今晩和。
コメントをありがとうございました。
今月の「糞の礼」は、特に「紹介」文の印象が強いと思います。サービスシーンを入れなかったので。
※サービスシーンと言うのは、たとえば「白髪頭は羞恥と周囲の無言の注目から自分と息子を衛るために怒っていた」の箇所で白髪頭の表情の詳細を観察したりするようなことです。あるいは「従業員たちは陰で相当あし様に白髪頭のことを噂したようだ」の箇所で、語り手の感情を「従業員に嫌悪感を抱いている」と設定し、「かれらは攻撃するのだ。相手のことをよく知りもしないくせに。たったひとつの誤謬でもってこきおろす。しかもその見出した瑕だとて、かれらの良識から見てのものだ」と考察させたり。
作品内に読者が踏み込みやすいようなフックを作ることです。
また「精製塩のような文章」は1000字の中でいかに展開を多くするかといった目的の為に作られた文章なので、「qbcさんが作り上げる人物は行動させるのに適した形」というのは正解なんだろうなと思います。
※私の感覚的な話ですが、私が「作り上げる人物」ではなくて、私の「書き方」になりますでしょうか。
今月のわたなべさんの「祖母の入院」の内容を、私でしたら、極端に言うと、冒頭の100字くらいで済ませると思います。「祖母が入院した。もうすぐ死ぬそうだ。見舞った。いま私が学者をしていることを教えると祖母はよろこんだ。むかし祖母は女の学問を嫌っていたのだが。どうも祖母が死ぬというのは事実のようだ。」ここに作中人物が思う感慨を挿入してもいいのですが、速度のために省きます。展開を優先させるために、結果的に作り上げられてしまった人物でしょうか。
なぜ「1000字の中でいかに展開を多くするか」と言えば、これはもう私の強迫観念だと思います。展開が速くないと書いていて死にたくなります。ともあれ「糞の礼」の語り手が冒頭と末尾にしか登場しない作品が、いまの自分の気分に近かったというのは確かなことです。とは言えその結果が色彩を遠ざけた味気のない作品になってしまってはしようがないのですが。