〉〉> 昔見た風景を探しに島に来た。
〉〉「島に」はいらないんじゃないでしょうか。そのあとに「遠いこの島に」とあるので。
この一文は、「に」の連用による違和感があると思うので
「昔見た風景を探しに島へ来た」
とすれば何も小難しいこと考えなくて済むと思いました。
「島へ来た」と書いておいてその後「この島に」という文がくるからその「島」というものの特別感が出るのではないでしょうか。
〉〉>その奥は海と沈む太陽。太陽のすぐ上はもう夜だった。
〉〉好みかなという気もしますが、「その奥に海と沈む太陽、すぐ上がもう夜だった。」辺りのほうが、音が流れやすいというか、自然?
〉
〉私は「太陽のすぐ上はもう夜」の意味がわかりません。ものすごいばかですが、太陽がしずむ瞬間てどういうビジュアルになるのかしらないです。したがいましてここはどうして良いかわかりません。
こういう風景を(わらさんはそうだと思わないかもしれないけど)見たことのある身として言ってみれば
「その奥は海と沈む太陽。太陽のすぐ上はもう夜だった」
「その奥に海と沈む太陽、すぐ上がもう夜だった」
では、読者として受ける印象が違いました。
最初の文では、(勝手な解釈ですが)太陽が海に沈みきり、その太陽の上の部分の空の色がすでに、夕暮れ特有の茜ではなくてもう夜に近い群青色を帯びているような空。
一方二つ目では
海に沈む太陽、まだ沈んでいない、ギリギリで水平線に触れるか触れないかあるいは半分沈んでいるか。そして主人公の上はすでに夜の空に近い色をしている。
という風に読みました。
いずれにしても今期のわらさんの作品はかなり荒削りで、駆け足の印象があります。もう少し一文一文を丁寧に仕上げてもらわないと、まだ作品が完成しきっていないんだけど、性急に語りたがっているというイメージだけが残ります。
〉〉〉> 昔見た風景を探しに島に来た。
〉〉〉「島に」はいらないんじゃないでしょうか。そのあとに「遠いこの島に」とあるので。
〉この一文は、「に」の連用による違和感があると思うので
〉「昔見た風景を探しに島へ来た」
〉とすれば何も小難しいこと考えなくて済むと思いました。
〉「島へ来た」と書いておいてその後「この島に」という文がくるからその「島」というものの特別感が出るのではないでしょうか。
A)「昔見た風景を探しに島へ来た。」(長月さん案
B)「昔見た風景を探しに来た。」(匿名6さん案
C)「昔見た風景を探しに島に来た。」(原文、匿名12プッシュでもある
と3案でたわけですが、私は「に」の連用はあまりきになりませんでした。逆に「へ」を使うと私にとってはなんだか開放的すぎる音感があるんですよね。
やはりC)の原文が良いと思います。
///「島」は特別である必要はないと考えます。ごくありふれた数あるうちのひとつの島。人生のメタファとしての島なので。
〉こういう風景を(わらさんはそうだと思わないかもしれないけど)見たことのある身として言ってみれば
〉
〉「その奥は海と沈む太陽。太陽のすぐ上はもう夜だった」
〉「その奥に海と沈む太陽、すぐ上がもう夜だった」
〉
〉では、読者として受ける印象が違いました。
〉最初の文では、(勝手な解釈ですが)太陽が海に沈みきり、その太陽の上の部分の空の色がすでに、夕暮れ特有の茜ではなくてもう夜に近い群青色を帯びているような空。
〉
〉一方二つ目では
〉海に沈む太陽、まだ沈んでいない、ギリギリで水平線に触れるか触れないかあるいは半分沈んでいるか。そして主人公の上はすでに夜の空に近い色をしている。
〉
〉という風に読みました。
これを見て雰囲気だけわかりました。
http://www17.ocn.ne.jp/~chaovega/050614ani.html
〉〉〉〉> 昔見た風景を探しに島に来た。
〉〉〉〉「島に」はいらないんじゃないでしょうか。そのあとに「遠いこの島に」とあるので。
〉〉この一文は、「に」の連用による違和感があると思うので
〉〉「昔見た風景を探しに島へ来た」
〉〉とすれば何も小難しいこと考えなくて済むと思いました。
〉〉「島へ来た」と書いておいてその後「この島に」という文がくるからその「島」というものの特別感が出るのではないでしょうか。
〉
〉A)「昔見た風景を探しに島へ来た。」(長月さん案
〉B)「昔見た風景を探しに来た。」(匿名6さん案
〉C)「昔見た風景を探しに島に来た。」(原文、匿名12プッシュでもある
〉と3案でたわけですが、私は「に」の連用はあまりきになりませんでした。逆に「へ」を使うと私にとってはなんだか開放的すぎる音感があるんですよね。
〉やはりC)の原文が良いと思います。
〉
〉///「島」は特別である必要はないと考えます。ごくありふれた数あるうちのひとつの島。人生のメタファとしての島なので。
「来た」だから「に」の方がいいのかもしれません。
「行く」なら「へ」がいいとは思います。
とすると時系列が平坦な方が最初の段落はすっきりするのか?等、新しい疑問が湧きますね。
タイトルが「島」ですから、ただの読者としては「島」を特別に注視し、どんな島なのか、主人公は何をしようとしているのかという点に注目するのは当然かと思います。島が人生の隠喩だから、それよりもそこに起きる事象から小説の本質を読み取るべきと、匿名12さんはおっしゃっているのでしょうか。読み手としては、数ある多くの島を特別に考えるというよりはむしろ、この小説に出てきた「この島」を、特別に思うわけです。「広い意味で隠喩としての島」ではなく、「この島」を「人生」の隠喩、すなわち特別、と捉えて読みました。この辺が、匿名12さんの読み方とすれ違っているなと思う点でした。
ところで、この作品の魅力ですが、「死にかけた」として「死んでない」とも「死んでいる」と書いていないところが含みがあって好きです。
死んでるかもしれないという点が面白かったです。だから、
「嫌だな」と思った。
この一文がとても印象に残りました。死んでるかもしれないから。
〉〉こういう風景を(わらさんはそうだと思わないかもしれないけど)見たことのある身として言ってみれば
〉〉
〉〉「その奥は海と沈む太陽。太陽のすぐ上はもう夜だった」
〉〉「その奥に海と沈む太陽、すぐ上がもう夜だった」
〉〉
〉〉では、読者として受ける印象が違いました。
〉〉最初の文では、(勝手な解釈ですが)太陽が海に沈みきり、その太陽の上の部分の空の色がすでに、夕暮れ特有の茜ではなくてもう夜に近い群青色を帯びているような空。
〉〉
〉〉一方二つ目では
〉〉海に沈む太陽、まだ沈んでいない、ギリギリで水平線に触れるか触れないかあるいは半分沈んでいるか。そして主人公の上はすでに夜の空に近い色をしている。
〉〉
〉〉という風に読みました。
〉
〉これを見て雰囲気だけわかりました。
〉http://www17.ocn.ne.jp/~chaovega/050614ani.html
〉
この動画はどうしてもっと周りの風景を入れてくれないんだろうと思いました。
http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~yoshiito/madagascar/sunset.html
この三枚目がイメージされる、原文の夕日。
上二枚が、「その奥に海と沈む太陽、すぐ上がもう夜だった」。
あくまで読者の勝手な解釈です。
〉 「来た」だから「に」の方がいいのかもしれません。
上記の理由に賛成です。
〉 「行く」なら「へ」がいいとは思います。
「行く」と「来る」の研究者ではないのであくまで感覚値ですけれども、「行く」は過ぎ去る、「来る」は迎え入れるというところで、このセレクトでOKと考えます。
〉 とすると時系列が平坦な方が最初の段落はすっきりするのか?等、新しい疑問が湧きますね。
これはどういう意味ですか?
〉 タイトルが「島」ですから、ただの読者としては「島」を特別に注視し、どんな島なのか、主人公は何をしようとしているのかという点に注目するのは当然かと思います。島が人生の隠喩だから、それよりもそこに起きる事象から小説の本質を読み取るべきと、匿名12さんはおっしゃっているのでしょうか。読み手としては、数ある多くの島を特別に考えるというよりはむしろ、この小説に出てきた「この島」を、特別に思うわけです。「広い意味で隠喩としての島」ではなく、「この島」を「人生」の隠喩、すなわち特別、と捉えて読みました。この辺が、匿名12さんの読み方とすれ違っているなと思う点でした。
おそらく、
A)「島」は人生の隠喩なのだから読者にとって特別でなければならない(あなたの読み方
B)「島」は人生の隠喩なのだから読者にとってありふれたものでなければならない(私の読み方
で、人生の隠喩なのだから、という前提までは一致しているというところでしょうか。
私は、あまり「島」を強調しすぎる=個性を出しすぎると、作者自身の人生が強調される結果になってしまい、読者がはいりこみにくくなるのではないのかなと感じました。私にとって島は「いわゆる一般的な人生」の暗喩であって、「作者固有の人生」の暗喩ではない。
///極端に言うと私小説っぽくされたらつまらないということだと思います。
〉http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~yoshiito/madagascar/sunset.html
〉この三枚目がイメージされる、原文の夕日。
〉上二枚が、「その奥に海と沈む太陽、すぐ上がもう夜だった」。
〉あくまで読者の勝手な解釈です。
これでイメージがよく分かりました。ありがとうございます。
わりと抒情的なイメージだなと感じました。風景になにを感じるかは人それぞれでむずかしいところですが。
以上。
〉〉〉〉〉> 昔見た風景を探しに島に来た。
〉〉〉〉〉「島に」はいらないんじゃないでしょうか。そのあとに「遠いこの島に」とあるので。
〉〉〉この一文は、「に」の連用による違和感があると思うので
〉〉〉「昔見た風景を探しに島へ来た」
〉〉〉とすれば何も小難しいこと考えなくて済むと思いました。
〉〉〉「島へ来た」と書いておいてその後「この島に」という文がくるからその「島」というものの特別感が出るのではないでしょうか。
〉〉
〉〉A)「昔見た風景を探しに島へ来た。」(長月さん案
〉〉B)「昔見た風景を探しに来た。」(匿名6さん案
〉〉C)「昔見た風景を探しに島に来た。」(原文、匿名12プッシュでもある
〉〉と3案でたわけですが、私は「に」の連用はあまりきになりませんでした。逆に「へ」を使うと私にとってはなんだか開放的すぎる音感があるんですよね。
〉〉やはりC)の原文が良いと思います。
〉〉
〉〉///「島」は特別である必要はないと考えます。ごくありふれた数あるうちのひとつの島。人生のメタファとしての島なので。
〉
〉
〉 「来た」だから「に」の方がいいのかもしれません。
〉 「行く」なら「へ」がいいとは思います。
〉 とすると時系列が平坦な方が最初の段落はすっきりするのか?等、新しい疑問が湧きますね。
〉 タイトルが「島」ですから、ただの読者としては「島」を特別に注視し、どんな島なのか、主人公は何をしようとしているのかという点に注目するのは当然かと思います。島が人生の隠喩だから、それよりもそこに起きる事象から小説の本質を読み取るべきと、匿名12さんはおっしゃっているのでしょうか。読み手としては、数ある多くの島を特別に考えるというよりはむしろ、この小説に出てきた「この島」を、特別に思うわけです。「広い意味で隠喩としての島」ではなく、「この島」を「人生」の隠喩、すなわち特別、と捉えて読みました。この辺が、匿名12さんの読み方とすれ違っているなと思う点でした。
〉
〉 ところで、この作品の魅力ですが、「死にかけた」として「死んでない」とも「死んでいる」と書いていないところが含みがあって好きです。
〉 死んでるかもしれないという点が面白かったです。だから、
〉
〉「嫌だな」と思った。
〉
〉 この一文がとても印象に残りました。死んでるかもしれないから。
〉
〉〉〉こういう風景を(わらさんはそうだと思わないかもしれないけど)見たことのある身として言ってみれば
〉〉〉
〉〉〉「その奥は海と沈む太陽。太陽のすぐ上はもう夜だった」
〉〉〉「その奥に海と沈む太陽、すぐ上がもう夜だった」
〉〉〉
〉〉〉では、読者として受ける印象が違いました。
〉〉〉最初の文では、(勝手な解釈ですが)太陽が海に沈みきり、その太陽の上の部分の空の色がすでに、夕暮れ特有の茜ではなくてもう夜に近い群青色を帯びているような空。
〉〉〉
〉〉〉一方二つ目では
〉〉〉海に沈む太陽、まだ沈んでいない、ギリギリで水平線に触れるか触れないかあるいは半分沈んでいるか。そして主人公の上はすでに夜の空に近い色をしている。
〉〉〉
〉〉〉という風に読みました。
〉〉
〉〉これを見て雰囲気だけわかりました。
〉〉http://www17.ocn.ne.jp/~chaovega/050614ani.html
〉〉
〉
〉この動画はどうしてもっと周りの風景を入れてくれないんだろうと思いました。
〉http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~yoshiito/madagascar/sunset.html
〉この三枚目がイメージされる、原文の夕日。
〉上二枚が、「その奥に海と沈む太陽、すぐ上がもう夜だった」。
〉あくまで読者の勝手な解釈です。
〉〉 とすると時系列が平坦な方が最初の段落はすっきりするのか?等、新しい疑問が湧きますね。
〉これはどういう意味ですか?
最初の段落は、結局助かって布団の中にいる状態から冒頭の説明をしているので、これを布団の中から振り返るという方法を用いずに、時系列ごと、
昔見た風景を探しに島へ行く→いろいろとがんばる→死にかける
という文章の流れがいいのではないかと思ったからです。
〉〉 タイトルが「島」ですから、ただの読者としては「島」を特別に注視し、どんな島なのか、主人公は何をしようとしているのかという点に注目するのは当然かと思います。島が人生の隠喩だから、それよりもそこに起きる事象から小説の本質を読み取るべきと、匿名12さんはおっしゃっているのでしょうか。読み手としては、数ある多くの島を特別に考えるというよりはむしろ、この小説に出てきた「この島」を、特別に思うわけです。「広い意味で隠喩としての島」ではなく、「この島」を「人生」の隠喩、すなわち特別、と捉えて読みました。この辺が、匿名12さんの読み方とすれ違っているなと思う点でした。
〉
〉おそらく、
〉A)「島」は人生の隠喩なのだから読者にとって特別でなければならない(あなたの読み方
〉B)「島」は人生の隠喩なのだから読者にとってありふれたものでなければならない(私の読み方
〉で、人生の隠喩なのだから、という前提までは一致しているというところでしょうか。
〉私は、あまり「島」を強調しすぎる=個性を出しすぎると、作者自身の人生が強調される結果になってしまい、読者がはいりこみにくくなるのではないのかなと感じました。私にとって島は「いわゆる一般的な人生」の暗喩であって、「作者固有の人生」の暗喩ではない。
〉///極端に言うと私小説っぽくされたらつまらないということだと思います。
「短編」において、るるるぶさんや三浦さんの文章に魅力を感じる当方としては、個性的な個人的な感覚を求めるきらいがあるかもしれません。
いずれにしても人生を隠喩することに作品のテーマを選んだと思われる今期の作品を読んで、それは井戸でもいいし壁でもいいし、地下でもいいわけです。それをあえて作者が島を選んだと読んだので、そこを覗き見る側としては特別に思うというわけです。要は、楽しみ方の違いがあるのかもしれません。もしくは作品に幅がありすぎる。作者の立ち居地がぶれすぎている。
写真については少し、ロマンチックすぎでしょうか。
〉 最初の段落は、結局助かって布団の中にいる状態から冒頭の説明をしているので、これを布団の中から振り返るという方法を用いずに、時系列ごと、
〉
〉 昔見た風景を探しに島へ行く→いろいろとがんばる→死にかける
〉
〉 という文章の流れがいいのではないかと思ったからです。
なるほど。
私もその時系列順のほうがすなおで良いとおもいます。
〉 「短編」において、るるるぶさんや三浦さんの文章に魅力を感じる当方としては、個性的な個人的な感覚を求めるきらいがあるかもしれません。
〉 いずれにしても人生を隠喩することに作品のテーマを選んだと思われる今期の作品を読んで、それは井戸でもいいし壁でもいいし、地下でもいいわけです。それをあえて作者が島を選んだと読んだので、そこを覗き見る側としては特別に思うというわけです。要は、楽しみ方の違いがあるのかもしれません。もしくは作品に幅がありすぎる。作者の立ち居地がぶれすぎている。
私の場合は、人生の隠喩のしつらいとして「島」をえらんだ時点でそこまで期待はしなかったです。「工場」をえらんで世相を皮肉ったりとか、「花畑」をえらんで過度な装飾とかすれば、注目したのですが。そこで「島」をえらんだのだから、いっそ一般的なところにおもいきりふって記述すればという発想です。
・おもいきり一般的
・個性の追求
で、しぼりこみをすれば、というあたりでは同意見かもしれませんね。
〉 写真については少し、ロマンチックすぎでしょうか。
叙情をみちびかれる写真ではありますが、小説原文での簡素な表現だと、この風景を想起してもしかたないとおもいます。たまたま私はこの風景がとっさにおもいうかばなかっただけで。
以上。
〉
〉〉〉 とすると時系列が平坦な方が最初の段落はすっきりするのか?等、新しい疑問が湧きますね。
〉〉これはどういう意味ですか?
〉
〉 最初の段落は、結局助かって布団の中にいる状態から冒頭の説明をしているので、これを布団の中から振り返るという方法を用いずに、時系列ごと、
〉
〉 昔見た風景を探しに島へ行く→いろいろとがんばる→死にかける
〉
〉 という文章の流れがいいのではないかと思ったからです。
〉
〉〉〉 タイトルが「島」ですから、ただの読者としては「島」を特別に注視し、どんな島なのか、主人公は何をしようとしているのかという点に注目するのは当然かと思います。島が人生の隠喩だから、それよりもそこに起きる事象から小説の本質を読み取るべきと、匿名12さんはおっしゃっているのでしょうか。読み手としては、数ある多くの島を特別に考えるというよりはむしろ、この小説に出てきた「この島」を、特別に思うわけです。「広い意味で隠喩としての島」ではなく、「この島」を「人生」の隠喩、すなわち特別、と捉えて読みました。この辺が、匿名12さんの読み方とすれ違っているなと思う点でした。
〉〉
〉〉おそらく、
〉〉A)「島」は人生の隠喩なのだから読者にとって特別でなければならない(あなたの読み方
〉〉B)「島」は人生の隠喩なのだから読者にとってありふれたものでなければならない(私の読み方
〉〉で、人生の隠喩なのだから、という前提までは一致しているというところでしょうか。
〉〉私は、あまり「島」を強調しすぎる=個性を出しすぎると、作者自身の人生が強調される結果になってしまい、読者がはいりこみにくくなるのではないのかなと感じました。私にとって島は「いわゆる一般的な人生」の暗喩であって、「作者固有の人生」の暗喩ではない。
〉〉///極端に言うと私小説っぽくされたらつまらないということだと思います。
〉
〉
〉 「短編」において、るるるぶさんや三浦さんの文章に魅力を感じる当方としては、個性的な個人的な感覚を求めるきらいがあるかもしれません。
〉 いずれにしても人生を隠喩することに作品のテーマを選んだと思われる今期の作品を読んで、それは井戸でもいいし壁でもいいし、地下でもいいわけです。それをあえて作者が島を選んだと読んだので、そこを覗き見る側としては特別に思うというわけです。要は、楽しみ方の違いがあるのかもしれません。もしくは作品に幅がありすぎる。作者の立ち居地がぶれすぎている。
〉
〉
〉 写真については少し、ロマンチックすぎでしょうか。
〉〉 「短編」において、るるるぶさんや三浦さんの文章に魅力を感じる当方としては、個性的な個人的な感覚を求めるきらいがあるかもしれません。
〉〉 いずれにしても人生を隠喩することに作品のテーマを選んだと思われる今期の作品を読んで、それは井戸でもいいし壁でもいいし、地下でもいいわけです。それをあえて作者が島を選んだと読んだので、そこを覗き見る側としては特別に思うというわけです。要は、楽しみ方の違いがあるのかもしれません。もしくは作品に幅がありすぎる。作者の立ち居地がぶれすぎている。
〉
〉私の場合は、人生の隠喩のしつらいとして「島」をえらんだ時点でそこまで期待はしなかったです。「工場」をえらんで世相を皮肉ったりとか、「花畑」をえらんで過度な装飾とかすれば、注目したのですが。そこで「島」をえらんだのだから、いっそ一般的なところにおもいきりふって記述すればという発想です。
〉・おもいきり一般的
〉・個性の追求
〉で、しぼりこみをすれば、というあたりでは同意見かもしれませんね。
なるほどなるほど。
よく分かりました。
こちらとしてもやっと納得できました。