仮掲示板

Re*4:オフ会の連絡と、質問への回答

 なんか予想外にちゃんと問題提起になっていて驚きました。
 昨日はちょっとエキサイトしました、すいません。
 今回僕の書いた記事は、「俺ルール」を押し付けようとしたわけではなく、波乱を巻き起こしたいわけでもなく、個人攻撃をしたいわけでもなく、ただ単に、前から思っていたことで、「でも別に面倒くさいからいいや」なことで、「でもまあ元ネタがあったほうが話しやすいか」くらいの気持ちで書いたもので、それにしてはちょっと反応が激しすぎると思いました。空気読めなくてごめんなさい。
 所感にレスってのはどうかわからないんですが、とりあえず三つだけ。

>無名の投票感想であっても「相手の認知」は伴う。コミュニティが発生しないわけじゃないと思う。ただ、もちろん記名の相手とやるよりかはイメージがつかみづらい。
>相手がはっきりしたほうが作品を書きやすいかという問題なんだろうか。

 これはただ単により反応がしやすくなると思っただけで。
 それと、わたなべさんの記事を読んで、「○○さんの気に入る作品を書こうとしてしまう」ことがあるんじゃないかと思いました。でまあ、実際そうすると票を「得やすく」なるでしょうね。その繰り返しで「短編向き」の作品ばかりが並んでしまわないかなと。ただの思いつきです。わたなべさんに対して害意はないです。

>「作品+αを評価するのはコンテストとしてフェアではない」
>個人レベルでのコミュニケーションが作品制作のテンション維持に繋がるだろうという仮説と、感想は個人レベルで書いて欲しくないという気持ちの間でジレンマがありました。

 ひどい言い方になりますが、「建前上のフェアさ」として「その作品以外のものを持ち込まない」と考えました。でまあ、それでフェアかというと、実際のところはそんなわけにもいかないと思います。どうしても個人レベルのものが入ってきてしまうと思います。これは僕自身がそうで、普通に好きな書き手とかいますし。他の人にもいると思います。でも、そうしておけば「フェアであろう」とはするんじゃないかなと。すげえ余計なお世話かも知れませんが。

>自作解説についての「作者の言葉で固定してしまったら正直つまらない」

 これはどうも個人的すぎるようなのでスルーしてください。僕が自作解説が好きじゃないってだけです。

 あと、僕はもう部外者の立場にいると思っていて、実際こういうところでやり合いたいほうじゃありません。んで、まあ、ちゃんとやれる人がやったほうがいいと思うんですけどね(逃げたと言われたらまあその通りです)。それと、あんまり掲示板に出てこない人の意見も聞いてみたいんですが、どうかなぁ。

Re*5:オフ会の連絡と、質問への回答

〉 それと、わたなべさんの記事を読んで、「○○さんの気に入る作品を書こうとしてしまう」ことがあるんじゃないかと思いました。でまあ、実際そうすると票を「得やすく」なるでしょうね。その繰り返しで「短編向き」の作品ばかりが並んでしまわないかなと。ただの思いつきです。わたなべさんに対して害意はないです。

▼いちど「短編」優勝した「短編向き」と思える同じラインの作品を投入しても、予選は通っても結晶では票が得られない、というのが私の経験則です。既視感が出てしまうのだと思っています。そういう意味でコンテストは難しいなあと感じています。
また、「短編向き」の作品ばかりが並ぶという懸念、私もそうなったらつまらないなと思っています。しかし、短編の参加作品を読んで、「あ、こういうの自分も書いてみたい」という動機から参加する方もいると思いますので、そうなる傾向もあるのかなと思いました。自分自身も、短編に訪れて1000字でこんな作品が書けるのだなという驚きが参加の動機のひとつでもありましたから。


〉 ひどい言い方になりますが、「建前上のフェアさ」として「その作品以外のものを持ち込まない」と考えました。でまあ、それでフェアかというと、実際のところはそんなわけにもいかないと思います。どうしても個人レベルのものが入ってきてしまうと思います。これは僕自身がそうで、普通に好きな書き手とかいますし。他の人にもいると思います。でも、そうしておけば「フェアであろう」とはするんじゃないかなと。すげえ余計なお世話かも知れませんが。

▼「フェア」じゃないと周囲に思わせること、コンテストが公正な場となっていないと感じさせないことが、重要なんだなとあらためて思いました。
感想票無記名は、その建前であれ「フェア」であろうとすることの手段ということになりますでしょうか。つまり「フェア」が保たれているならば記名でも構わないということになってくるのでしょうね。


〉>自作解説についての「作者の言葉で固定してしまったら正直つまらない」
〉 これはどうも個人的すぎるようなのでスルーしてください。僕が自作解説が好きじゃないってだけです。

▼自作解説は野暮だと私も思っています。ただ時には作品よりも解説のほうがおもしろい時もある。これは読者としての意見ですが。
曠野さんにちょっとした作品解説を求めたら「営業上の秘密です」と回答されたことがありました。私自身も作者としては自作解説は好んでいなかったわけですが、この時に作者と読者によって解説の必要性というのは違うのだなと思いました。


〉 あと、僕はもう部外者の立場にいると思っていて、実際こういうところでやり合いたいほうじゃありません。んで、まあ、ちゃんとやれる人がやったほうがいいと思うんですけどね(逃げたと言われたらまあその通りです)。それと、あんまり掲示板に出てこない人の意見も聞いてみたいんですが、どうかなぁ。

▼とにかく意見は欲しいですね。多くの意見を共有したいです。

Re*6:オフ会の連絡と、質問への回答

 前の作品の方がよかったとか、この人は優勝経験者だから、とか、そういった作者と作品を結び付けながらの投票は以前の方が多かったような印象を持っています。ただ、それでアンフェアだったかというと、そうでもなかったと思います。というのは、毛色の違う作品を並べておいて票を入れろとなったときに、純粋に作品だけを比較するのは非常に困難だからです。何か特定の評価軸があればいいわけですけど、どういう作品に投票しろという公式ルールがない以上、その評価軸の選定自体が恣意的になりがちなんじゃないかな、と思います。
 それまでのプロセスを踏まえるとどうしてもアンフェアな部分が生じてしまうけれども、かといって毎回まっさらなところから始めるのもコールアンドレスポンスというか積み上げていく楽しみのようなものがないわけで、コミュニケーションの加減とも通じるところがあると思いますが、一概にどちらが優れているとはいえないですよね。
 短編のシステム自体はどちら側にも振れるものですが、参加者が何らかのコンセンサスを明示的に共有しているわけではない以上、純粋なコンテストを志向する人にとって純粋でない部分が不快に感じられることを回避するのは困難だろうな、と思います。
 その不快さを超克する何かがあればいいわけだけれども、それは個人がさがすものかもしれないし、全体で追求するべきものかもしれないし、システムで規定するべきものかもしれないというね、非常になんというか、この、やれるのか! というね。

Re*7:オフ会の連絡と、質問への回答

 俺のターンは終了している気もするんですが、一応。
 ちゃんと説明できているかわからないんですが、とりあえずいろいろ書いてみました。全然まとまっていませんよ。けっこう話が飛んでますよ。

〉 前の作品の方がよかったとか、この人は優勝経験者だから、とか、そういった作者と作品を結び付けながらの投票は以前の方が多かったような印象を持っています。ただ、それでアンフェアだったかというと、そうでもなかったと思います。

 僕もアンフェアだとは感じていなかったと思います。ただ、作品以外のものに触れて、そこを評価しているものに関しては、その当時から「それは違わない?」と思っていました。例えば、紺詠志さんが自分のサイトで触れられていた制作秘話?の部分を抜き出してきたりだとかには、「何だかなぁ」という気分でいました。

 「作者と作品を結びつける票」というのは、「作品越しに作者を見る」ものと「作者越しに作品を見る」ものがあると思います。「読者→作品→作者」と、「読者→作者→作品」という感じでしょうか。これはqbcさんが前に書いていたような、いなかったような。よくわかりません。

 人それぞれ感覚の違いはあると思いますが、僕は「読者→作品→作者」はそれほど気になりませんが、「読者→作者→作品」が気になります。

 「前の作品の方がよかったとか、この人は優勝経験者だから」というのは、「作者」の部分がマイナスになっていて、なんていうか、「読者→作者→作品」であっても、それがプラスになることもあればマイナスになることも同じようにあり、そういったところでアンフェアさというものをあまり感じていなかったと思います。わかりづらい気がするので補足しますが、例えば「紺詠志」という「名前」が、同時にプラスにもマイナスにも作用する、という感じです。やっぱりわかりづらい。

 なんかもう書きづらくなってしまったんですが、記名と票公開可/不可もあったと思います。昔は記名をしている人は今より少なかったですし、票を公開している人も全体の半数ぐらいだったんじゃないでしょうか。隠していた/隠されていた部分が多かったというか。その後ろにある人格を隠していた人が多かったというか。その是非はともかくとして、感想票の内容も一歩引いたようなものが多かったように思います。

 人それぞれ好みというのはあります。けれども、同じ人が同じ作者の作品に何度も票を入れていた場合、はっきりそれとわかってしまう場合、やはり僕はそこにアンフェアさを感じます。なので、という繋ぎが正しいのかどうかわかりませんが、qbcさんの『つまり「フェア」が保たれているならば記名でも構わないということになってくるのでしょうね』というのにはイエスです。

 記名について、どうも禁止したいみたいにも読めるんですが、僕としてはそんなにこだわっていません。馴れ合いに繋がるというよりも、「コンテストとしてアンフェアに見える? のか? どうなのか?」というニュアンスです。

 あと別にね、何かを決めようとしているわけじゃ全然ないので。僕自身、明確な何かを持って書いてるわけでもないので。それはほんと理解してください。

Re*8:オフ会の連絡と、質問への回答

〉 「前の作品の方がよかったとか、この人は優勝経験者だから」というのは、「作者」の部分がマイナスになっていて、なんていうか、「読者→作者→作品」であっても、それがプラスになることもあればマイナスになることも同じようにあり、そういったところでアンフェアさというものをあまり感じていなかったと思います。わかりづらい気がするので補足しますが、例えば「紺詠志」という「名前」が、同時にプラスにもマイナスにも作用する、という感じです。やっぱりわかりづらい。
 無意識の内に「作者」の部分がマイナスになる例を2つ挙げていたことからもわかるように、私は、「読者→作者→作品」がプラスに働いた例をあまり見てとれていなかったようです。それでもアンフェアだと思っていないのは、やはり前述の通り、いずれにせよ作品だけを評価するということは絵に画いた餅みたいなもので非常に困難だと考えているからです。作者を意識することだけを殊更に批難することもないんじゃないかな、と思っています。

〉 なんかもう書きづらくなってしまったんですが、記名と票公開可/不可もあったと思います。昔は記名をしている人は今より少なかったですし、票を公開している人も全体の半数ぐらいだったんじゃないでしょうか。隠していた/隠されていた部分が多かったというか。その後ろにある人格を隠していた人が多かったというか。その是非はともかくとして、感想票の内容も一歩引いたようなものが多かったように思います。
 感想票の内容にこだわる方がいる、というのは最近の発見だったんですが、私としては投票が主で感想は従(しかもかなり比重が低い)という位置付けだったので、わりと形式的なものとしてとらえていました。
 フェアかどうかとは違う話になりますが、読むのは好きだけど書くのは苦手、という人にとっては、あれが結構心理的な障壁になるんじゃないかというのが以前から気掛かりです。ボタンをポンポン押しただけの票が増えるのもあまりよくないのかもしれませんけど。

〉 人それぞれ好みというのはあります。けれども、同じ人が同じ作者の作品に何度も票を入れていた場合、はっきりそれとわかってしまう場合、やはり僕はそこにアンフェアさを感じます。なので、という繋ぎが正しいのかどうかわかりませんが、qbcさんの『つまり「フェア」が保たれているならば記名でも構わないということになってくるのでしょうね』というのにはイエスです。
 ここが一番興味深いところだったんですが、私は「同じ人が同じ作者の作品に何度も票を入れて」「はっきりそれとわかってしまう」ことがあったら、それはアンフェアな投票行動の結果ではなくて、極度にフェアな投票行動の結果だと考えると思います。『極度に』とつけたのは、投票過程がある程度見えたり、自分の後で他人が投票することを見越せたりすると、その影響を受けてしまうことが多いと思うからです。投票者がそれらを含めた諸々の影響を撥ね除けたら、今より票が偏るんじゃないかと思っています。非常に複雑な問題なので、想像に過ぎませんが。

〉 あと別にね、何かを決めようとしているわけじゃ全然ないので。僕自身、明確な何かを持って書いてるわけでもないので。それはほんと理解してください。
 意見のサンプルが増えるのは純粋にいいことだと思いますので、気楽にのんびりとやりましょう。

Re*8:オフ会の連絡と、質問への回答

 自分の名前が出てきたので、つい反応してしまいます。いまはもっぱら読者として『短編』を拝見させていただいている者です。

 こちらに投稿した作品の票感想に、自分のサイトでの発言が触れられたときには、私としてもかなりイヤなかんじがしました。しかし一方で、私の作品が連続して優勝したときには、「同じ作者がつづけて優勝するのはどうかと思うが」といったような票感想のコメントもあり、西さんのおっしゃるとおり、作者単位の評価はマイナスにもプラスにもなるものと思います。
 また『短編』としても「作者別目次」や「優勝者列伝」など少なからず作者という単位を公式にフューチャーしているくらいですので、投票にその視点が導入されるのは、ある程度しかたないことかな、と思います。さすがに「○○さんの作品だからおもしろい」などといった票感想が出てきたりしたら問題ですけど、作品そのものの評価が基本となっているかぎりは、たとえ不公正な視点であるにしても許容範囲内とせざるをえない気がします。
 ついでながら、私も戦場ガ原さんと同様に票感想の内容はあまり重視していません。さだかじゃないのですが、企画段階の当初は票だけだったのが、それじゃあやはり無責任すぎる投票や不正が横行しかねんということで、念のためなにかしらコメントを書かなきゃダメってことにしよう、といった経緯だったかと記憶しています。現在はかなり重視されていて、私も決して軽視できない気分ではありますが、ゲームのルールがあくまで「どんな感想であれ1票は1票」であることには変わりがないですね。だから純粋に点取りゲームとして楽しめればいいのですけど、それもなかなかむずかしいことで。

 あと、このレスでは無関係な内容になりそうですが、最近話題の「馴れ合い」というか「馴れ合いと見られかねない参加者間の親交」につきましては、大いにいいんじゃないでしょうか。仲よきことはうつくしきかな、とだれかエライ人も言っています。しかし個人的には、いわばコンテスト(投稿作品と票感想)を「舞台と客席」、この掲示板を「楽屋」と考えていますので、舞台と楽屋のケジメは大事にしてほしいと願ってやみません。小説とその感想が掲示板に投稿されたり、掲示板の話題が票感想に書かれたりする最近の状況には非常に幻滅していて、作品投稿者としての参加興味は完全に失せています。
 しっかりケジメがついているかぎりは、この掲示板やらオフ会やらmixiやら出会い系サイトやらで参加者のなかに親しい関係やそうでない関係ができたりしても、それが掲示板で露骨に表れていても、舞台でのパフォーマンスにしか興味がない私なんかは一向に知ったこっちゃない、勝手にしやがれ、ってなもんですので、大いにイチャついたりケンカしたりしたらいいんじゃないかと思います。こう掲示板をチェックしているとおり、舞台しか興味ないなんてウソですが、あくまでもゴシップ記事を読むみたいな興味です。私は『短編』に公式掲示板が存在すること自体に疑問を持っているくらいです。お客さんにもマル見えな楽屋なんていらないというか、恥ずかしいじゃないかと。掲示板があるかぎり「内輪」や「馴れ合い」のそしりは避けがたい。というか、それらをあえて見せびらかすのがこの掲示板のおもな機能だとすら思える。
 それはさておき、このケジメというのは『短編』がシステム的に対応できるものではなく、いかに主催者が掲示板を「たかが掲示板」と低く位置づけていようとも、参加者各人の意識に一切ゆだねられるものですし、それは全体主義的に統制が図られるべきものでもなく、そもそも万事ご自由ご勝手にどうぞなかんじが『短編』のよさだと思いますので、けっきょく「ケジメのなさ」についても「そういう風潮」として了解せざるをえません。いまはマッチがケジメの必要性を高らかにうたっていたころとちがって、ケジメがないのがブームなんだな、ケジメのないほうがモテるんだな、とでも理解して、それに同調するなり、それが気に喰わなければ参加しなけりゃよい。そうして無為に人材をうしなったりして、はなはだ残念な場合もしばしばありますが、開設時からずっと見てきて、『短編』とはそういうサイトなんだと思う今日このごろ。そろそろ日光が強くなってきたので棺桶に帰って寝なければなりません。

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