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こんにちは。60期感想その4です。

#26
ビルの狭間でかえる童心
作者: bear's Son
文字数: 1000

子供のころ仲の良かった石原・山井・野田は今でも付き合いがあって、そのうちの石原と山井は会社を共同で経営している。ある日、二人が会社の命運のかかった取引を他社で重役になっている野田に頼むけれども、 “友情”だけではどうにもできない事情から断られる。それを聞いて怒った石原が野田の手を噛む。石原は子供のころから友人の手を噛むことがあった、という話。

“友情”をたてに都合のよい取引を迫られ、断る辛さも察してもらえずに手まで噛まれてしまった<野田>は大変だったろうなあ、と思いました。もしここで野田が取引に応じた結果、野田まで会社をクビにされることになったら山井と石原はどうするつもりだったんでしょう。「俺たち仲間だから、三人いっしょに地獄をみようぜ!」というノリになるのでしょうか。
「その時の歯形は今も野田の手に残っている。」という一文が印象に残りました。この話はいっけん石原が主人公のようにみせていて、実は野田の話なんだと勝手に誤読しました。そうするとすごくおもしろくなります。

#24
女たちと古い本
作者: 宇加谷 研一郎
文字数: 1000

本を読んでいる男の部屋に二人の女が遊びに来る。女たちは空腹で男は手料理でもてなし、宴会となるものの、男はまもなく潰れてしまう。女の足が好きだということを知っている女たちが男の顔を踏みつけながら呑んでいるあいだ、男は夢をみて自分がいつか猿になってその日来ていた女の一人を愛するようになるだろう、と雲の上で予言されるという話。

今期の作品9「カニャークマリの夜」(公文力)にも「女の足」が重要なポイントになっていますが、かかとの固くなったところを入念に削ぎ落としたり、かかとおとしの真似の描写など、細かいところまで行き届いている「カニャークマリ」に比べれば、この作品は「足」をうまく活かせていないように思われました。「女の脚(足)は地球とダンスをするコンパス」というのが座右の銘である私にはその点ばかり気になりました。


#20
天使の絵が描かれたカード
作者: 佐々原 日日気
文字数: 998

植物人間となった女性の枕元にいる恋人(?)が彼女から「もしも」のときために手渡されていた「ドナーカード」を遺族に提示すべきかどうか迷っている。結局、彼女の遺志を尊重したが、空っぽの病室でその選択が間違っていたような気がしてカードを引き裂いた。が、そこに「ありがとう」と彼女の声がきこえた、という話。

今のところ私の周りには「延命治療」の状況にいる人がいないので、すんなり読んでますが、もしもこの状況の渦中にいたら、この話を最後まで読むことができないように思います。結局、物語では彼女の遺志を尊重して臓器提供をして、その選択が正しかったのか迷っている主人公に「ありがとう」と幽霊の(?)彼女が言っていますが、実際にこんな経験をした人にとっては慰めどころか、怒りに変わるような気がします。「よほど自身が取材しているか、あるいは自分の痛みから出発していないかぎり、こういうテーマの物語を気軽に書いていいのか」と考えるいいきっかけになりました。主人公の男の迷い方はうまいと思います。


#25
旅、馬、東、そして西
作者: かんもり
文字数: 901

「北に行けば、忘却。南に行けば、楽園。西に行けば、開拓。世界はそういうふうにできている。」と決められた世界の中で旅をしている主人公が西(開拓の地)から東にむかっている馬と会話をする話。

冒頭の「北に行けば、忘却。南に行けば……」というのがよくわからなかったので、残念です。でも「南に行けば楽園」と決まっていたら楽だなあ、と思います。それとも「楽園」という名の地獄だったりするんでしょうか。あるいは忘却って「死ぬ」ってことでしょうか。それに「開拓」することと「楽園」はつながらないんでしょうか。いろいろと最初の一文に考えさせられました。


#27
575
作者: 三浦
文字数: 992

(普通に読むと意味がわからないのであえてまったくの誤読にしました。自分がどういう解釈をしたか書いています↓)

妻を捨てて旅に出て、さまよっていたS・E・ザビエル(略するとSEX)は漂着した島で出会った三人組の女を前に、彼女たちが深呼吸しながら自分の股間を凝視しているのを感じ、おもわず自分の「おたまじゃくし」(比喩?)を彼女たちに発射してしまう。すると女たち三人はそれぞれ股間から液体をたっぷり溢れ出させてザビエルとの快楽を受け入れるものの、そのあばら屋から、彼女たちの子供がぞろぞろでてくる。聞いてみれば女は三人とも旦那に逃げられて、働き手がいないとのこと。そんな“生活苦の告白“を聞いて崖っぷちにいる気がしてきたザビエルは、自分の故郷に残した妻とのことをチラッと思い出す。

三人の女をとるか、妻の元へもどるかを右手と左手のじゃんけんで決めようか、とフラフラしながらもとりあえずは、妻から日々たっぷりと金を貢いでもらっているザビエルは日本海側の歓楽街で遊ぼうと思い、ネオン街の音楽(ラデッキー行進曲)のところへ行こうとする。そこには(生活感のない)鳥のような美女がいると睨んだのだ。だが、それを聞いた三人の女とその子供たちの反応は、豚のように不満げであった。女たちをふりきってザビエルが家を出ると、後ろから「猫をかぶってかたつむりのようにしていたけど、逃げられちゃったわ」と女たちが恨めしげに嘆いている。それでも街へ出たザビエルは、生活感を感じさせないクールな風俗嬢と出会うものの、クールでありつづけるためには距離感が大事なことを痛いほど知っている二人は当然のごとく一晩遊んで別れる。

「あの拾った男は冷たいけどよかった、よかったけど冷たかった」とブツブツ言いながら包丁を持った三人組の女と再び出くわすものの、妻から貰っていた金を三人の女たちに投げ出すと、とたんに背後から彼女らの子供や養ってる老人までやってきて、金の奪いとりをはじめる。ザビエルはようやく逃げられると必死に走っていくのだが「金をくれてありがとう!」と背後で追ってきてる女たちからむしろ感謝をされて戸惑う。帰宅すると妻には幾人もの求婚者がいたけれども、両刀使いのザビエルが次から次へと彼らの相手をしてやり、最後には妻と一枚の布団で眠ると「ニコール・キッドマンも夫婦はセックスが大事ってさっきCNNのインタビューに答えていたわ」と恍惚の表情でこたえて、二人とも翌日は仲良く朝寝坊した、という話。

↑おそらく作者が書きたかったことは私の解釈とは全然違うところにあると思いますが、この作品が誤読を許してくれるだけの奥深さと懐の広さを持っているということは確かだと思います。なにもわけのわからないことが書いてあればどんな作品でも誤読が可能、というわけにはいかなくて、「意味がわからないけどこの文体のリズムと使われている語彙のセンスの良さだったらついていきたい!」と思わせてくれないと、普通は読もうと思いませんが、この作品はタイトルの「575」というところに込められているであろう狙いからして面白く、ザビエルの名前がS・Eであるところやその他もろもろから前期の「短編」が内包されていることも感じられるし、読めば読むほど深みへはまっていきます。こんな作品を書いてくれてありがとうございました。

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