〉例えば自分の作品に一番自分自身が縛られることも、
〉ある。が、
〉変化への担保、と考えては?
自分の作品を変化への担保とか、
そー捉えることはいくらでもできて、
それが言葉のおそろしいところ。
よーするに、そー捉えるとゆーこの場合は、
現状の不安な自分を作品に表して、
きょーふをふーじこめているわけですよ。
言葉に言葉をうわぬりして、その場しのぎをしている。
そもそも言葉をはじめメディアは
恐怖を封じこめる道具なんじゃないのかなと思ってます。
貨幣は時間や労働を封じ込めていて、
インターネットも速度や距離のままならなさをふーじこめていたりとか。
あまりにも人間中心的な道具で、そらおそろしいですね。
いま目の前にある現実とは無関係に情報の操作だけで
現実をあたかも変化させたかのよーに感じさせる技術じゃないのかなーて。
〉最近おもうのは、
読みたい本なんですが読めてない本で、
〉不機嫌な顔色って、それで特してる、利益があるから
〉本人はそうしてるだけなんだな、って思う。
http://www.amazon.co.jp/%E2%80%9C%E6%84%8F%E2%80%9D%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96%E3%81%A8%E2%80%9C%E6%83%85%E2%80%9D%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96%E2%80%95%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A0%94%E7%A9%B6-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E5%8F%A2%E6%9B%B8-%E7%8E%8B-%E6%95%8F/dp/412003576X/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1337340829&sr=1-1
これには、中国人は自分が怒って利益がある時だけ怒る、
日本人は利益とか関係なしに怒る、みたいな論考があるみたいです。
私は私自身の怒りがなんでなのかな、ってよー分からんです。
〉
〉
〉〉いや、言葉は呪詛でしかないと思っています。
〉〉
〉〉
〉〉
〉〉〉言葉の海でおよぐ
〉〉〉
〉〉〉
〉〉〉言葉が呪詛にも
〉〉〉
〉〉〉
〉〉〉解放にもなる
〉〉〉
〉〉〉
〉〉〉
〉〉〉みたいな?