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『それでも』
 定型的なフレーズの反復といった手法は、小説の様式性を強調するあまり、作品を窮屈で平板なものに貶めかねない。しかし今作は、密度の濃いエピソードを積み重ね、かつ、それぞれのエピソードの持つニュアンスを少しずつずらしていくことによって、ちょうどバッハが協奏曲(リトルネルロ)形式で書かれた音楽のように、様式性と多様性を同時に獲得することに成功している。これはもう、離れ業と言っていいかもしれない。
汚穢を払いのける儀式としての洗髪、という主題がまず示される。次いで、ささやかではあるが確かな目で日常を切り取り、異化したエピソードが、一つずつ繊細な手つきで並べられてゆき、そのたびに「私」が髪を洗う行為には、さまざまな感情が付託されていく。後悔を断ち切り、怒りを噛み殺し、失望を乗り越えるたびに、「私」は髪を洗う…… リトルネルロ形式、と先に書いたが、むしろ、同一音形の通奏低音に上声部がさまざまな変奏を加えるパッサカリアのような形式といった方が正解だろう。
一つ一つのエピソードはあくまで日常に根差しながら、どれも読み手をはっとさせる鋭さに満ちており、たるみがない。まるで表面に精巧な彫刻が施された、小さな指輪を目にしているようだ。僕をもう一点、感動させるのは、平明で柔らかく、かつ内省の芯をしっかりと感じさせる語り口だ。かつて、あらゆる前衛的な手法を飽くなき探求心とともに追い求めてきた作者は、今、手法そのものへの関心をいったん背後に退け、生硬だった文体の角を丸く削り落した。そしていよいよ、より大きくて深い世界に足を踏み出したと思う。現在、一番脂が乗っている書き手である。

『ボーイ・ミーツ・ガール』
こんな終わらせ方もありか、と唸った。この幕切れをどう解釈しよう? 無理やりに終わらせようとしたようでもある。「登場人物にちょっと可愛らしい関西弁なんかをしゃべらせさえすりゃ、ウェルメイドな恋愛小説が一丁あがりさ」なんて安直にタカをくくる書き手への、高笑いに満ちた揶揄のようにも読める。ただ僕は、勝手な読みなのを承知で言うなら、この語り手の意外とナイーブな照れ、含羞を感じずにいられなかった。繰り返される「以下略」も、定番のギャグというより、むしろこの語り手の照れ笑い混じりの韜晦のように思う。その照れがこの作品を、爽やかで、そしてなんとなくはかない、ほんのりと哀しい作品にしているのだとも思う。そしてその語り手の照れは、つまるところ書き手の照れだ、とも…… 関西弁を話しながら戯れる二人には着実な存在感が備わっており、それは間違いなくこの作者の技量によるものだ。だがそういうものを書く時、酔いそうになる心を抑える、一種の「こっぱずかしい気持ち」を忘れないでおくことも、恋愛小説を書こうとする人間にとっては大事なんだよな…… というようなことを、しみじみ感じさせてくれる小説だった。

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