ロチェスターさんの感想票において、「作品の内容をわかっている人は一人もいないように思う」と書かれていて、では果たして票を入れた僕はこの小説のことをわかっているのだろうか、と思い、最近感想をさぼっている反省の意もこめて、せめてこの作品について自分が読み解いたことを書き記しておこうと思いました。
まず、他の人の票で「文章の統一性において違和感がある」という内容の感想がありましたが、違和感があるのは当然で、一段・二段・三段で、それぞれ主語が異なっており、一段・三段は「私」、二段は「僕」になっています。「私」とは死んでしまった「彼女」のことで、つまり、彼女があの世に辿り着くまでが一段・三段で描かれているということです。
無理矢理要約してしまうと、「彼女は死んでしまったが僕は悲しまない。そして実際に、彼女はあの世で死んだ家族と再会し楽しく暮らしている。」という内容なわけです。
こうして見ると、とてもハッピーな物語のように思えます。しかし、何度読み直してみても、どうしてもこの文章からは、ある種の切なさ、無情さ、のようなものを感じずにはいられませんでした。特に最後の部分、ここは非常に楽しそうな描写であるにも関わらず、まるで空元気のような空虚さがある。一体、それはどうしてだろうと考えました。
そこでもうひとつ気付いたのが、二段の「僕」のパートには自身の感情や哲学が描かれているのに、一段・三段の「私」のパートには情景描写しかないということでした。
それを踏まえてもう一度内容を考えなおしてみると、「私」のパートは実は「僕」がこうあって欲しいと願った彼女の行く末なのではないか、ということに思い至りました。彼女は死んでしまったがあの世で家族と再会し楽しくやっている、つまり、彼女は死んでしまったが生きている、という「僕」の内的世界の描写が「私」パートなのではないか。そうすれば、「私」の感情が描かれていないことも、最後の部分から感じる空虚さも、説明がつきます。
そういうわけで、僕はこの小説を、とても前向きで、とても悲しい物語であると読みました。