長月さんへ。
〉 わたなべさんの作品について
この時の私の感想は、主人公が祖母の言葉を「遺言」と受け止めた結末に対する違和感であったのだと思います。
私は主人公側で読みましたもので、祖母の意見が反転していることを主人公はどう受け止めるのだろうとずっと考えていました。ここを中心にもう少し説明してみます。
病院での祖母は、主人公が知っている頃のままではありません。祖母が人生で積み上げてきたもの、積み上げなければいけなかったもの、生活を支えるために纏ってきたもの(そのひとつが、「女に学問などいらん」だったのでしょう)、そうした憑き物が、おそらくは認知症の症状によって、幸か不幸か、自然と剥がれてきているように私には思えます。このあたりは長月さんのコメントとそれほど離れてはいないと思います。
祖母がここで言った「たっせい」は、主人公にとっては祖母から最後に聞く言葉なのでしょう。けれど「遺言」のように「意図して何か遺す言葉」ではなく、死へ向かう人のありのままの言葉として受け止めるものだったのではないでしょうか。
祖母と暮らしていた頃の主人公は、祖母が人生で抱えてきたものを受け容れられず、朴訥に生きてきた祖母とは反対に、何度も進路を変え、今も中途半端な自分を抱え、祖母に反発していた頃の自分のまま、迷い続けています。主人公は死に面した祖母の変化を受容できたのでしょうか。その上で、「たっせい」を「遺言」として受け止めたのでしょうか。そうではなく、変化によって祖母の死を現実として認識し、悲しみとともに自分に引き込んだという風に見えます。「私は祖母が死ぬのだとこの時わかった」というニュアンスは、「遺言」という祖母の積極的な意図を感じさせる言葉ではなく、違う言葉で語られるものだったように思えるのです。