〉 僕なんかは逆に、投稿者の投票を必須にしなくてもコンテストが成り立つところが「短編」の特長と思っています。
投票する人が少ないことを話題にしています。
〉 今期も投票数自体は多いので特に問題はないと思いますが。逆に増えているのではないのでしょうか。読者からしたら飛びぬけた作品だと思うものが見当たらない中で、3票を集めるのは確かに難しと思うし、票がかなり割れている中で3票を集めることも難しいと僕は思っています。価値ある一票もあまり価値を感じない(?)一票も、同じ一票だというのが面白いですよね。
〉
〉 票が入らなくてもいい作品はいい作品ですし、票が入った作品は、その人が入れたいと思うことがその作品や作者にあった、そういう事ですよね。
〉
ご意見のとおり、作品のよしあしと、好き嫌いなど、いろいろな要素があると思いますが。
選者、投票者が少ないのは、読者が少ないということではないでしょうか?
それは、投稿するひと達、つまり作家への、読者からの回答のだと思うのですが、いかがでしょうか?
〉
〉
〉 僕は「短編」で票の入る作品というのが特に思い浮かばないのですが。読んでいてこういった作品、こういったレベルの作品は前に決勝に出たなと思っても、そうならない方が多いし。ただ書けない時に僕は、あらのさんの「消しゴム」や「腐れ名月」をよく思い浮かべます。
〉 おひるねさんはどんな事を意識されてるのですか?
毎回違いますが、ヤフー、ニュースを読んでいて書くことを決めることがおおいです。
もちろんきっかけは、作品とはちがいますが、今回、86期の投稿は、裁判員制度で、陪審員に3回続けて候補、選抜されたという、ニュースがきっかけになっています。
(ちょっとはずかしい……、あまり満足したできばえではないのですが、一応、創作するとき、裁判員について興味のある人を読者として意識していました)
投稿作品に影響を及ぼしたくないので、投稿時とは別名で書き込みます。
〉投票する人が少ないことを話題にしています。
おひるねXさんのおっしゃるように、投票数が少ないのは小説コンテストサイトにとって致命的だと思う。
読み手より書き手が多くなってくるのは世の流れであって避けがたいものでもあるが、「よい書き手になるためには、よい読み手であるべきだ」というのも一つの真理――あくまで、一つの、ですが――であって、小説だかなんだかわからないようなものの執筆を数こなすだけで満足しているような人には、「まず我慢して読む」ということも覚えてほしい。
「どうせ読むならプロの作家の書いたものを読むわ」という人は、どうぞそうしてください。このサイトの価値は「書き手にダイレクトに意見できること」「読み手もアマであれば書き手もアマ」というところにあるのだから、故意の貶めや褒めそやし、あるいは未熟な感想といった、非商業的で人間的な部分こそが、その存在意義なのだろうと思う。
自作に対しての的外れな感想などには、歯噛みしてないで、感情剥き出しで噛みついたらいい。それが掲示板を荒らすほどであっても、それもアマの特権だろう。
〉ひとことでいうと(作家の思考の中)読者不在だと思います。
おひるねXさんの発言ばかり引いて申し訳ないが、私たちアマに読者想定など必要だろうか。
「せっかく書いたんだから、読んでもらえるように工夫する」ということは当然必要だろう。しかし、それは「読んでもらいたいから書く」のでは決してない。むしろ「書く」と「読ませる」とは相反する要素だと言ってもいい。本来は「読んでもらいたい」の前に、「書かざるを得ない」があるわけだ。
「書かざるを得ない」は、物書きとしてより根源的な欲求、衝動であって、「読んでもらえるようにする」は「読んでもらいたい何か」があって初めて必要とされる要素、本来どうでもいい部分だ。物を書くにあたっては、そういった根源的なもの、書かざるを得ないような何か、つまり「モティーフ」がなければ、自分の方向性――プロになるとかそういうことではなく――はいつまで経っても見つからないだろう。そのモティーフに形を与えるために、適当な人物設定や出来事を探してくるわけだ。キャラクターやストーリーの役割は、それ以上でも以下でもない。
誤解を招く言い方になるが、このサイトで「読んでもらえる」ことにどれだけの意味があるだろうか。
個人的には「短編」サイトに投稿するものは習作でいいと思う。自分のモティーフをどうすれば表現できるか、それを探るためにこのサイトであれこれ実験してみればいいのではないか。このサイトで満票取ったとして、長く書き続けるなら色々な浮沈を経験するだろうし、それが一時の喜びでしかないことも想像に難くない。
読んでもらえる工夫に知恵を絞るよりも、まず「これをどうやってでも表現したい」という概念、情景、感情などを探す方に労力を向けてほしいと思う。
このサイトには、そうした小手先の工夫をしなくても読んでくれる親切な人がたくさんいる。そういった人達は、書き手のより深い努力もちゃんと嗅ぎつけてくれるに違いない。
最後に、以上はおひるねXさんに対しての反論ではなく、それに託けた個人的な見解です。私見、というと逃げっぽいが、まあそういうことですのであしからず。
〉 投稿作品に影響を及ぼしたくないので、投稿時とは別名で書き込みます。
〉
〉〉投票する人が少ないことを話題にしています。
〉
〉 おひるねXさんのおっしゃるように、投票数が少ないのは小説コンテストサイトにとって致命的だと思う。
話題に答えてくださった。ありがとうごさいます。
〉 読み手より書き手が多くなってくるのは世の流れであって避けがたいものでもあるが、「よい書き手になるためには、よい読み手であるべきだ」というのも一つの真理――あくまで、一つの、ですが――であって、小説だかなんだかわからないようなものの執筆を数こなすだけで満足しているような人には、「まず我慢して読む」ということも覚えてほしい。
〉「どうせ読むならプロの作家の書いたものを読むわ」という人は、どうぞそうしてください。このサイトの価値は「書き手にダイレクトに意見できること」「読み手もアマであれば書き手もアマ」というところにあるのだから、故意の貶めや褒めそやし、あるいは未熟な感想といった、非商業的で人間的な部分こそが、その存在意義なのだろうと思う。
〉 自作に対しての的外れな感想などには、歯噛みしてないで、感情剥き出しで噛みついたらいい。それが掲示板を荒らすほどであっても、それもアマの特権だろう。
〉
〉
〉〉ひとことでいうと(作家の思考の中)読者不在だと思います。
〉
〉 おひるねXさんの発言ばかり引いて申し訳ないが、私たちアマに読者想定など必要だろうか。
〉 「せっかく書いたんだから、読んでもらえるように工夫する」ということは当然必要だろう。しかし、それは「読んでもらいたいから書く」のでは決してない。むしろ「書く」と「読ませる」とは相反する要素だと言ってもいい。本来は「読んでもらいたい」の前に、「書かざるを得ない」があるわけだ。
ですから、繰り返しますが、読者が少ないことを話題にしております。
作家の書きたいことは、どうぞ、お書きください。
読者が少ないのはなぜか? と、いうことです。つまり、書きたいことが読者に おもしろくない のではないでしょうか?
〉「書かざるを得ない」は、物書きとしてより根源的な欲求、衝動であって、「読んでもらえるようにする」は「読んでもらいたい何か」があって初めて必要とされる要素、本来どうでもいい部分だ。物を書くにあたっては、そういった根源的なもの、書かざるを得ないような何か、つまり「モティーフ」がなければ、自分の方向性――プロになるとかそういうことではなく――はいつまで経っても見つからないだろう。そのモティーフに形を与えるために、適当な人物設定や出来事を探してくるわけだ。キャラクターやストーリーの役割は、それ以上でも以下でもない。
〉
〉 誤解を招く言い方になるが、このサイトで「読んでもらえる」ことにどれだけの意味があるだろうか。
意味があるから投稿しております。繰り返しますが、読者が少ないことを話題にしているのです。
〉 個人的には「短編」サイトに投稿するものは習作でいいと思う。自分のモティーフをどうすれば表現できるか、それを探るためにこのサイトであれこれ実験してみればいいのではないか。このサイトで満票取ったとして、長く書き続けるなら色々な浮沈を経験するだろうし、それが一時の喜びでしかないことも想像に難くない。
〉 読んでもらえる工夫に知恵を絞るよりも、まず「これをどうやってでも表現したい」という概念、情景、感情などを探す方に労力を向けてほしいと思う。
〉 このサイトには、そうした小手先の工夫をしなくても読んでくれる親切な人がたくさんいる。
たくさんいるのに投票しないのはどういうわけでしょうか?
それとも、投票する価値はないけれど、親切な指導はするのでしょうか?
>そういった人達は、書き手のより深い努力もちゃんと嗅ぎつけてくれるに違いない。
それは、ほめ殺しというか、ガクヤ落ちの馴れ合いというか、つまり、仲間うちで楽しんでいても、投票、評価してくれる人は増えないのではないでしょうか?
〉
〉 最後に、以上はおひるねXさんに対しての反論ではなく、それに託けた個人的な見解です。私見、というと逃げっぽいが、まあそういうことですのであしからず。
書きたいことと、投票、評価がないということは、何の関係もありません。
書きたいことは、
恋愛と冒険と したら、すべてはいっています。
あとは、おもしろく書くか、つまらなく書いた小説か? ということではないでしょうか?
失礼します、横レスです。いくつか思ったことがあるので。
反論、と言えるほど深く考えた上でのものではないことを、先にお断りしておきます。
〉 読み手より書き手が多くなってくるのは世の流れであって避けがたいものでもあるが、「よい書き手になるためには、よい読み手であるべきだ」というのも一つの真理――あくまで、一つの、ですが――であって、小説だかなんだかわからないようなものの執筆を数こなすだけで満足しているような人には、「まず我慢して読む」ということも覚えてほしい。
「一つの真理――あくまで、一つの、ですが」
と、ドックンドールさんが――おそらく慎重に――書いておられるとおり、これはあくまでも「一つの真理」なのだと思います。
ただ「よい書き手」が必ずしも「よい読み手」であるわけではない、あるいはその逆、「よい読み手」が必ずしも「よい書き手」ではないということも、「一つの真理」ではあると思います。
つまり、ある人が感想を書いたとして、それが的外れだとか深く読み込んでいない感想だからといって、あるいは的を射た深く読み込んだ感想だからといって、その人が投稿した作品に、その感想の影響が出ることは、私としては好ましくないと考えています。
また「感想を書く・書かない」「掲示板で議論をする・しない」といった部分においても、同じことを思います。
ここは「言わずともわかっている」といった部分かもしれませんが、どうも「よい読み手」でなければ「よい書き手」ではないといった印象も受けたので。
〉〉ひとことでいうと(作家の思考の中)読者不在だと思います。
〉
〉 おひるねXさんの発言ばかり引いて申し訳ないが、私たちアマに読者想定など必要だろうか。
これは本当にケースバイケース、人によるとしか言えないものではないでしょうか。読者を意識したほうが「良い作品」を書ける人もいれば、意識しないほうが「良い作品」を書ける人もいるでしょう。(自分に良い悪いの判断ができるとは思えないのですが、便宜上そういう言葉を使いました)
また、誰かにとっては「良い作品」であっても、別の誰かにとっては「悪い作品」であることも、多々あります。そういったところで、私としてはとても迷う部分です。
〉「書かざるを得ない」は、物書きとしてより根源的な欲求、衝動であって、「読んでもらえるようにする」は「読んでもらいたい何か」があって初めて必要とされる要素、本来どうでもいい部分だ。物を書くにあたっては、そういった根源的なもの、書かざるを得ないような何か、つまり「モティーフ」がなければ、自分の方向性――プロになるとかそういうことではなく――はいつまで経っても見つからないだろう。そのモティーフに形を与えるために、適当な人物設定や出来事を探してくるわけだ。キャラクターやストーリーの役割は、それ以上でも以下でもない。
実はここが気になったのでこの記事を書いている部分があるわけですが、キャラクターやストーリーを「モティーフ」にすることも、小説・創作には許されているのではないでしょうか。「このキャラクターを書きたい」「このストーリーを書きたい」という衝動を持ってしまった人にとっては、その役割は「それ以上」なのだと思います。
他にもドックンドールさんの記事には、共感できる部分もあれば、相容れない部分もあります。でもまあ、同じ考えを持たなくてはいけないわけではないですしね。これも私見です。
私が吹っ掛けたのは“そもそも論”なので、キリがないからやめましょう。
まあ現実的に考えれば(管理人さんの手間を度外視して)、
a. 読者が少ない→2chなどの他サイトで宣伝する
b. 投票者が少ない→投稿者に投票を義務化/登録メンバーのみ閲覧化して、やっぱり投票を義務化
これでいいんじゃないですか。
私は断然“量より質”なんで、今の投稿者・投票者・感想を最低限維持できない読者層(投票者層)を維持できない拡大なんて馬鹿げてると思うわ。
このサイトはどんな人が見に来ているか誰にもわからないわけでしょう。そういった浩々とした領域に向かって「今回は中高生を対象にした冒険ものを書きました」と叫んでもどうにもならないような気がします、個人的には(おひるねXさんの言う「恋愛」「冒険」は、内容についてでなく、素材へのアプローチの仕方についてですよね?)。
加えて、一読者さんの「キャラクター」「ストーリー」についての考え方もわかるわ。でも、そういうのに衝動的に飛びついたとしても根っこは結局同じ、というのが今までの個人的な印象。