拙い言葉ですが、ご感想をありがとうございます。
やっていないことがたくさんある。それはおろか、やらなくなってしまったことすらある。そのはずなのに今いるところから抜けられない、抜けようとしていないのかもしれない。『8』以前の頃の方が身を入れてやっていたのかもしれないと思う、今。
〉 女装にこだわって作品を書き続けるなら、いろいろな意識段階にある語り手、登場人物を書き分けられなければ、読者をひきつけることはできないだろう。
これがやっていないこと。他にすでに指摘されていることとしては、ロチェスター氏から再三挙がっている、否定されることがある。強制されることもやっていなかったが、なぜか先々月の三題噺で具現化された。
そしてそのためにやらなければいけないだろうことであるのに立ち往生していることが、以下。
〉 どこか一点でも、つきつめたところがないと、面白く読めないと思った。或いは語り手自身の意識というか、立ち位置というか。
これがいつになれば身に染みるのか、そろそろ焦らなければならないのかもしれない。
これで返礼を締めれば良さそうなものだが、以下、何を考えていたのかを返答の形式で挙げてみる。
〉 演劇を使う発想はよいと思う。しかし、題材が活きていないと感じた。
演劇は私にとってベタの大技で、奇道を求める性分としてはつい避けてしまう。しかしこれには演劇を使うしかなかった。
〉 単なる演劇ではなく部活動というところに青さがあるが、その青さも中途半端。
そしてこれにはプロとしての演劇を使うこともできなかった。
〉 第二ブロック(というのか中間部)は意味がよくわからなかった。
これはまずい。『擬装☆少女』の必須事項である、女装の理由と女装の容姿の片方に抵触する。しかもこれはもう片方を捨てて書いているのだ。余談だが、迷いもなく容姿を捨てたのは初めてだったりした。
〉 「真逆」を文章で読むと違和感を感じるのは年の所為か。
柄にもなく今の時代でしか用いられなさそうな言葉を使ってみた。カタカナ語に加えて、今後はこのような言葉も極力使用しないように努めようと思う。
〉 何か全体に違和感を感じるのは、冒頭部だけ三人称っぽいからだろう。少ない字数なので、語りは統一してもよいのではないか。散漫な印象を与えてしまう。
気がつかなかった。ところで、『月はただ静かに』についての長月氏の感想以降、現在形と過去形の使い分け方を考えるようになったつもりなのだが、それが破綻しているためかもしれない。
〉 部長の批評眼は見事だった。
これが私にとって最悪の感想なのか最高の感想なのか、そのことが見極められるまで返信は控えようと思っていたのだが、諦めることとした。意見は意見であり、それをどう思うかは自分で決めることなのだが、決められなかった。どちらかであるのには違いないのだが。
この感想には返答をしなければならない、そう思ったものにだけ返信をする、そういうやり方にしたいと思う、今。