上さんのところ」で、確か小説が好きなのは人口の数%くらいなものだという、村上春樹の回答があって、面白いなと読んだ記憶があるのだけど、検索したら書籍化で読めないみたいなのね今は。そういう念頭があったので冒頭は引き込まれた。予選票を眺めると、サイト短編を訪れる人にとっては親近感のある造形の作中人物だったのかなと。。
文章もすっきりとしていて、文を読み進める嚥下自体にに苦労はないのだけれど、どこかにあっけらかんとした風情があり、それが読みやすさを醸成する源なのだと推測するも、実はそのあっけらかんさ自体が私にとっては不可解なところで、文字を読む目の動きとは別に読んでいる私自身に、えこれなんでこんなすっきりと書けるの、と私の自意識を立ち止まらせる。
この状況だったら、もっと凄惨に、もっと深刻に精緻に書き込むことができるであろう力量を持っていると思う中で、このふつうさにいかがわしさを感じる。
で、その関心の強さに反比例して投票できないのは、そのあっけらかんさにまったくもって納得できないから。興味は持っているけど、なんかよく分からない人なのよねーっという距離感。
この作品に広告的すけべさがくわえられたのならば、もしかしたらもっと通りの良い話になったのかもしれない。今はただ、不思議な人を遠巻きに眺めているような感覚しか抱けなかった。通りの良さが備わったらこの味わいが失われる危惧があるものの、でもお通じも良く不可解さも残しつつという残尿感的刺激もできるんじゃないかな、と思う。それを作り出すのに作品の長さが必要なのか、それとも違う要素なのか、あるいは私自身との感覚との疎隔が問題なのかはは分からないけど。

16 リヴァーオブサンド キリハラ
硬い。別にこの文章ではそういう語彙でなくても構わないでしょうと思って読み進める。結局、語ろうとするものに対して作者自身の感覚がが追いついていないからこういった硬い、重い、遅い語彙になるのかなと思えて、それがかわいらしかった。総体ごつごつしていて、全編息苦しい。正直、烏を繁栄の象徴と見るのもチープに感じられたのだけど、でもそこに文章と作家の緊張感ある接合が感じられて良かった。鳥は希望の象徴だけど、カラスは凶兆で、でもこの作品ではカラスはポジティブな扱いになっていて、作家個人由来の小説造作上自然な流れというよりかは、これまでの物語作法的必然の対する嫌みとして配置するあたりとか、その思惑の呼吸が、常に新しくあるべきはずの小説の対象に取り組むのに既存の小説モチーフを持ってくる、その窮屈さが伝わってきて良かった。
カフカフ、ボーンの方が読みやすい。でもこのサンドからは荒い、息たえだえの肉体が感じられた。ということで投票します。

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参照用リンク: #date20150704-202740


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