題名からは『京都』に対してここが良くないと思うなどといったことを挙げ連ねるように思われるでしょうが、そうではありません。
改変しようと思ったのですが、書き出す前にやめました。書き換えるといったレベルではないと思い直したからです。それで何をしたのかと言うと、二次創作です。二次創作にありがちな過去話に挑戦しました。二次創作の真意は、ある程度の設定は用意しておくべきではないのかということで、そういう意味で「攻撃」。
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京都前夜
仕事に愉快など期待したことはない。だから私にとって仕事とは耐えるものだった。出勤時間の間、私は私でなくなる。心を凍らせて目まぐるしく襲い来るものをひたすらはね返す、そのはずだった。それなのに。私は今、苦しんでいる。心を締め上げられているかのように、苦しんでいる。
「どう、はかどってる?」
暖かい。ついこの一瞬を満喫してしまう自分がいる。常にこの一瞬を待ち望んでいる自分がいる。この声に、私は焦がれてしまった。しかし向こうは先輩で上司で、何よりも同性で、私が望んで良い人ではない。私にできることは、部下として姿を見せてもらえることと声をかけてもらえることだけだった。
好きな人に好きになってもらえることは、とても幸せなことだと思う。私には到底できることではない。私の想いは、伝えた瞬間に壊れてしまう、絶対に私の外に漏らしてはいけないものだった。それなのに。仕事とは関係なく会って話をして触れてもらいたいと、欲が私の中ではちきれんばかりだ。だから、最近の私は、その膨張を漏れないように押さえつけているばかりだ。
「ねえ、あなた最近ずっと苦しそうにしてない?」
私が答えないでいると、彼女は私を無理やり自販機コーナーへ引っ張っていった。
「もしかして、病気とか?」
温かいコーヒー缶を私に手渡す。やめて。
「それとも、何か悩み事?」
心配そうに私に問いかける。これ以上私に声をかけないで。
「まさか、仕事のこと?」
気がかりそうに私の顔を覗き込む。もう私の顔なんか見ないで。これ以上ふたりだけでいたら、私はおかしくなってしまう。それなのに。そんなことなど、ひとつも言えなかった。
「本当に、どうしたの?」
それまで何とかがんばっていたが、肩に手を触れられて、私は堪えきれなくなってしまった。しゃくりあげて、声を漏らして、私は泣くことを止められなかった。彼女は突然泣き出した私に怒ることもせず、泣き止むまでずっと傍にいてくれた。
「ごめんなさい」
あなたに私の気持ちを押しつけて。
「私、がんばりますから」
あなたの迷惑にならないように。
「ねえ、今度京都に行こう」
彼女の顔を見られなかった私だったが、彼女の声に反射的に首を上げた。温かい笑顔がそこにあって、こんなときなのに、私は幸せに思った。
「気晴らしにね。京都には気持ちを落ち着けられるところが、たくさんあるから」
「はい」
最高に幸せで、だから私は今、最高に苦しい。
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ごめんなさい、本当はこの種の話が好きだから書きたくなったのが最大の理由です。ええ、最初から私はそういう読み方でした。無論、『ビューティフル・ネーム』とは無関係に。
題名に「前夜」は無理だろうか。それから、人には省略しすぎるなと言っておきながら、泣きはじめから泣き終わりまでが省略されてるな、コレ。
誰も待っていないのに、『京都』二次創作の第二弾です。
どうして破局にしてしまったのか、自分でもわかりませんが、思いつきでこうなりました。完結していないとも思うのですが、出してしまいます。
批判は、敢えて言っていただければ受けます。しかしそれよりも『京都』本体を論じていただいた方が有益ではないかと思っていることを、申し添えておきます。
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京都後夜
翌日彼女が連れて行ってくれたのは、寺院でも仏閣でも庭園でもなくて、京都の街には違いないが、どことも言えない街並みだった。落ち着いた街並みには、観光客らしい姿はほとんどなかった。
私たちはただのんびり歩いていた。小さな社に立ち寄ったり甘味処で蜜豆を食べたりと特に京都らしいことはしなかったのだが、舞妓さんとすれ違ったときには、やはりここは京都なのだと、今が逃避行の中であることを思った。彼女はあまり話をしなかった。私からは、できるはずもなかった。この逃避行に陶酔することで精一杯だった。
「行こうか」
どこか寂しそうな声だった。西に傾いた陽が逆光になって、彼女の表情はよくわからなかった。私は考えもせずに頷いて、ちょうど近くのバス停に止まっていたバスに乗った。京都駅から新幹線に乗り、私たちは彼女が買ってくれたビールを飲んだ。昨晩眠れなかったことが手伝って、私はすぐにとろとろと眠りに落ちてしまった。
新幹線を降りれば、彼女とは別れなければならない。夢の切符を自動改札へ捨てようとしたとき、手をぐんと引っ張られた。そのまま人通りから少し離れた場所まで、彼女は私を引っ張っていった。手を放した彼女は急に頭を下げて、ごめんなさい、と言った。どうして。驚いた私は何の反応も返せなかった。
「私、あなたの気持ちを知ってた。だけどあなたの気持ちには応えられない」
当然のことなのに、面と向かって言われたことが衝撃だった。
「本当は、結構前からわかってた。ずっと私と同じ顔をしてたから」
そう前置きして彼女は、彼女が彼女の上司と不倫の関係にあることを私に話して、もう一度深く頭を下げて謝った。私が何を返事したのかは覚えていない。彼女が、先輩で上司である彼女が私に謝っていることが信じられなかったことしか、思い出せない。
私たちは改札を出て、仕事のときと同じような挨拶をして、別れた。とぼとぼと切符売り場へ歩いていると、慌しい足音が私の脇を通り過ぎて、息を切らせた彼女が私の目の前に現れた。
「私のことは嫌いになってくれて良いけど、あなたはあなたのことを嫌わないで、絶対。それだけは、約束して」
それだけ言うと、彼女は私に背を向けて足早に立ち去った。
無責任、どうして私はあんな人を好きになってしまったのだろうか。私は砂でできた彫像のように崩れてしまいそうだった。乾ききった心は、凍らせて固めることすらできそうになかった。
※別解釈
雨のしずくが窓を伝う。するすると落ちていく先でまた別のしずくとかさなり、重さで加速し桟ではじけた。追う指先は冷たくなっていく。思考はさっきから同じ所をさまよい、もちろんそんな状況では仕事も上手くいかず、自己嫌悪に陥って、それでもぐるぐると頭をめぐる同じ問題を両手に抱えきれず立ち尽くす。これではだめだと電話を手にし、「明日も休ませてください」と伝える私の声は消え入りそうで、電話の向こうは一瞬間を置くと「わかった、京都へ行こう」と抑えた声で言った。
京都の日差しに手をかざすと、重い暑さがのしかかる。宿の部屋の窓を開けると、長い軒の先に緑の庭が見え、目には涼しいけれどやはり暑い。深く息を吸い込み、暑い空気と引き換えに、こびりついて離れない仕事のことを頭から追い出した。
「やっぱり、暑いな」
不意に頭の上から降る声に驚いて振り返ると、思ったより近くにその顔を認め、心臓が跳ねる。
どうして一緒に来てくれたのかなんて、聞く事はできない。言葉にしたら心のどこかにせき止めている物があふれ出してしまうだろう。京都にはずっと前から連れてきてくれる約束を冗談めかしてしていたが、実際に現実のこととなってしまうと何だかいたたまれない。
揺れる気持ちはもう見抜かれていて、瞳を探るように覗き込まれては、自分の中で認めるも認めないもそんなことはもうさしたる問題ではないのだ。 彼はもう見つけてしまったのだろうから。
外は祇園祭も24日の還幸祭が終わり、ようやく終盤を迎え始める。
「観光客向けじゃなくて、いいところがたくさんあるから」
彼が左手を伸ばして私の頬に触れると、薬指に鈍く光る指輪。私は彼の瞳を見つめながらそっと抜き取る。そうしてその指をちろりと舌先で舐めた。
_ノ乙(、ン、)<別視点
夜食はコンビ二のお弁当。私は半透明の袋を指に引っかけて、けれど会社には真っ直ぐ戻らず寄り道をする。細い路地に入ってしばらく進むと、突き当たりに駄菓子屋がある。人のよさそうなおばあちゃんが、今日は丸椅子に座って居眠りをしていた。
軽く気晴らしをしたいときの秘密の場所だ。普通に考えると、こんなオフィス街に駄菓子屋があるのも、そんな店が午後八時過ぎまで開いているのも不思議なことだった。私と同じように気晴らしをしたい会社員が利用するのかなと思う。一瞬だけでも、仕事を忘れることのできる場所として。
店の中を見渡していると、派手な色彩が目の端に引っかかった。私は自然と立ち止まり、あらためてそれを見つめる。
花火だった。袋詰めの花火が壁際のフックに吊るされている。つい先日、近所の子供が大喜びで花火を楽しんでいたのを思い出した。わずかな逡巡のあと、私は苦笑に近いものを浮かべ、それをフックから外した。
八時に終わるはずの仕事が、十時を過ぎても終わらないのはよくあることだ。仕事を管理する上司が今日は出張なこともあって、営業は遠慮なく無理を言ってくる。きりのいいところまで仕上げて伸びをしたときには、すでに十一時を回っていた。オフィスにはもう私しかいない。
毎日同じように残業していたはずの先輩は、昨日から休んでいる。今日は上司が出張。結婚指輪をしている上司と、していない先輩。妙な雰囲気があった男と女。ふとよぎったいやらしい想像には、気づかない振りをする。
花火を持ってオフィスを出て、管理室に一声かけてから屋上に上がった。金網越しに見える向かいのビル、窓からは普段どおりの明かりが漏れている。地上を走る車を見下ろし、一息ついてから花火を楽しむ。しゅうぅっと白い火が弾け、屋上のコンクリートを明るく焦がす。
『祇園祭』という言葉を思い出したのは、花火からの連想もあるのだろう。先輩はよく、その京都のお祭りについて話していた。詳しくは覚えていないけれど、確か今日、二十四日も何かの行事があると言っていた気がする。
「京都かぁ」
呟きと共にため息が漏れた。一人の花火。二人の旅行。これくらいは許されるかなと、手に持った花火を京都の方角に向けた。
身を焦がす人達と、そうしたものとは無縁で生きてきた自分。胸に宿ったほの暗い感情が、花火のようにほんのひとときで消えてくれることを願い、私は小さな笑みを口元にのせた。